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学生時代の先輩の別荘に家族と娘の友達とで行った。
途中で別の先輩一家とも合流し、2歳児から15歳児まで計6人の子供が揃う。
それはにぎやかな2泊3日だった。

人気(ひとけ)のない海に行き、子供たちが泳ぐ。私も下の子を見ていなければならないから入る。

ここ数年、海に行きたいなんて思うこともなかったが、わーわー言いながら海の波と戯れていたら、「海ってやっぱり楽しいものなんだなぁ。」と思い出した。


私は体験型の遊びの欲があまりない。
昔からかもしれないし、最近になってからかどうかもわからない。潮干狩りや川遊びなど、体が汚れる系の遊びは準備や片付けが面倒でただそれだけで苦手だった。

今回もそれほど海に行きたかった訳ではないけれど、たまには子供が海で遊ぶところを見ていたかったから付いて行った。行く前は海に入るつもりもなかったのだが。


浜辺まで歩いて行き、前面に広がる海を見たら、一気に気分が上がった。
「あ、海ってあるんだ。」と当たり前の感想を子供達の前で呟きそうになる。

入ってみたら海水は冷たく、それでも少しずつ打ち返す波にもまれ、体が海水に徐々に慣れていく。
そうすると見えてくるのは広い青空と、水面輝く海。大パノラマの景色の中、海に浸っている自分がだんだんと自然と一体になった気分になってくる。
なんかもう自分のことなんかないみたいに、風景に溶けていく感じだ。

よく「自然の前にすると自分の悩みなんか小さく見えて吹っ飛ぶ。」とか言うけれど、ほんとうにそうで、むしろ自分が自然の一部と化している感覚なのではないかと思う。可も不可も、優も良もない世界にいる感じ。
ただ海に漂って日に照らされて時を過ごすだけ。私という個、わたしという頭がない感じ。
むしろそこでは頭を働かせなくて良い場所。


私はそこでひたすらぽかーんとして、海で遊ぶ子供達を見ていた。手を繋がないと入れなかった息子はいつの間にか一人喜んで入っている。

空は時々飛行機雲の白い筋が見えてくる。
聞こえてくるのは荒い波の音と、それ以外の子供達のきゃっきゃとした声だけ。

海の青と水平線の白にちかい水色。
向こうからやってくる波の色は生き生きとして見える。
その遠くには行き先の分からない客船。

そして絶え間ない波。こんなエネルギーのある事物が自然にやってくるってすごいことじゃない?
AIみたいに誰かが考えたことでもないものが誰の手も借りず、休まず稼動しているって、本当は忘れちゃならないことに見えてくるよ。

ぽかーんとしながらも海から見えるひとつひとつを受け取っていたら、じんわり自分と自分達の生命が愛おしくなってきた。
何もかもがそこでは美しく見えて一人感動する。

自分はそこにいるだけなのに、海が、空が、雲が風が、どんどん動いて、遠くの崖の木々のざわめきさえ目の前で感じ取れるように見える。

単純に「ああ、私って地球に生きているんだな。」と思った。

割と普通のことだが、日常で忘れがちな事実を思い出す。


日が落ちてきたので別荘に戻ろうとすると、子供達が自分たちの影でかたちを作り、写真を撮ろうとしていた。そういえば影ってあったんだね。

砂浜にいる影だけが、自分の存在を確かにしているようだった。
都会にいた時の、私の思考だけで埋め尽くされている私はもうそこにはいない。ただそこに自分という物体があるという事実。

海と自然の存在感に圧倒されすぎて、足元のサンダルが砂まみれになっていることすらどうでもよくなって帰った。

ぼうっと我に返ったのは旅行が終わってからだった。
今でもあの海のきらめきを思い出して、私はこの世界に生きているのだと再び実感している。



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