見出し画像

50代、介護のしんどさは、上下じゃなくて種類

「施設だから楽してるのに、介護なんて言わないでほしい」

そう思われてる気がして、私はずっと口を塞いでいました。

私は義母のキーパーソンです。
義母は施設に入っています。

でも「介護しています」とは、大きな声で言えない。

心の奥から、こんな声が聞こえるからです。

「世の中には在宅で排泄介助をして、認知症の徘徊の後始末をして、もっともっと大変な人がたくさんいるのに。
施設に入ってもらって、たまに行くくらいで、
介護なんて大きな声言ったらダメ」

だから私は、こうやって自分で自分の口を塞ぎます。

「楽してるんだから、文句言う資格ないよね」


比べた瞬間、しんどい人が黙る

介護って、つい「どっちが大変か」の話になりがちです。

在宅介護の人の話を聞くと、私は自分のしんどさを引っ込めてしまう。

でも、思うんです。

介護のしんどさは、上下じゃなくて種類だって。

在宅は、体と時間が削られやすい。
施設は、判断と連絡とお金、そして家族関係が削られやすい。

どっちが上とか下じゃない。
ただ、削られ方が違うだけ。


施設介護の罪悪感:「お金で解決している」痛み

施設に入れている私の罪悪感は、ちょっと厄介です。

「楽してるから」だけじゃない。
劣等感も混ざってる。

本当は、私が見ないといけなかったのかもしれない。
在宅で頑張っている人を見ると、そう思ってしまう。

しかも私は、お金で解決している。
それがまた、胸に刺さる。

でも現実は、片付いてなんかない。

そのお金だって、潤沢じゃない。
いつ尽きるか分からない。
それでもこの選択をしている。

親戚との意見の相違のすり合わせ役も、ストレスがたまる。

身体は楽になったのに、心は重くなった。

いつ連絡が来るか分からない。
スマホが鳴るたびに、一瞬で頭が「介護モード」に切り替わる。

実際、昨年の夏は「転んで今から病院行きます」
この電話から手術、入院。
ある日突然、生活リズムが変わるという体験をした。

施設に入れたら終わり?

……むしろ、ここからが長い。


在宅介護の罪悪感:「足りない気がする」痛み

在宅の罪悪感って、たぶん逆だと思う。

頑張ってるのに、足りない気がする。
休みたいのに、休むと自分が悪者になる気がする。

イライラしただけで、
「私、冷たい人間だ」と思ってしまう。

外から見たら「ちゃんとやってる人」なのに、
本人の中ではずっと、減点され続ける。

施設は「楽してる気がする」。
在宅は「足りない気がする」。

方向は違うのに、着地点は同じ。

自分が自分の口を塞ぐ。

だから、比べて黙るのが一番危ない。


弱音を言えない人ほど、先に折れる

介護の愚痴って、本当に出すところがない。

SNSで呟けば、正論が飛んでくる。
友達に言えば、哀れみの言葉が返ってくる。

違う。
そうじゃない。

わかってほしいだけなのに。
聞いてほしいだけなのに。

「それ、しんどいね」
それだけでいい。

でもその場がない。
だから介護する人の心が、先に折れていく。


もしよかったら、あなたの「介護の困りごと」を教えてください

ここからは、お願いです。

もしよかったら、あなたの「介護で削られてるところ」や「今いちばん困ってること」を、短くでいいので教えてください。
在宅/施設/近居/同居/遠距離/きょうだい問題…どれでも。読むだけの人も、もちろん歓迎です。

①介護の形(例)

在宅?施設?近居?同居?遠距離?…それぞれ悩みが違うと思います。

私の場合:施設入居/車で片道40分

②いちばん削られてるもの

体/時間/お金/判断/家族関係/罪悪感…きっと何かを犠牲にしておられますよね。

私の場合:お金が一番。
次に、家族関係のバランスを取るストレス。
その代わり、体の自由と時間のゆとりを得ています。

③今いちばん困っていること(1行でOK)

困りごとは、その時々で変わりますよね。

私の場合:親戚同士の意思疎通の難しさ。
あと、義母の持ち家(空き家)をどうするか問題。

「私だけじゃない」
そう思えるだけで、呼吸が少しラクになることがあります。

少しだけ吐き出して、新しい空気を入れてみませんか?



いいなと思ったら応援しよう!

カオナシ|50代、自分と話そう。 ☕読んでいただきありがとうございます。 このnoteが心に残った方は、チップで応援してもらえるとうれしいです