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初エッセイZINEを入稿するまで

一年前から書いていたZINEの執筆を終わらせ、昨日入稿した。
書き始めた当初は、自分のベストを出しつくした気持ちで書き終えたかった。けれど、推敲に疲れきってしまい、「なんか、もういいや」と半ば投げやりみたいな感じで入稿に踏み切ることにした。本文の読み直しと修正を繰り返していたら、一生終わりのない作業だと思ったのだ。今の自分ではもう抱えきれない。その思いを手放すように入稿作業を終わらせた。

自分の声を代表する本を作りたい。
精神的な寄る辺なさに振り回されている私を、本という括弧たる形で表現してみたい。

当初はそういう目的で書いていた。だが、ZINEのテーマを「自分の過去のこと」にしてみたら、だんだん「家庭問題、過去トラウマ」という根深いほうに進んでしまい、苦しくなって手が止まるようになった。過去を思い出して言葉を充てていくのは良い作業だと思ったけれど、どうしても悲しい思い出のほうに心が引っ張られてしまう。毎回涙を溢れさせながら書き、原稿に向き合うのもPTSDみたいな感じになって辛かった。そして私の過去に対する異常な執着のせいで毎回文章の着地がわからなくなり、出口が見えなくなって、何度も自分の文章で迷子になった。(一年も同じ文章を書き直していたら、そりゃ最初の文章を誰でも変えたくなるよな、とは思うのだが。)

あとは「自分は文章が上手くない。下手すぎて恥ずかしい。」と、技術面でも自己嫌悪に陥ってばかりいたので進みが遅れた。私は昔から文章を褒められたこともないし、賞など獲ったこともない。そんな自分が本を書いていいのか。こんな文章が下手な人間は本を出す資格もないのではないか。毎回自分自身をいじめるようなメンタルで書き、自己肯定感というものは地球の裏側まで低くなっていた。他の人たちはなぜ3ヶ月くらいで文章を決め切れてZINEを作れるのか、ほんとうに不思議に思った。(どなたかコメント欄に書いて教えてください…。)

その2つに苛まれながらもとりあえず完成させることができたのは、「書き始めてもう一年経ったから」が大きい。
365日ずっと作業していたわけではないけれど、何度も忘れたい過去に向き合い、もうその自分は手放してもいいというところまで来たのだと思う。内側に眠っていたものを言葉にして出すところまではできた。読む側のこともあれこれ考えたけれど、初心者の私はそこまで考えなくてもいいかもしれない。きっと今読み直したら後悔も出てくるだろうけど、それが今の自分なのだと思うことにした。理想はいろいろあるけれど、まだその途中ということで。


あと、作っている間はずっと、「なんのための本なのか」、「私はなにをしたいのか」を模索しつづけていたところがある。考えすぎて頭がこんがらがり、終わらせる動機にまではずっと至らなかった。けれどそれはたぶん、自分が過去に対してどう思ってもいいことと、どんな自分でも本をつくってもいいこと、どんな自分だろうがここで生きていてもいいことを自分自身で許すために本を作ってきたのだと思う。
本を書かなければ出てこなかった自分の問題が一気に吹き上がってきてめちゃくちゃ大変だった。けれど振り返ってみたら、「作って良かったかも」と、入稿後にふっと感じることもできたのだ。まずは作るがゴールなのだ。



入稿したら飲もうとしていた酒を開封
高級な感じだったのにラッパ飲み
もっと祝いたくてかったケーキ



そんな私のZINE,お手にとっていただける機会がありましたら幸いです。文字薄くてすみません。
本の紹介記事は別日にアップします。

「たそがれにて」A5/78P/¥1,000(ぜんぶ予定。)

書いていたときはだいぶな苦労があったので一冊50万円!と考えていたけれど、それでは誰も読めなくなりそうなので一冊千円に価格変更(?)しました。もうそういう気持ち…。




スタエフでは昨日、入稿直後の気持ちをばーっとまとまりなく喋った。(酒飲みながら。)ライブもやってみたが、ぜんぜん話しにくいのですぐやめて、通常運転。
「明日作業します」とか声に出してみると「ちゃんとやろう」という気にもなった。今後も誰も聞かなくても喋るつもりだけれども、聞いてくださる人に向けては話しているので誰か聞いてください…

番組名「たそがれラジオ」はここで伏線回収しております(ドヤ顔)。














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