見出し画像

義母が介護施設に入ったのに、私はまだ自由になれなかった

もう終わったと思ったのに、私の心はずっと待機していた

義母が施設に入ると決まった時、
私は正直、ホッとした。

やっと終わった。

そう思った。

ひどい嫁だと思われるかもしれない。
でも、本音だった。

もし義母が自宅に帰ることになっていたら、
きっと私は通わないといけなかった。

病院。
買い物。
様子見。
ちょっとした困りごと。
何かあった時の連絡。

誰かに、
「あなたがやってね」
と言われたわけではない。

でも、家族の中には、
言葉にならない役割のようなものがある。

何かあった時に動く人。
連絡を受ける人。
様子を見に行く人。
判断する人。

気づけば、椅子取りゲームで、他の椅子は全部誰かが座っていて、
その席に私が座っていた。

だから、義母が施設に入ると言ってくれた時、
お金はかかる。
どうしよう。

そう思いながらも、
私はとてもホッとした。

もうこれで、
私ひとりが何かあった時に動かないといけない、
という暗黙のプレッシャーから逃れられる。

そう思った。

でも、完全な自由は返ってこなかった。

身体の介護は減った。

食事を作るわけではない。
毎日通うわけではない。
夜中に起こされるわけでもない。

そこは本当に助かっている。

でも、心が休まったわけではなかった。

施設から電話が来るかもしれない。
また何か判断しないといけないかもしれない。
結局、私が動くことになるかもしれない。

そう思うたびに、
私の心はずっと待機していた。

介護の場所は変わった。
でも、私の心はまだ解放されていなかった。


施設からの電話は、心臓に悪い

施設に入って2か月ほどしたある日、
施設から着信があった。

今は、スマホに電話がかかってくること自体が少ない。

だから着信音が鳴った途端に、
まず身構える。

誰だろう。

そう思って画面を見る。

そこに施設名が出ていると、
一瞬、絶望感が襲う。

本当は取りたくない。
取らないでおこうか、という考えがよぎる。

3コールほどして我に返ったあと、
ようやく通話ボタンを押す。

「もしもし」

その瞬間から私は、
相手のケアマネさんの声の色を探っている。

普通のトーンなのか。
少し低い声なのか。
何か言いにくそうなのか。

言葉の内容より先に、
声の感じで悪い知らせかどうかを、
無意識のうちに察しようとしている。

その時点で、もう疲れている。

その日の電話は、
義母が施設で転んだという連絡だった。

結果的に、義母は大腿骨を骨折していて、
そこから入院、手術となった。

その日は、たまたま仕事が休みだった。

だから動けた。

でも、もし仕事だったらどうなっていたんだろう。

もちろん、仕事を休んで即出動。

そうなるのだと思った。

その瞬間、怖くなった。

施設に入っても、
私はまだ完全には自由ではない。

この時、私の中に、
「施設からの電話は怖いもの」
という小さなトラウマができた。


楽になったでしょ、で片づけられない

義母の周りの世代には、
「施設に入れること」を、
楽することのように感じる空気がある。

もちろん、在宅より楽になった。

それは本当。

でも、施設は施設なりの大変さがある。

施設の人に気を使う。
電話が来れば判断する。
病院へ行く。
書類を書く。
家族に報告する。
義母の自宅に届く郵便物を管理する。
お金の減り方も見る。

施設に入ったら終わり。

そんな簡単な話ではなかった。

介護の場所が変わっただけで、
責任の置き場所は、
まだ私の中に残っていた。

「施設に入れてよかったね」
「これで楽になったね」

そう言われると、
たしかにそうだと思う。

でも同時に、
終わったわけではないんだけどな、
とも思ってしまう。

この違いを説明するのが、
案外しんどい。


面会に行かない日が続くと、自分を責める

そして、私の中には罪悪感もある。

特に、面会に行かない日が続いた時。
罪悪感が一番強く出る。

誰かに責められたわけではない。

でも、心の中で声がする。

嫁として、
これくらいの間隔では行かないといけないのではないか。

施設に入っているのだから、
毎日通う必要はない。

頭ではわかっている。

でも、行かない日が続くと、
自分で自分を縛る思いが出てくる。

私は冷たいのかな。
楽をしているのかな。
もっと行かないといけないのかな。

勝手に自分を責め始める。

これが一番しんどい。

さらに、施設に入ればお金もかかる。

在宅より楽している。
その分、義母の資産は減っている。

施設に入ることを提案したのは、
私たちだった。

そこには、
私の都合も入っていた。

私が通いたくなかった。
私が潰れたくなかった。
私の自由を守りたかった。

安心しているのに、苦しい。

助かったと思っているのに、
申し訳なさもある。

その感情の場所にいるのが、
とてもしんどかった。


それでも、私が潰れないための選択だった

でも、何度考えても思う。

施設に入らなければ、
私は潰れていただろう。

その頃の義母は、
かなり依存的になっていた。

本当はできることでも、
「できない」
と言い張る。

そして、誰かに頼ろうとする。

その義母を見た時、
自宅に帰った後の生活が、
はっきり目に浮かんだ。

小さなことでも呼ばれる。
少し困るたびに頼られる。
「これくらいなら」と引き受けたことが、
いつの間にか日常になる。

電気を消すのも、
やってほしいと呼ばれる。

そんな姿まで想像できた。

そのたびに呼ばれては叶わない。

私はそう思った。

冷たいのかもしれない。
でも、正直な気持ちだった。

義母が自宅に戻れば、
誰かに寄りかかって生きていく。

その「誰か」は、
きっと私になる。

それは私にとって、
心の余裕がまったくなくなることを意味していた。

だから、施設に入るという選択は、
義母を見捨てるためではなかった。

私が潰れないための防御策だった。


全部が本音だった

介護は、
誰かを大切にすることでもある。

でも同時に、
自分を失わないようにすることでもある。

施設に入れてホッとした。
でも、完全な自由は返ってこなかった。
罪悪感もある。
施設からの電話は怖い。
面会に行かない日が続くと、自分を責める。

どれか一つだけが本音ではなく、
全部が本音だった。

施設に入っても疲れている人は、
自分を責めなくていいと思う。

それは冷たさではなく、
それだけ長く気を張ってきた証拠なのだと思う。

私は義母を施設に入れることで、
自分の人生のハンドルを握り直した。

そう思うことにしている。


施設に行かない自分を、まだ責めてしまう

義母が施設に入っても、私の中にある「嫁としてこれくらいしなければ」は消えませんでした。

面会に行かない日が続くと、自分は冷たいのではないかと責めてしまう。

でも最近、私は夫と一緒の時だけ施設へ行くと決めました。

メンバーシップでは、義母の施設に1か月以上行かなかった私が、罪悪感の奥にあった本音と向き合った過程を書いています。

▶︎ 義母の施設に、1か月以上行っていない。


いいなと思ったら応援しよう!

カオナシ|50代、自分と話そう。 ☕読んでいただきありがとうございます。 このnoteが心に残った方は、チップで応援してもらえるとうれしいです