風呂場で抜けた髪を数えるのはもうやめよう。
風呂から上がる。
身体を拭く。
何気なく、排水口を見る。
髪がある。
昨日より、多い気がする。
急に気になる。
シャンプーが悪かったのか?
最近寝てないからか?
仕事のストレスか?
AGAが始まったのか?
そして次の日から、髪を数え始める。
今日は38本。
昨日は27本。
ドライヤーで8本。
枕に4本。
でも、最初に言っておきたい。
その数字、思っているほど役に立たない。
なぜなら、今日あなたの頭から落ちた髪は、
「今日、抜けることを決めた髪」ではないからだ。
髪には、
かなり長いタイムラグがある。
ここを知らないと、抜け毛を見るたびに振り回されることになる。

髪は、今日のあなたと関係ない
たとえば、3か月前。
仕事がめちゃくちゃ忙しかった。
睡眠も乱れた。
あるいは高熱を出した。
急激に体重を落とした。
大きな手術をした。
身体にとって強い負荷になる出来事があった。
そして今日。
シャワーを浴びたら、髪が大量に抜けた。
普通はこう考える。「最近、何か悪いことしたかな」
でも髪の世界では、原因と結果が同時に起きるとは限らない。
代表的なのが、
休止期脱毛(Telogen Effluvium:TE)
だ。
毛髪には、
成長期(anagen)
退行期(catagen)
休止期(telogen)
というサイクルがある。
身体に大きな変化が起こると、一部の毛髪が成長期から休止期へ移行することがある。
でも、その瞬間に床へ落ちるわけではない。
時間が経ってから抜ける。
休止期脱毛では、誘因となる出来事の数か月後に、びまん性の抜け毛が目立ってくることがある。
つまり、髪は身体から届く「遅延メール」みたいなものだ。
今日届いた。
でも、送信されたのは数か月前かもしれない。
だから、
「昨日寝不足だったから今日髪が抜けた」
みたいな話は無いし、少なくともそんなに単純ではない。
身体はLive配信ではない。
人は、「抜けた髪」だけを見てしまう
ここが面白い。
失ったものは数えられる。
排水口に落ちている。
枕についている。
手についている。
だから気になる。
でも、今この瞬間に育っている髪は数えられない。
頭の上にあるからだ。
AGAの話で本当に重要なのは、むしろこっちだった。
前回書いたように、AGAでは毛包のミニチュア化が起こる。
成長期が変化し、
太く長かった毛が、
徐々に細く短い毛へ変わっていく。
だから、
ある人が今日70本抜けた。
別の人が今日30本抜けた。
それだけを見て、
「70本の人のほうがAGAが進んでいる」
とは言えない。
見るべきなのは、床に落ちた髪だけじゃない。
頭に残っている髪が、どう変わっているか。
こっちだ。
「1日100本までならセーフ」という謎の数字
薄毛について調べたことがある人なら、たぶん一度は見る。
「髪は1日50〜100本くらい抜けても正常です」
謎のこの数字。
今日は64本。よかった。セーフ。
101本。終わった。AGAだ。
そんなわけがない。
そもそも日常生活で、
1日に抜けた毛を正確に回収すること自体が難しい。
風呂。
枕。
服。
会社。
電車。
外。
知らないうちに抜けた毛もある。
シャンプーをしなかった翌日は、まとめて目につくかもしれない。
季節や洗髪習慣による変動もある。
100という数字の手前に巨大な安全地帯があって、101から崖になっているわけではない。
医学はそんなゲームではない。
正常な頭皮でも毛周期に伴って日々毛髪は脱落する。
だから、数十本の髪を見つけたこと自体で、病気が決まるわけではない。
大事なのは、本数より「変化」だ。

じゃあ、何を見ればいいのか
数か月前の自分と比較する。
たとえば、
生え際。
以前より後退していないか。
頭頂部。
以前より地肌が見えやすくなっていないか。
髪そのもの。
太い毛の中に、細く短い毛が増えていないか。
セット。
同じ髪型なのに決まりにくくなっていないか。
写真。
半年前と比べて印象が変わっていないか。
AGAは典型的には、前頭部・生え際・頭頂部などにパターンを持って進行する。
そして、その背景では毛包のミニチュア化が起きる。
だから、「今日何本抜けたか」より「半年で頭がどう変わったか」。
こっちのほうが情報量が多い。
体重も同じ。
昨日70.2kg。
今日71.0kg。
「一晩で800g太った!」
とは普通は考えない。
水分もある。
食事もある。
排泄もある。
測定条件もある。
だから、トレンドを見る。
髪も似ている。
一点ではなく、線で見る。
ただし、「急に大量に抜けた」は別の話
ここまで読むと、
「じゃあ抜け毛は全部無視していいのか」
となる。
それも違う。
急に抜け毛が増えた。
頭全体から大量に抜ける。
円形・斑状に抜けている。
頭皮に赤み、強いかゆみ、痛みなどがある。
こういう場合は、
AGAとは違う原因も考える必要がある。
たとえば先ほどの、休止期脱毛。
身体的・生理的ストレス、発熱性疾患、急激な体重減少、手術、栄養状態、薬剤、ホルモン変化など、さまざまな要因が関連しうる。
そして脱毛症はAGAと休止期脱毛だけでもない。
円形脱毛症。
瘢痕性脱毛症。
感染症。
炎症性の頭皮疾患。
その他にもある。
だから、全部を「AGAかも」で片づけるのも危ない。
ネットは、
症状を入力すると、だいたい一番怖い答えを返してくる。
言わずもがな、身体はそんなに単純じゃない。
気になる変化が続くなら、皮膚科などの医療機関で確認する。
結局、それが一番早い。
ここから重要
ここまで、「抜け毛を数えなくていい」という話をしてきた。
でも本当のポイントは、そこじゃない。
なぜ人は、
排水口に落ちた30本の髪には気づくのに、頭に残っている何万本もの髪にはほとんど興味を持たないのか。
なくなった瞬間、価値が生まれる。
髪だけじゃない。
睡眠もそうだ。
眠れなくなって初めて、睡眠を調べる。
腰もそうだ。
痛くなって初めて、姿勢を考える。
歯もそうだ。
痛くなって初めて、歯医者へ行く。
体力もそうだ。
落ちて初めて、「昔はもっと動けたのに」と思う。
人間は、身体が正常に動いている間、その身体をほとんど見ていない。
身体というのは、壊れてから急に存在感を出してくる。
それまでずっと一緒にいたのに。
「変わってから見る」から、「変わっている途中を見る」へ
30代を過ぎると、身体は少しずつ変わる。
髪。
肌。
睡眠。
体脂肪。
筋肉。
疲労の抜け方。
酒の残り方。
集中力。
回復力。
でも、どれもある朝突然、「本日より老化を開始します」
とは言ってくれない。
静かに変わる。
だから、昨日と今日を比べても分からない。
でも、3年前と今日なら分かる。
老化とは、毎日見ていると気づかない変化の集合体なのかもしれない。
髪は、それをものすごく分かりやすく見せてくれる。
抜け毛一本に怯える必要はない。
でも、「前とは違う」という感覚まで無視する必要もない。
数えるのではなく、
見る。
怖がるのではなく、
知る。
そして必要なら、
医療に聞く。
僕たちが頭に時間を使う意味も、たぶんそこにある。
髪を生やす魔法をかけるためじゃない。
普段ほとんど見ていない自分の身体を、一度ちゃんと見るためだ。

30秒でわかる|抜け毛が増えたらAGA?
抜け毛が増えただけでは、AGAとは判断できません。
正常な毛髪も毛周期によって日々抜けます。
AGAでは、単純な抜け毛の本数だけではなく、生え際や頭頂部などのパターン、毛髪の細さ・短さ、毛包のミニチュア化などが重要になります。
また、急激で広範囲な抜け毛では、休止期脱毛をはじめAGA以外の原因も考えられます。
抜け毛の急激な増加や薄毛の進行、頭皮症状などが気になる場合は、皮膚科などの医療機関へ相談してください。
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髪だけではなく、その土台となる頭皮。
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PREVIOUS JOURNAL
AGAとは何か。「ハゲる」の一言では説明できない、男性の髪の話。
NEXT JOURNAL
生え際か、つむじか。AGAはなぜ「そこ」から始まるのか。
同じ頭皮なのに、
前は薄くなる。
頭頂部も薄くなる。
なのに後頭部は残る。
数センチしか離れていない毛包に、なぜこんな差が生まれるのか。
次回は、「髪には住所がある」という話をします。
REFERENCES
・日本皮膚科学会「男性型および女性型脱毛症診療ガイドライン 2017年版」
・Liu Y, et al. Androgenetic alopecia. Nature Reviews Disease Primers. 2025.
・Kuczara A, et al. Trichoscopy of Androgenetic Alopecia: A Systematic Review. Journal of Clinical Medicine. 2024.
・Malkud S. Telogen Effluvium: A Review. Journal of Clinical and Diagnostic Research. 2015.
・Jimeno Ortega I, Stefanato CM. Telogen effluvium: a 360 degree review. Italian Journal of Dermatology and Venereology. 2023.
※本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、医学的な診断・治療を目的とするものではありません。急激な抜け毛、進行する薄毛、円形・斑状の脱毛、頭皮の赤み・痛み・かゆみなどが気になる場合は、皮膚科などの医療機関へご相談ください。
