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運を捨てる人、拾う人✧♡


 4月から始めたウォーキング、続いています。

 桜の誘いから毎年、始めるこのウォーキングの目的は、始めは、ダイエットだったが、そのうちに、朝歩く気持ちよさに、ダイエットは、二次的な目的になった。始めた頃は、イヤホンして、好きな音楽を聴きながら自分を盛り立てていたが、今は、小鳥の声や風のそよぎを聴いている。
 足は地球を踏みしめ歩き、五感で、自然の中に没入していく。


白く生まれた花たちが赤く染まって今咲き誇る

 万葉の昔とアクセスし、自然と歌が詠める時間。

 ただ、歩く。

 考えが浮かぶ時もあれば、考えが抜け落ちて、ただカラダだけになっている時もある。

 ここ数年、ただ歩くことに、拾うことが加わった。

 小枝やまつぼっくりや、折れた桜の木の枝を細かく折りながら手提げに詰めて歩く。姉の家の薪ストーブの火付けに役立つからだが、ただ単に拾うのが面白い。
 桜の花が美しくても、ただ地面ばかり見ている自分は犬の様だ。


八重桜の三人姉妹


 今年から、筋肉に負荷をかけようと、階段の昇り降りを加える。
 
 出会う階段をとにかく昇り降りしてみる。

 階段の大きさに合わせ、幅90㎝ぐらいを1回とし、2倍に広かったら、2回、一番広い階段は8回ぐらい昇り降りしている。

 これは、次なる神社旅に備えているのだが、とにかく神社というのは階段の昇り降りが多い。階段を昇っていると、重力に逆らって自分の体重を持ち上げることに苦労し、降りていると、重力からの解放に驚く。

 どんな凄い階段や登りに出会っても、なんとか行ける自分でありたい。

 階段、という普段歩かなかった場所を歩いてみて気が付いた。階段のそばには、タバコや、鼻紙が落ちている。

 道にはジュースや缶ビールの缶。汗拭きのシート。

 公園の道には飴やガムの紙やレシート。

 小枝と一緒に別な袋に拾い始めた。

 近所に住むTさんは、もう何年も、ボランティアでその仕事をしている。
 時々、すれ違ったり、出会って挨拶をする。
 私は小枝目的だが、Tさんは、ゴミ拾い目的で、手にはスーパーの透明な袋と、デレキを持っている。


水溜まりの空


 私も、年に数回、おかしなゴミに遭遇することがある。

 ある時は、本人のコレクションであると思われるエロDVDが大量に道にぶちまけてあった。
 面白いので覗き込みたいが、そんなもので朝の爽やかな空気を汚したくもない。一周して帰ってくるとゴミはすでに無かった。そんな変なものが落ちていないだけで、ホッとした。

 ある時は、オサレなカフェにあるようなレモンやハーブをいれておいて蛇口をひねれば出てくるようなサーバーや、台所用品が川の土手にぶちまけてあった。どう見ても、ある男女の痴話げんかの結果としか思えない。数日後、消えていたから、頭を冷やしてまた部屋に戻したのかしら?

 またある時は、燃えるゴミの袋に、瓶や缶が詰め込まれて川端に置いてあった。これは明らかに、自分でゴミを分別する気もない確信犯だ。
 呆れながら、家が近かったのでそのまま持ち帰ってきた。そしてゴミを分別しながら捨てたのだが、そこには、職場からの今までありがとうの手紙や、頂いたお菓子なども入っていた。ほぼ食べないで、犯人(ホシ)が捨てたことを知る。しかも宛先に犯人の名前も書いてあった。
 推理するに、3月とかお別れの季節でもないのに、年度途中で何らかの理由があって、会社を立ち去ることになった。しかし、その適当なゴミ捨ての仕方からして、部屋で自分が料理を作るような人間でもないし、人がくれたお菓子も平気でゴミ袋につめて、赤の他人に片付けさせるような男だ。急な転勤と引っ越しを迫られた若い男を想像して、やれやれ、と思った。

 後日、交番に行って、川べりにこのような不法投棄があって、本人の名前も知っているんですが、こういう人を警察で取り締まれないのですか?と質問したが、それはちょっと、という話だった。


電線に引っかかる所を伐られながら頑張る桜


 タバコのみを始めとする、こういうゴミを捨てる輩はいったいなんなのだろうか?

 文字通り、輩(やから)と呼びたい連中のことである。(神さまナシナシ!)

 しかし、私は小林正観教で、五戒(不平不満・愚痴・悪口・文句・泣き言)を極力言わないように気をつけている人間だ。
 彼らを呼ぶ、もっといい呼び名は無いものだろうか。


花のように光る紅葉

 ある日、2日続けて同じような場所で缶ビールの缶を拾う。
 この缶ビールは同じ男だろうな、と思った。ゴミを捨てている人は、ゴミの数、存在するのではなく、いつも同じ人で10人ぐらいしかいないのではないかとふと思った。

 そしてその人は社会や自分の人生にどこか不満を持っている。こんなクソみたいな世の中!と言いながら煙草を吸って、酒を呑んで、地面に何か捨てていく。きっととても心の寂しい人間だ。

 その人が捨てたものを、たまたま私が拾う。
 その人がまたそこに来た時に、自分が置いてあったタバコの吸い殻が無いことに気が付く。俺のゴミを拾う人間がいる?と男は考える。
 ここは、そういうゴミを拾うような人間の住む町だ。

 まんざら悪くないと思うのか、何も感じないのか、もっと捨ててやれと思うのか。

 ゴミを捨てる者と拾う者のコミュニケーションが成り立つ。


風の木

 そんな時、本かnoteに、面白いことが書いてあった。

「ゴミを捨てる人は自分の運を捨てている人。

そのゴミを拾う人は他人が捨てた運を拾う人」


 なるほど!それはいい考えだ💖

 他人のゴミをなぜ私が拾う?と考えるとモヤモヤするけど、自ら自分の運を捨てている残念な人のゴミを拾った私は、その人の運までもらって、ラッキーになると考えると、とても嬉しいではないか( ゚Д゚)

 さりげなくゴミを拾う大谷選手をかっこいいと思っていたが、私にも出来そうな気がしてきた💛

 後日、Tさんとばったり会って、
「ゴミを捨てている人っていつも同じ人のような気がしませんか?」
と質問すると、同意してくれた。
「1年に1度ぐらい、手つかずの調味料を同じ場所に捨てている人がいるんだよ」と、今日拾ったという味ぽんや胡麻ドレッシングを見せてもらった。

 賞味期限はとうにすぎた瓶を未開封で捨てる、不思議な人だ。興味があるから買うが、中身を捨てて、資源ごみや燃えないゴミに出そうと言う考えがない?または、自分では料理をしない男で、母親や彼女が親切で置いて行ったものが賞味期限が切れた?とか、妄想は尽きない。

 事実、そんな風に奇妙なゴミ捨てをする人は世の中に存在する。


 捨てた人も、変な話だが、Tさんに拾ってもらってホッとしているのかもしれない。


 私はTさんにゴミは運だという話を教えて、Tさんは相当に運を溜めていますよと2人で笑った✧♡



野原の幸運✨


(ゴミを捨てるのは皆、男と断定してゴメンねw🙇)





 

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