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番外編|同じ「一致」でも、目指している場所は違う

ズレているのに納得している人がいる。
ズレていると、もう納得できない人もいる。

今回は、

自分の意見ははっきりしているのに、
生きづらそうに見えていたママ友の話。

ここを理解できると、
また一つ、見方が変わると思います。


Mちゃんは、
いつも決断が早かった。

何かを決めるときに、
「間違ってないかな」
みたいな迷いがほとんどない。

相手の気持ちもわかりすぎる人だから、
「どう思われるか」は、気にはしているけど、
それが、自分の判断の主軸にはならない。

話していても、
言葉がブレないし、
自分の意見がはっきりしている。

芯がある。

「自分軸がしっかりしている人」
そんな印象を受けるタイプ。

すごく分かり合えて、話が弾むし、
私も、
「この人は、かなり整ってるな」
と思っていました。

でも、同時に、
ずっと引っかかっていた感覚もありました。

人と深く関わることへの不安が、強い。

人との距離感には慎重で
警戒しながら人付き合いをしている。

それは、本人も
「信頼できる人じゃないと深く付き合えない」
と言っていて、
地域の行事や出席必須ではない学校行事など
極力参加しなくていいものは「しない」という
潔さ。

自分の意見ははっきりしているのに、
人との関係になると、
緊張が抜けない。


その姿を見て、

「”整う”ってどういうことだ?」
と考え始めました。

そして、

「もっと深ぼったら、
人との恐怖心ごととれて、
もっと生きやすくなるんじゃないか」

と余計なお節介を焼き始めました。


構造で見ると、
Mちゃんは典型的な
元々新OS判断をしているタイプでした。

新OSタイプの特徴は、
最初から判断基準が「自分側」にあること。

これ、私はどう感じる?
これ、無理してない?
これ、納得できる?

この問いが、
無意識レベルで自動起動している。

だから、
役割や期待よりも先に、
自分の感覚が立ち上がる。

結果として、
大きなズレが起きにくい。

無理を前提にしないし、
我慢を美徳にもしていない。

「ちゃんとしているか」より、
「一致しているか」が基準。


設計として、元々、新OS基準を自分の判断軸として
採用できている人って、

自己一致も必要だけど、
ズレの許容量も広いように思う。
「必要な場所にはその基準やルールに合わせる」
という柔軟さを持っている。


8割くらい納得していればOK
多少違和感があっても、
「ま、こんなもん」と流せる許容量もある。

それでも、
本音を完全には殺していない状態で、

仕事、家庭、人間関係
を回しながら、

ズレた部分は、趣味や息抜きで
解消できる仕様になっている。


だけど、Mちゃんをみていると、

生活は回っている。
本人の中では、ちゃんと成立している・・・。

ただ、私が想像していた「一致」とは、
少し違って見えました。

「こんなに人を警戒しながら生きるものなのか?」
っていう感覚が強く引っかかっていました。

判断はブレていない。
自分の選択にも納得している。
でも、人との関係になると、常に一線を引いている。

どこか張りつめているようにも見える。

私の感覚では、
「一致しているなら、自分らしさのままでいられるはず」
と思っていたからです。


私の通ったルートを振り返ると、

私の設計では、人生のあるフェーズで、
完全なる一致を求められました。

完全一致で納得がないと、
全く一歩も進めないフェーズ。

その全く一歩も進めない期間を抜けるのに
4年かかりました。

なんの手応えもない、
このままの人生でいいのだろうか
という疑問が湧いてくる息の詰まるフェーズ。

(後に、魂の仕事は完全一致、
生活は納得の上選択していれば回るフェーズになるから
安心して)

だから、距離を取ることすら
「ズレ」や「逃げ」に見えていました。

だから、Mちゃんの状態は、
「なんか生きづらそう」だと見えるし、
それは、なんとかなるものだとわかるし、
なんとかできないものかと思ってしまった。

でも、大事なのはここでした。

Mちゃんは、人との関係に距離をおくことで、
安心して過ごしている。

それでよかった。

それ以上、深掘る必要もないし、
そこで生活が回ればOK、十分幸せ。

神経を緩めないことで、
安心が保たれている人もいる。
私が”ゴールだと思っていた一致”とは違うだけで、
間違いではなかった。

私が「生きづらそう」と感じていたのは、
本人の選択がズレていたからではなく、
私自身の求める”神経を共調させて生きる一致”を
前提にしていたからだったのかもしれません。

当時の私は、

「もっと楽になれるんじゃない?」

「もっと緩めるんじゃない?」

と考えていた。

でも今は思う。

そもそもMちゃんは、そこを目指していなかったのかもしれない。

私は、人間関係も感覚も神経も全部一致させたい設計だった。

でも、Mちゃんは「ここで十分」が成立する設計だった。

どちらが正しいでもなく、求めるゴールが違っただけだった。


元々新OS判断基準を採用して生きているタイプの人は、
「自分の感覚を基準にしていい」
という前提で生きています。

だから、
私たちが必死で
今までの判断を疑って、
壊して、揺れて、確認してきたものを、
最初から通らずに済んでいるんです。

最初から自分基準で生きることを学ぶ設計

私たちが必死で壊してきた工程を通らない代わりに、
彼女達は彼女達の場所で
人間関係や社会との折り合いを学んでいる。


私たちが
「それでいいの?」
と思う生き方を、

自分のブレのない判断で選んで、
「普通に幸せ」
で生きている。

逆に、
私の生き方を
「なぜそんなに深刻?」
と見ているだろう。

これは、もはや設計の違い。


これを理解していると、

旦那、親、世間
との分かり合えなさが、
仕様として見えるようになると思います。

一致とか、ブレのない判断とか
同じ言葉を使っても、
同じ場所を目指していない。

ここを知らないと、

「なんでこの人は、深く行かないんだろう?」
「なんでここで止まれるんだろう?」

って、
余計な心配をしてしまうし、
わかってもらえない感覚が残る。


ズレているのに納得している人がいる。

ズレが少なく、迷わず進める人がいる。

そして、

ズレたら止まらず、
最後まで通らずにはいられない人がいる。

どれが正解というわけでもない。

当時の私はここで終わっていた。
でも今の私はさらにその先をやっている。

※この記事は連載の補足(番外編)です。
前提や構造から読みたい方は、こちらのマガジンからどうぞ。
👉「人生は進んでいるのに、次のフェーズが来なかった理由」


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