義母が施設に入っても、心はずっと「待機中」だった|介護友たより #1
親が施設で暮らしていると、
スマホが鳴っただけで、
「何かあった?」と身構えてしまうことはありませんか?
スマホが鳴った。
「施設からかも」
ドキッとして反射的に画面を見る。
施設からの電話ではなかった。
それだけで、ホッとした。
そして次の瞬間、
「何をそんなに怖がってるの?」
と、少しだけ自分を責めた。
義母が施設に入ってから、
スマホの着信に敏感になりました。
施設から電話があるからといって、
悪い知らせとは限りません。
持ち物の確認かもしれない。
薬や受診についての、
ちょっとした連絡かもしれない。
それでも電話が鳴ると、
「何があった?」
と身構えてしまいます。
というのも以前、施設から
「義母が転んだ」と連絡があり、
そのまま入院、手術になったことがあります。
その記憶が残っているからかもしれません。
介護をしていると、
「何も起こらない日」が
ありがたいと感じるようになりました。
施設から電話がない。
病院の予定もない。
親からの連絡もない。
何もない。
ただ、それだけでホッとする。
介護が始まる前は、
何も起こらないことなんて
当たり前だったのに。
私は毎朝、Threadsで
介護の本音を安心して話せる
「介護友Threads」を続けています。
先日、
「何も起きていない日がありがたい」
という話をしました。
すると、こんな声が寄せられました。
親をデイサービスに送り出しても、
頭のどこかがずっと緊張している。
施設から連絡が来ると怖い。
でも連絡がなければ、
「ちゃんとご飯を食べているかな」と、
それはそれで心配になる。
「あっても心配。なくても心配」
介護って、
そんな矛盾の中にいることなのかもしれません。
実際に介助をしている時だけが、
介護ではないんですよね。
離れていても、
何もしていないように見えても、
頭の片隅ではずっと、
次に何か起こるかもしれないと
身構えている。
心はずっと待機中なんです。
だから、
何もしていない一日なのに
疲れていることがある。
でも本当は、
何もしていなかったわけじゃない。
ずっと気にかけていたんですよね。
じゃあ、どうしたら
心まで休めるのか。
正直、私にも分かりません。
「今日は休んでいい」
そう思っていても、
スマホが鳴れば、
やっぱり画面を確かめてしまいます。
体を休めることはできても、
心まで休むのは、
思っているより難しい。
介護の予定がない日。
あなたの心は、休めていますか?
「私も同じ」だけでも、
よかったら聞かせてください。
この「介護友たより」は、
毎朝の介護友Threadsに寄せられた声と、
私自身の介護経験から生まれています。
話したくなった日は、
いつもの介護友Threadsへ。
「おはよう」だけでも大歓迎です。
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