1.17
今年もこの日がやってきた。
私が住む地域は、この日を忘れずに風化せずに伝え続けてきた。私たちがこの日を忘れてきたことはなく、これからも忘れることはない。
子供の頃は、給食の献立が魚肉ソーセージとおにぎりにするための海苔そして豚汁が出で1月17日が誕生日の友人が可哀想だった。
また、私は子供の頃から、この日が近づくと学校で避難訓練や映像教材などを見ていた。映像の迫力は凄まじく、見覚えのある大きな高速道路が倒れている絵は一生忘れないだろう。こんな寒い日の5時46分に地震が起こり、全てが崩壊したことが私は想像できない。そして、私がその当時地震を経験したらどうするのかどうなっていたのかと考えるが、生きている自信は無い。震災を経験していないが、こう感じるほどあの震災は凄まじかった。今この地域がこんなに栄えているのが不思議である。どれだけ復興のために頑張ったのだろう。必死に生きようとしたんだろう。本当に凄い。命のバトンを絶やさず私も次の世代に繋げていかなくてはいけないと、このノートを書いていて感じた。
つくつぐ私が生きていることを不思議に感じる。
こんなにも大きな震災が起こってしまったのにも関わらず、私は両親から命を授けられ私の周りにも人がいる。生きていることは奇跡なんだなと考えさせられる。本当に生かされていることに感謝する。
阪神・淡路大震災による兵庫県全体の死者、行方不明者は6400人以上である。これは、早朝で朝ごはんを作っていたことや古い木造建築が主流だったことから火災による2次被害が起きてしまったことも関係する。加えて、消防車が通れるような道路に整備されていなかったことや家屋が密集しており、冬で空気が乾燥しており燃えやすく広範囲に炎が広がってしまった。資料を漁っていると、この震災の凄まじさを改めて実感した。
少し話が逸れるが、神戸には「阪神・淡路大震災記念 人と防災未来センター」というのがある。これは、震災の経験と教訓を後世に伝えこれからに備える学習施設である。全ての災害を防ぐことはできないが、減らすことには繋がると私は考えるため是非一度この施設に足を運んでいただきたい。日本は周知の通り地震大国である。私もこれからの人生で、一度は大きな災害に遭うだろう。だが、窓ガラスの破片が飛び散らないためにカーテンをしたり、避難の時に破片で足を怪我しないためにスリッパをベッドの近くに置いたりという減災をしている。また、小学校の頃同級生が「最後の言葉を大事にする」ということを発表していた。どういうことかというと、最後に話した言葉で後悔しないようにすることである。「大っ嫌い」のような悪口やチクチク言葉で会話を終わらせるのでは無く、「行ってきます」や「ありがとう」など、思い出した時にこれで良かったんだと思えるような後悔しない言葉を発するように私も心がけている。言葉足らずで、伝わらなかったらすみません🙇
ここまで読んでくださりありがとうございます😭当時のトラウマを思い出させてしまわれた方は申し訳ございません。皆様が、幸せに何事も無く過ごせることを願っております。
私たちが歌い継いできた曲がある。「しあわせ運べるように」を是非皆さんに聞いていただきたい。
神戸市歌「しあわせ運べるように」は、阪神・淡路大震災から約2週間後に、当時中央区吾妻小学校に勤務されていた臼井真先生が作詞・作曲しました。
市内では、各小学校をはじめ、追悼式典・ルミナリエ・成人式等で歌い継がれています。
