計画的偶発性理論が導いた私のキャリアと、ここから繋がる未来について考える
こんにちは、水無瀬あずさです。
やってきましたね、2月!我が家にとっては長男くんの高校受験がある運命の月であります。感染症対策のため、長男くんは火曜日から受験が終わるまで自主休校。ここでインフル・コロナをもらってきてもシャレにならないので、家にこもって追い込み勉強を頑張っているようです。がんばれ!!
ちなみに、実は私も長男くんの受験が終わるまでゲーム断ちしています。何となく願掛け。解禁したら、メタファーリファンタジオをするんだ!
ということで今回のnote、テーマはズバリ、キャリアです。駆け出しの副業Webライターの頃からずーーーっと悩まされ続けているヤツではありますが、4年目ともなれば少しずつ見えてくるものもあります。
キャリアとは人生そのものであり、その人の生き様であり、在りようである。これが私なりのキャリアの解釈ですが、そうやって見たとき、私のキャリアって何と偶然によって導かれたものばかりなんだろうかと愕然としたんですよね。キャリア論には計画的偶発性理論という考え方があるんですが、私はまさにそれだなあと思いました。
流れ流され、もがき掴まって漂着した先が、今この場所で本当に良かった。私は本当に運が良かったと思う反面、いつだってここぞという局面で、その時の「最善の選択」を掴み取ったからであって。実は運じゃなくて実力じゃない?とも思うわけです。努力しても必ずしも報われるわけではないけど、努力しなきゃ変化は訪れないから。変わりたいと思う人ほど、たとえ行く先が見えなくても手を伸ばし、足掻くことが大事なんじゃないかなあ。知らんけど。
そこで今回は、3年越しのキャリア論。「キャリア」「計画的偶発性理論」「選択」をテーマに、私の半生を振り返ってみたいと思います。もし今キャリア迷子になっている人がいたとして、とりあえず一歩踏み出してみようって、前を向いてみようって思う1つのきっかけになれたらとても嬉しいです。最後までよろしくお付き合いください!(今回もとても長いです)
計画的偶発性理論とは
ライターのお仕事でキャリアに関するカンファレンスのレポート記事を担当しました。その中で出てきたのが、今回ご紹介する計画的偶発性理論という考え方です。
(この記事は私が書いたものではないですが、カンファレンスは同じなので掲載しておきます)
計画的偶発性理論(Planned Happenstance Theory) は、ジョン・D・クランボルツ(John D. Krumboltz) が提唱したキャリア発達理論の一つです。
キャリアというものは往々にして大半が計画通りに行くハズもなく、予期せぬ出来事によって形成されていくものですよね。しかしその偶然をポジティブに活かすことで、より良いキャリア選択につながるというのが、計画的偶発性理論の主となる考え方です。ここでポイントとなるのは、偶然が偶然を呼ぶ連鎖の中で、「偶然を意図的に引き寄せる」こと。偶然を「待つ」のではなく、自ら機会を作り出す。積極的に行動し、学び続けることが重要とされています。
計画的偶発性理論において、クランボルツは、偶然を活かすために必要なスキルとして、次の5つ挙げています。
好奇心(Curiosity)=新しいことに興味を持ち、学び続ける姿勢
持続性(Persistence)=困難があっても諦めずに挑戦し続ける力
柔軟性(Flexibility)=変化を受け入れ、適応する能力
楽観性(Optimism)=未来に対して前向きな考えを持つこと
冒険心(Risk Taking)=新しい挑戦を恐れず行動する姿勢
興味のあることを見つけたらワクワクする心を持ち、何があっても「負けるもんかー!」って挑戦し続け、変化があれば「ま、そんなこともあるか」って受け入れ、「なんとかなるっしょ!」とひとまず前を見て、新しいことに果敢に飛び込むこと。たぶん多くの人が実践していることなんじゃないかなって思うんですが、そういうポジティブで好奇心旺盛な人のところに、計画的偶発性理論は成立するというわけです。
計画的偶発性理論の実践方法は簡単。1つ目は、目の前のチャンスを活かすこと。予想外の出来事にも積極的に関わっていくことですね。2つ目は、計画を立てすぎないこと。厳密なキャリアプランよりも、柔軟な方向性を持つことが大切です。時には成り行きに身を任せてみる、その勇気も必要ってことですね。そして3つ目、行動を増やすこと。興味があることは試してみる。さまざまな経験を積むことで、新たな可能性が広がっていくのです。
「キャリアは偶然の積み重ねでできている」という 計画的偶発性理論は、未来を完璧に計画するのではなく、偶然の出来事を活かしながら成長することを重視しています。新しいことに挑戦し、変化を前向きに受け入れることで、自分のキャリアをより良い方向へ導くことができるでしょう。
・・・と。ここまで、計画的偶発性理論についてとてもまじめに解説してみました。今すごく私、ライターっぽいですよね!!!ちなみにベースとなる文章はChatGPTが出力してくれたものです。私は肉付けして文章にしただけー。えっそんなんできるの!?具体的なやり方が知りたい!という方は、こちらの有料記事をどうぞ(いきなり宣伝)。
"偶然"が導いた私のキャリア
前置きが長くなりましたが、私もまさに計画的偶発性理論が当てはまると強く感じました。というのも私のこれまでの人生、まさに偶然が偶然を呼んで出来上がったようなものでして。今までは「ラッキー!運がよかったわ~」と思って生きてきましたが、計画的偶発性理論を知ってからは、「そうか、意外と偶然的必然だったのかもしれない」と考えるようになりました。では果たしてどのへんが偶然だったのかってことを、ここで振り返ってみたいと思います。
兄が浪人したから大学へ進学
noteでも割と吐き出している気がしますが、私には3つ上の兄がいます。実家のある名古屋で両親と同居していましたが、昨年3月に父が急逝し、その前に母は認知症でグループホームへ入居しており、現在は実家に一人暮らしです。
我が家の両親は割と昔気質な性格で、「男は大学へ、女は短大へ行くべし」という考えの持ち主でした。だから私はずっと、「お前は近所の短大に行くんだぞ」と言いつけられて生きてきました。母も、母の姉も、母の妹も通った女子短大。
とはいえ、そんなことも大して理解できていなかった私がまだ小6の頃、同級生が通っている塾へ行かせてもらえることになったのですが(当時習い事はほぼやらせてもらえなかったので頼み込んだ)、それが何と地元でも有名な進学塾で。何となく通っているうちに、周りに流されて中学受験をする雰囲気になってしまいました。
全然受験するつもりはなかったけど、「志望校をどこにする?」と聞かれたから、まあそこまで偏差値も高くない中高一貫の女子校を選択。当時塾通いはしているものの非常に不真面目だったので、受験対策など一切せず、ぶっつけ本番で受験して、まあ落ちるやろと思っていたのに、まさかの合格を果たします。びっくりだよ。
そこからあれよあれよと女子校通いを続けるうち、「あれ?なんか勉強、楽しいぞ」となり、中3あたりからメキメキ成績が伸び始めました。中1時点では学年最低点を取って母に泣かれたこともありましたが、気づけば学年で3位以内の成績になり、「でも短大かあ・・・」と気になり始めていたころ、転機が訪れます。兄が大学入試にすべて落ちてしまったのです。
兄について書くと長くなるので割愛しますが、彼は中学時代にいじめにあって不登校になり、苦労して入った高校が楽しすぎたようで、青春を謳歌しすぎた結果、浪人生になりました。
で、ここから。前述のとおり、両親は「男は大学、女は短大」という考えの持ち主でした。が、兄がこういう状況になり、そして私の成績はうなぎのぼり。とうとう中3の終わりごろ、父はいろいろ諦めたらしく、私に「行きたい大学があるなら、どこでも好きなとこに行っていい」と言いました。私の大学進学の道が、まさかの兄の浪人によって開かれたのです!
身内の失敗を喜ぶのは申し訳ないけど、私の人生はここが大きな転機だったと今は思うので、そういう意味で兄にはとても感謝しています(言ったことはないけど)。でも運がよかったと同時に、当時の私が受験のためでもなんでもなく、「楽しい」という理由だけで毎日勉強を頑張っていた結果、進学というご縁が転がり込んできたのだと考えています。成績が悪かったら、やっぱり大学へは行かせてもらえていなかったと思うから。そういう意味で、頑張っていてよかったし、運を引き寄せる力になったんじゃないかなあ。
就職氷河期でエンジニアに
花の大学生活を謳歌していた3回生の秋ごろ、悪夢のような就職活動が始まりました。何度も書いているように私は就職氷河期世代の割とどん底だったころ新卒を迎え、「書類は少なくとも100通送れ」と言われた世代です。今みたいに電子データの履歴書はなく、手書きで。そう手書きで、来る日も来る日も履歴書とエントリーシートを書き続け、お祈りメールに肩を落とす日々を過ごしました。まさに黒歴史。辛かったです。
最近になって就職氷河期がクローズアップされるようになってきたとおり、まあ新卒採用が絞られるという実に不遇な世代。とはいえ私は関西ではそこそこ知られた大学に通っていたせいか、周りはみんな優秀でですね。4回生の4月時点で、内定が出ていないのはゼミ生で私だけでありました。みんな大手企業に内定貰っていて、氷河期とは!?って思ったし、ああ自分はダメなやつだと凹みまくりました。
当時の私はマスコミ志望。新聞記者かテレビ局の報道局に行きたかったんです。でも軒並みダメでした。「あなたみたいな普通な子じゃね」「君の代わりはいくらでもいる」と面接時に鼻で笑われ、「テレビ局員、感じわるっ!」と思ったのも、今となっては懐かしい思い出です。
仕方なく就活の進路変更を余儀なくされたのですが、大企業の採用はほぼ終わっている段階で、選択できると言ったらもう
①大学院に進学して就活を先延ばしにする
②就職浪人する
③中小企業の営業職で就活する
④中小企業のSEで就活する
ぐらいしかなくてですね。①②は、苦しむ私を見かねて母が提案してくれましたが、「大学生活は4年ぽっきりのモラトリアム期間だ」と考えていたので除外。営業職なんて絶対無理だということで、消去法でエンジニアになりました。個人的な感想としては、大企業が無理だった同期は大体SEになっていました。つまりそういうことだよ。華々しい仕事じゃ全然なかったよ。
まあその後は会社がブラックすぎて心身ともにボロボロになったわけですが、おかげさまでこの時の経験があったから現在もエンジニアをやっております。辛かったし苦しかったしたくさん泣いたけど、スキルと経験が手に入ったし、かけがえのない友達にも出会えたし、多少のブラック環境でもへこたれない強い精神力は身についたし、悪いことばかりではなかったかな。そういう「転んでもただでは起きない」精神が、運を引き寄せてくれたのかなあなんて思ったりしています。とはいえブラック職場は撲滅してくれ。
そしてあの頃、マスコミに就職しなくて心底よかった!!とは今になって思うところです。まあ、「できなかった」ですけど。マスメディアがこれほどまでに勢いを失い、エンジニアが花形職になるだなんて、当時は想像もできなかったなあ。
そんなブラック職場も含めて、エンジニアとしての働き方を振り返ったコラムが先日公開されました。割と赤裸々にいろいろ書いたので、よければ読んでみてください→「SES・受託・自社開発、すべて経験したからこそ見えたキャリアの可能性」(コエテコcampus)
専業主婦が向かなすぎて派遣社員に
転職先で夫と出会い、結婚して退職。仕事のストレスがひどかったので、あこがれの専業主婦になりました。ところがどっこい、いざ専業主婦を始めてみたら、やることがない。料理・掃除・洗濯などの家事はするけど、当時はまだ子どももおらず、また働いていないので貯金もあまりなく、遊びに行くのもままならない。となると、家でテレビを見るくらいしかやることがないんですわ。
当時の私はゲームもやっておらず、今のようにリモートワークとかもない時代だから、家で働くとかもない。本当にやることがなくて、漫画を読むかテレビを見るか、駅前のTSUTAYAにDVDを借りに行くかみたいな日々を過ごしました。「私、何のために生きているんだ?」とだんだん心も荒んできます。
夫に八つ当たりし始めて、もうこれはダメだと諦めました。専業主婦は向かなかった。そう結論付けて、わずか1か月の専業主婦時代を経て、派遣社員として働き始めました。
大手企業2社で働き、妊娠を機に退職。どちらも名だたる大企業で、今となっては「よく採用してもらえたな」って感じなのですが、あれもいい経験だったな。特に2社目はベンチャーで、オフィスも原宿にあって、毎朝渋谷の駅ナカで立ち食いそばを食べたり、オフィス内にはコーヒーとか自由に飲めるコーナーがあったり、休憩スペースにマッサージチェアや卓球台があったり。友達もできたりね。本当に楽しかったです。
そういうご縁があったのも、「専業主婦、向いていないな」と思ったらすぐさま行動!という私の性格あってこそだったのかなと考えています。仕事って本当にご縁だから、あのタイミングじゃなかったら巡り合えなかったかもしれない。そう考えると、むかしから「せっかちすぎる」とよく友達にも苦情を言われたこの性格も、それほど悪くなかったのかなあとか思ったりしています。
「働く」ということについて真剣に考えて書いた過去記事は、こちら。
小銭稼ぎで怪しい在宅ワーク
子どもが生まれて、仕事をしたかったのだけど、当時はいわゆる「待機児童問題」で保育園に子どもを預けられない状況でした。とはいえ、まあ子どもたちの日々成長していく様子を見守れるのも今だけだしなと気を取り直し、いったん仕事は諦めて専業主婦に戻りました。
とはいえ、です。お金がない。夫の収入はおそらく年齢にしては多いほうなのですが、子ども2人いるとまあ出費がかさみます。そこまで浪費をしているつもりはなくても、旅行にはなかなか行けないし、かろうじて車で公園に出かける日々。やっぱお金が必要だよねということで、在宅でできる仕事はないか探しました。
当時は今のようにリモートワークで働ける仕事は限られており、「ライター募集、初心者」みたいなのに一度応募して話を聞きに行ったら、「10万円の教材で学んでからなら仕事をあげる」みたいなやつで、なんでやねん!!!となりました。初期投資はせずに働ける仕事を探していたのでお断りし、出会ったのが18禁青年マンガの編集という仕事でした。まさかの。
なんでこれに決めたのかというと、研修があったからです。だって普通に考えて、会ったこともない初対面の人に在宅の仕事を任せようって思いませんよね。普通の感覚なら、「仕事に慣れるまでは会社に通ってね」と言われるはず。だから、研修がなくすぐに仕事を始められて、かつ「頑張れば稼げます!」と宣伝している仕事はだいたいウソかいかがわしいやつだと判断しました。実際にはちゃんとしている仕事もあったのかもしれませんが。
ということで、題材はともかくちゃんとしている会社からの仕事として、エロ18禁マンガの編集をしました。具体的には、パソコンゲームの素材(背景素材、シナリオ、キャラクター素材など)をもらって、コマ割りのマンガを作るというもの。モザイクつきのイラストとか、正直初めて見たよね。使うツールは、まさかのPowerPointです。
この仕事、1本が確か3000円だったので効率は非常に悪かったのですが(今考えると3000円って安っ・・・)、ノルマとかもなく気が楽だったので、何だかんだで4年ほど続けました。無駄なエロ知識が蓄積されるのはいかがなものかと思ったけど、多少なりとも家計の足しにはなったので(本当に多少だったけど)、まあ経験として良かったかな。世のエロは実に幅広いという事実も思い知りました。触手系の良さだけは、一生分からない。
この仕事が果たしてキャリアにとってプラスに働いたかどうかは微妙なところですが、私が「在宅で働く」ということに触れる一つのきっかけになったときう意味では意義深いですね。また、PowerPointを駆使したいろいろなテクニックを習得するとともに、デザインってちょっと面白いなと感じ始めたのもこのころ。今の私のいろいろなスキルの礎になっているので、そういう意味では欠かせないキャリアだったのかなと感じています。
ちなみになんで辞めようと思ったかというと、小学生になった長男くんが私の仕事中にふとモニターを指さして、「ママ、どうしてこのお姉ちゃんは裸なの?」と聞いてきたからです。情操教育に悪い。すぐ辞めた!!
育児が一段落してエンジニア復帰
このへんからはもう最近の話になりますが、次男くんが小学生に入ったタイミングで、満を持して仕事を探しました。なんだかんだで学校行事があるし、当時はPTA本部役員として活動していてそこそこ忙しかったので、たまには休めるパートとして何かないかを探し、いきついたのが今の会社でした。このへんはnoteでもよく書いているので割愛。
会社が募集していたのはWebライター。当時初心者だったけど、書くのは好きだしなということで応募したところ、私の履歴書を見た社長から「エンジニアやらない?」と声を掛けられ、11年越しのエンジニア復帰を果たします。これまた本当にご縁というか、なんというか。あんなに辛かったエンジニアの仕事に救われる日が来るなんて・・・と不思議に思ったものです。人生本当に何が起こるかわからない。
これはもうまさに、あの辛かった就職活動、そしてブラックな仕事の日々が報われた瞬間だったといっても過言ではありません。いろんな伏線を今になって回収しているみたいだけど、それだってこのタイミングで「働こう」って思わなかったら、出会っていなかったかもしれない。そう考えると、すごい確率の偶然と必然が混ざり合った結果だったんだなあと思います。
コロナ禍でフルリモートワークに
ピンチをチャンスに、じゃないですが、コロナ禍で外出自粛、全国一斉休校が始まったタイミングで、仕事がフルリモートワークになりました。これは、社長もちょうど同じくらいのお子さんがいることもあり、私を含めた育児中のパートにとても配慮してくれたおかげでした。休校が決まった翌日出社したら、「明日からリモートワークにして」と言われてびっくり。行動力の速さに本当に感謝しました。いい会社を選んだなあ。
そもそもリモートワークって、私はコロナになる前からずっと希望していたんです。通勤で片道1時間かかっていたので、この時間がなければもっと働けるのにと思って。あと私は仕事柄、基本的に出社しなくても働けるというのもあって、かねてから社長に相談していたんですよね。でも社長からの答えは、「ほかの人がやっていないので難しい」でした。そりゃそうかーと思って諦めていたんです。
それがまさかの、です。降ってわいたリモートワークは、まさに私が希望していた通りの働き方で。怪我の功名っていうべきか悩むけど、コロナがあったから私は、希望通りの働き方を手に入れるチャンスを得たのでした。そしてリモートになったから、今ライターというお仕事もやっています。あらゆるものが巡り巡った結果として、私はエンジニアライターになったということなのです。
やっぱ運がいいだけじゃんって言われればそのとおりなんですが、でもコロナが済んでも「ずっとリモートワークのままでいいよ」って言っていただけたのは、私がリモートの状態でも会社に貢献し続けられたからだと思っています。いっぱい自動化を実現してあげたしね!そういう日々の頑張りや積み重ねがあったからこそ、ご縁や運が舞い込み、今の形に落ち着いたんです。
Connecting the DOTS〜未来のために、種を蒔こう
計画的偶発性理論の話をしたら、夫が「ジョブスが言っていたことに何か似てるね」っていうので調べました。「Connecting the DOTS」、Apple創業者スティーブ・ジョブズ氏のスピーチの言葉です。バラバラに見える情報や出来事が関連づけられることで、一つの大きな意味や結論を導き出せるということ。「未来は計画通りには進まないが、直感を信じて進めば、いつか意味を持つようになる」 という前向きな人生哲学として、多くの人々に受け入れられています。
私の経験した出来事も、経歴も、一つ一つの小さな点でしかありません。でもそれがたくさんあって、どこかとどこかがつながることで、あるいはつなげることで意味が生まれ、キャリアにさらなる広がりが生まれる。さらに点をつなげることで、さらに思いがけない新しい点ができて、そうやって脈々と連なっていく。それがまさに人生ってやつなんですよね。確かに計画的偶発性理論の考え方に似ていると思いました。
つまり私たちは。これまでのキャリアを振り返ることはもちろん大事だけど、これからのキャリアのために、たくさんの点を打っていかなければならないってことです。たくさん蒔いた点は、どこかとどこかが思いがけずつながり、新しい意味の線を作り出すかもしれないわけで。四の五の言わず、いいからたくさんの点を。未来へ点を打つことが大事です。過去にこんな記事を書きましたが
今はね、種まき期と収穫期は別に分けなくていいって思います。収穫しながらでも、とにかく種は蒔き続けなくちゃ。だって未来は無限に広がっているんだから。これを読んでいるあなたも、キャリアに悩んでいるあの人も、そして私も、前向きに種を蒔き続けましょう。
結び┃努力した先にあるチャンスをつかめ!
少し前にXで、Z世代の若者が年配(おそらく私と同世代ぐらい)の方の何気ないポストに対して「頑張ればなんとかなるとかいう考えを押し付けるな老害」みたいな噛みつき方をしているのを見ました。確かに若者世代からすると、努力すること、頑張ることってカッコ悪いのかもしれない。コスパもタイパも悪いかもしれない(報われるとは限らないからね)。ただ、反論にもありましたが、「努力しなければ変化はない」のも真理なんですよね。「現状維持でいい」って思っているのかもしれないけど、本当にそう?ただ単に、今の自分に妥協しているだけなんじゃないのかなあ。「これでいい」って、自分に言い聞かせて納得しているだけじゃない?
確かに私も若いころ、「若い時の苦労は買ってもせよ」みたいな考え方、すごく嫌いでした。でも年を取った今になってみれば、「あの時苦労しておいて本当に良かった」と思う場面がたくさんあります。失敗を極度に恐れる昨今の若者の気持ちもよく分かるけど、若いうちほどチャレンジして失敗したほうがいいし、たぶんそういう人ほど30代、40代になって「もっと〇〇しておけば・・・」って後悔すると思うんですよね。斜に構えていても、いいことないよ。少なくとも我が子たちには、殻にこもらずに現状を打破する力を養ってほしいと切に願います。
つまり。どんなにカッコ悪くても他人に笑われても、自分が必要だと感じたらがむしゃらに努力すればいいし、きっとその先にしかチャンスは来ないから。自分のキャリアは自分にしか何とかできないものなので、どうか後悔することのないように、恥ずかしがらずに手を伸ばすことを恐れないでほしい。これは自分にも言えることです。私も今までそうしてきたように、自分に正直に向き合い、とことん努力し続けることで、計画的偶発性理論をさらに実践していきたいと思います。
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