要支援2の義母を、老人ホームに入れた理由
要支援2。まだ元気だと思っていた。
義母の話です。
義母は、圧迫骨折で入院しました。
その少し前に、夫である義父を亡くしたばかりでした。
身体だけじゃなく、気持ちの面でもかなり弱っていたと思います。
圧迫骨折自体は回復し、入院は最長の3か月に及びました。
リハビリも真面目に取り組んでいました。
ただ、気がかりだったのは、
“生きる気力”のようなものを感じられなかったことです。
とはいえ、動ける力はありました。
一人でトイレにも行ける。
歩くこともできる。
だから私たちも、
当然、自宅に戻って生活するものだと思っていました。
私が「自宅に帰りたい?」と聞くと、
義母は「帰りたい」と言いました。
でも今思えば、
あれは
「お金がないから帰らないといけない」
という意味だったのかもしれません。
私は、
「家に帰るには、もう少し頑張って動かないとね」
そんな言葉をかけていました。
すると義母は、
「こんなにしんどいのに、あなたにはこの気持ちはわからない」
そう言いました。
そのたびに私は、
“動けるのに、どうして動こうとしないんだろう”
という苛立ちに襲われていきました。
身体的には、動けていました。
でも、動こうとしない。
「怖い」
「できない」
そんな言葉を繰り返し、
できないことを強く訴える義母を見て、
最初の私は、
「それでも家に帰るために、少しずつ頑張るようになるだろう」
と思っていました。
でも、だんだん不安になってきたのです。
この人は、
自宅に戻っても、
動こうとしないのではないか。
今の義母は、
すぐ手の届く場所にある物ですら、
「取ってほしい」と言う状態でした。
もしこのまま家に戻ったら。
本当に何もしなくなるのではないか。
そもそも義母は、
“自宅に帰りたい”と思っているのだろうか。
そんな気持ちが、
少しずつ膨らんでいきました。
でも、周りから見れば、
義母は「まだ元気な人」でした。
歩ける。
会話もできる。
介護認定も要支援2。
だから、
「まだ施設は早いんじゃない?」
という言葉もありました。
正直、
私もそう思いたかったです。
できれば、
自宅で生活できるなら、
それが一番いい。
でも、実際に近くで見ていると、
“身体が動くこと”と、
“生活できること”は別なんだと感じ始めていました。
結果的に、
私たちが選んだのは、
介護付き有料老人ホームへの入所でした。
ここに至るまでには、
義兄夫婦との温度差。
お金の問題。
親戚との関係。
いろんなものが浮き上がってきました。
「施設に入れる」
その一言の裏には、
想像していた以上に、
たくさんの現実がありました。
どうやって入所まで進めたのか。
続きに書きました。
決断した本当の理由
義母の身体は動く。
でも、気持ちが動かない。
その状態を見て、
私は本当に悩みました。
当時のケアマネさんにも相談しました。
その時、
私の中で大きかった言葉があります。
ケアマネさんは、
「私たちは、“在宅で暮らしたい”人を支える仕事なんです」
と言いました。
つまり、
本人に“家で暮らしたい意思”がなければ、
支援自体が成り立たないということでした。
私はその時、
ハッとしました。
義母は本当に、
自宅で暮らしたいと思っているのだろうか。
そしてもう一つ、
私の中には強い不安がありました。
一度在宅に戻ったら、
施設入所はもっと難しくなる。
自宅に帰って、在宅でやってみて、やっぱりダメだと判断して、施設を探して、手続きする。
クラクラしました。
入るなら、今しかない。
そう思いました。
料金だけを考えれば、
在宅生活だと年金内で安心して生活出るのはわかっている。
だからこそ、判断することは
苦しかったです。
「できない」という言葉を、
どこまで受け入れるのか。
資産の減りと施設費のバランスをどうとっていくのか。
本当は、
無理をすれば在宅でできるのではないか。
そんな気持ちもありました。
でも、
私が本当に怖かったのは「共倒れ」でした。
義母の家は、
私の家から車で片道40分。
何かあるたびに呼ばれれば、
私の一日は簡単に消えます。
私も仕事をしています。
夫は単身赴任中。
長男夫婦も遠方。
気づけば、
「私が動くしかない」
という空気ができていました。
最初は、
「困っているなら助けないと」
と思っていました。
でも、
私が動けば動くほど、
周りも無意識に、
「任せておけば大丈夫」
になっていった気がします。
私はずっと、
“やらされている”
と思っていました。
でも今思えば、
自分で“いい嫁”を引き受けていた部分もあったのかもしれません。
このままでは、
義母だけじゃなく、
私の生活まで潰れてしまう。
そう思った時、
私は、
“いい嫁”をやめようと思いました。
義兄との温度差
義兄は、
入院中の義母の様子を、
積極的に知ろうとはしませんでした。
もちろん、
義母が無気力になっていること自体は知っています。
でも義兄の考えは、
「無理やりでも動かせばいい」
というものでした。
私は、
義母の状態や、
本人に“自宅で暮らしたい意思”が感じられないことを伝えました。
でも返ってくるのは、
「甘えさせると、どこまでも甘える」
「お金がかかるのは困る」
という言葉でした。
義兄は親戚にも声をかけ、
なんとか自宅へ戻そうとしていました。
でも私たち夫婦は、
別の不安を感じていました。
もし在宅生活が破綻した時。
結局、
最後に動くのは誰なのか。
その現実が、
私たちには見えていました。
義兄は、
お金の問題をはっきり口にすることはありませんでした。
でも、
話をしていると、
最後はそこに行き着くのだろうという空気は感じていました。
最終的には、
「そこまで言うなら、
実際の対応もお願いしたい」
そこまで話が進み、
ようやく施設入所を承諾してくれました。
渋々、という形ではありましたが。
入所して、どうだったか
入所の手続きも、
想像以上に大変でした。
正直、
何を決めているのか、
よく分からないまま判子を押していた気もします。
とにかく、
「もう戻れない」
という感覚だけはありました。
タンスやテーブル、椅子を注文し、
子どもたちにも手伝ってもらいながら、
なんとか入所まで辿り着きました。
正直、
ホッとした。
それが一番の気持ちでした。
でも同時に、
「これで本当によかったのか」
という思いも湧いてきました。
施設を選ぶ時間も少なかった。
知識も、
ほとんどありませんでした。
そして一番大きかったのは、
この先、
本当にこの費用を払い続けられるのかという不安です。
私はずっと、
「義母のためにどうするか」
ばかり考えていました。
でも本当は、
「自分の生活を守りたい」
という気持ちも強くありました。
当時は、
そんなふうに思う自分を、
どこか冷たい人間のようにも感じていました。
でも今は、
介護する側の生活を守ることも、
大事な判断だったと思っています。
今でも、
この決断が正しかったのかは分かりません。
義母の資産で足りるのか。
その不安は、
今もどこか恐怖に近い形で残っています。
あの時の私は、施設の選び方を知らなかった
義母の退院が迫る中、私は「とにかく早く決めなければ」と焦っていました。
老人ホーム紹介業者へ相談すれば、自分たちに合った施設を公平に紹介してもらえる。
当時の私は、そう思っていました。
でも入居後、紹介業者の仕組みを知り、最初から選択肢が狭められていた可能性に気づきました。
メンバーシップでは、私が施設選びで見落としたことと、今なら必ず確認する判断軸をまとめています。
▶︎ 老人ホーム紹介業者で失敗した私が、今なら絶対に外さない施設選びの判断軸
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