作品はすべて属人性に回帰するから。
匿名希望の希望が潰えるAI社会
現実の自分(職業、地位、身体)という制約を離れたくて書いたものも、やがて「でもこれを書いたのはどんな人なの?」に回帰する。
長く残る文章や書籍や作品の作者が匿名希望だったことはない。
ウィキペディアを見ればわかると思う。ひろく名を馳せた人物ならほとんどが本名で載っているし、ペンネームであったとしても、学歴や経歴も詳しくさらされている。そもそも、
「これをつくったのはどんな人なの?」
という問いかけが生まれるのは至極当然なことだ。今や生成AIによる創作物があふれかえっているんだから。なので非属人性を担保し続けたい匿名希望の創作者は、自身も生成AIによる無差別投稿を厳に控えるべきだと思うが、こんな辺境のnoteで言っててもしょうがないな。もはや手遅れである。
例えばね。
生物学的には女性だけど男性名でエッセイや小説を書きたい、というのは試みとしては楽しい(逆もまた真)。でも、試みが成功して名声を得れば、
「これを書いてるのはどんな男性なの?」
という問いかけは必ず生まれる。実は女性でした! て言える? たいていは公開しないで姿を消すことになると思う(ティプトリーは例外として)。
最近だと中国に出張に行って中国人女性と交際する流れをポストしたXがあったけど、あれも実は創作で作者はアカウントを削除したんだっけ……。
そういうことになる。
作品が属人性から逃れきることは出来ないと見て間違いない。
真っ赤なウソこそ創作の泉なのに?
と思うよね。誰が書こうと創作だもん。俺もそう思う。
でも、なぜか長く残る作品のほとんどは「誰がどう生きてそれを書いたか」と切り離すことができない仕組みになっている。
どうしてか。
俺の無い学歴と無い頭で思いつくのはこんなとこ。
創作というのは人類にとって長く長く続く膨大な宿題の1ページなので、それらは学術的に研究されなければならないし、研究するからには「何をもってそれが書かれたか?」が重要だから。
どこの誰がどう生きて何をもって書いたか? ほんとにそんなことしてたんか? 実はしてないんじゃないの? その土偶ほんとに掘ったの?(世界的に迷惑した事例)をおろそかにしたら後の世が困るからだし。
たくさんの人が時間をかけて読んだり楽しんだりした結果、「パクリでした」「完全な妄想でした」「マックで隣の女子高生が言ってました」じゃ困るわけだから(ネタツイにマジレス)。
属人性を引き受ける覚悟と名声
いずれぜんぶバレるんよね。ほんとに才能があるならば。
ほんとに作家になれるだけの力があるなら、どこで生まれてどう育っていついじめられてたかまで明らかになっちゃう。
その覚悟をもって、ものを書くってわけなんだ。作家になりたいとまで思うならば。ストリップの準備できてる状態なんだよ。
だからnoteで個人的なことを書くという行為は、そのウォーミングアップに適してると思う。ただその内容が「いつか整合性をもって属人化できるかどうか」はすごく厳密なところがあると思う。
たくさんの人に読まれて人気を博すって怖いことよ。
最初から実名で実職業をさらして書いている人たちの強さがそこにある。
大学教授とかアーティストとかプロ作家とかね。
すごさと怖さはイコールなんよ。
すごくなりたいという欲求は、怖さを飲み込める勇気と引き換え。
昔、村上春樹のエッセイで
本名で小説を書くと、銀行で呼び出されるとめちゃくちゃ恥ずかしいし具合が悪いからペンネームにすればよかったみたいなの読んだ記憶がある。
ただ村上春樹に関して言えば、そういう不具合を受け入れてなお本名で書いた凄みがあったんじゃないかなあ(開き直りともいう)と思ったりする。
なんにせよ、ウソはバレる。
才能があるなら、信じるなら、積み上げる場所の基礎は堅牢にしておかないと、ぜんぶ崩れることになってしまう。そこに至るまでに集まってくれたオーディエンスにもお引き取りいただくことになってしまう。
俺は個人的には、それをとても不誠実に感じる。
しかし匿名希望でも心は残せる
名声を築き上げ有名になったあかつきに「ああ、この人しってる!」という喜びこそ読者に与えられなくとも、書いた言葉や作品はそのつど誰かの心に残るし、消えない。なにかを世界に伝え、変化を産むことはできる。
それでいいならいいんだよ。ぜんぶ。
俺なんかも月刊アウトで遠い昔に読んだネタを未だに覚えてるし日常的に使うんだけども(あのな)。今となってはアウトで読んだのか少年ジャンプ放送局で読んだのかすら覚えてないけども。
壁に耳あり障子にメアリマッグレガー(映画銀河鉄道999のエンディングを歌った歌手の名前)とか
プーヤン(藤子不二雄のパーマンに出て来るやつ)でも悔やみきれないとか
あと村上春樹が「無駄記憶」として綴った、
ベレンコ中尉もこれでデレンコ(お若い方には一切伝わらない)とか
むしろ俺自身も継承してしまい脳のリソースを無駄にしている。
ヴィクトル・イヴァーノヴィチ・ベレンコ(ロシア語: Виктор Иванович Беленко, 英語: Viktor Ivanovich Belenko, 1947年2月15日 - 2023年9月24日)は、ソビエト連邦の国土防空軍軍人。
1976年(昭和51年)9月6日に当時のソ連の最新鋭機MiG-25に搭乗し、アメリカ合衆国への政治亡命を目的に日本に飛来、函館空港に強行着陸したこと(ベレンコ中尉亡命事件)で知られる。
かくして人の記憶には案外残ってしまうものだ。
匿名希望にも希望はあるということ(希望なんだろうか)。
おわりに
どうせ書くなら最終的に身バレしてもいいように書いたほうが、のちのちネタに使えるから得な気もするけど、そこは個人の自由であるとして。
限りある人類が限りある時間を費やして、属人性の覚悟を持てないテキストや作品に「じっ」と集中するのも、なんかもったいないかな? と思ったけど。よく考えたら「プーヤンでも悔やみきれない」は未だに俺を笑かしてくれるので、そんなこともなかった。
だからみんな好きなことを好きなように書けばいい。
そういう結論になりました。
おしまい。
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