怪談好きな宮司のいいわけ
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神主が怪談に親しむには理由あり?
なぜ神主のくせに怪談を書いたり、コワイ話題をたまにあげるんだ?
もしかしたらそう思われる方がいるかもしれないので、ちょっと考えてみた。
まず、子供の頃から怪談は好きなのだが、ホラー、オカルト全般が好物なのではない。
映画はまず観ないし、小説、まんがも同様。
今は本当に狭い範囲。実話怪談にカテゴライズされるものにしか、手が出ない。
その中でも、昔の活字媒体に発表された、読者の投稿作品が好物である。興味がそそられるし、おもしろい。
編集者の手が加わっているにせよ、体験した人にとってはまぎれもない真実。
ときに饒舌、ときに真剣、独特のなまなましさがある。
それに昔の人は読書量も多かったからか、文章じたい味わい深いことも多い。
ちょっと怪談師の怪談は苦手なのだ
最近は怪談師という方がおられて、YouTubeで語ったり、本を出したりしている。
取材して怖い話を聞き、それを語るという人がほとんどだろうと思う。
当然、怖さを最大限に高めるべく編集した上で、ひとつの話とされているはず。
そこはプロだから洗練されているし、見聞きして楽しむことはいちおうできる。話のうまい人も多い。
それでも私には、何かが足りないのだ。
あと、キャーとかギャーとか、声を張りあげるタイプの方の話も苦手だ。静かにしてもらいたいと感じてしまう。
特に女性のキャーとかギャーが苦手だ。子供の頃、母によく叱られたことを思い出してしまう。恐怖体験談より母親の方がよっぽどコワイ。
怪談に親しむほんとうの理由
と、ここまでで違和感をおぼえた方は鋭い。
コイツ怪談が好きだなんて言って、全然怖さを求めてないのかよ。
そう思われた方は正しい。
まったくその通りで、じつは怪談に親しむのは仕事がらみなのだ。こういう怖いことがあったと相談されたときにどう対応しようかと、シュミレーションしたいのである。
だから、投稿された恐怖体験談から聞こえてくる生の声が、おおいに役に立つのである。
環境要因、錯覚、考えすぎ、思考の飛躍、認知のゆがみ……。
体験者の語ることは合理的に解釈できることも多い。だが、決して責めたいのではない。
ある奇怪なできごとに遭遇したとき、人はそういうふうに考えたり、行動したりするんだとインプットするまで。
似た体験をした、同じ目にあったと、相談されたときに備えて。
幽霊は小説の登場人物のような
こんな態度なのだから私が書いた怪談にしても、恐怖を追求しようとする人には物足りないだろう。
ただ、ここで指摘しておきたいのは、幽霊なり、心霊なりは、体験者自身の思考や感情を投影しているのでは、ということだ。
もっと故人にこうしてやればよかったとか、あの人にこうすべきじゃなかったとか、さまざまだろうが。
そしてこれ、われわれが小説を読むとき、登場人物に感情移入するのによく似ている。
ひょっとしたら幽霊は案外、小説の登場人物のような存在なのかもしれない。
今日の一句
この森は蝦夷仙入の声のみす
季語:蝦夷仙入(初秋・えぞせんにゅう)
この鳥、鳴き方がホトトギスに似ているのでエゾホトトギスとも。
北海道では「じょっぴん、かけたか?」と聞きなすことがあります。
じょっぴんは鍵のこと。
本州では「てっぺんかけたか」ですかね。子供の頃、手塚マンガで見た記憶があります。
きのふの猫

暑いのは今日まで……といっても30℃の予報。
猛暑酷暑に耐えてこられた方に、ぶっ叩かれそうですね。
ではでは今日も一日、お元気で。
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