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うつ病患者にとって『休まる』ことは難しい

うつ病を治すにはとにかく動け、バナナを食え、カーテン開けろ、筋トレしろ、散歩しろなどと言われているが、そこに到達できるうつ病患者は極めて少ない。

そういう方法で寛解したうつ病患者の言葉も見かけるが、全体から見たらかなりのレアケースだと思っている。個人的な見方だが、そういうケースは子供の頃から病気になっている人よりも、社会人になって初めてうつになった人に多い気がしている。そういう人は健常者だった頃の人間関係、仲のいい家族とか友人とか、はたまたパートナーの支えがあるのも大きいのかもしれない。

私を含めた大半のうつ病、気分変調症患者はそうはいかない。
挙げられた療法を試すための燃料がないのだ。

燃料がないと言っても、何も一日もカーテンを開けられないとか散歩できないとかじゃない。続ける力が残っていないのだ。一日から三日くらいは気合いを入れてどうにか実行したとしても、長続きはしない。散歩は単発で終わるし、朝起きれるかも怪しいし、買ったバナナは食べる気力が足りずに黒ずんでいく。

うつ病になった人はとにかく『休まる』ことが重要で、自分にできる療法を実行するのはその先なんじゃないかと思う。

『休む』ではなく『休まる』である。この2つは似ているようでまるで違う。

うつ病になった人には、いちおうの休む期間が用意されている。正社員だった場合は休職という制度を活用できるし、そうでなくても貯金があれば休む期間を用意することはできるのだ。
もちろん用意できない人もいて、そういう当事者は脱出困難な悪循環に巻き込まれていくわけだが、今回の主題からは外させてもらう。

問題は、休む期間があるにもかかわらず、なぜ多くの患者がうつから抜け出せないかだ。より具体的に言うなら、なぜ休まらないのか、という話である。

休むと休まるは違う

休むというのは単純だ。
仕事や活動など、ライフワークを休んで家に居れば成立するからである。

一方で、休まるのは難しい。
休まるためには安心する必要があるからだ。
気が休まるとかもそうだし、安らぐという言葉も近いだろう。

こういった休まる感覚を、うつ病になるような気質の人が得るのは非常に難しいと思っている。

なぜならうつ病になる人はまじめで問題を背負い込みがちな人が多いからだ。そういう人はただ仕事を休んでも、気持ちが休まることはほとんどない。仮に体を休めていても、頭はフル回転しているのだ。

職場の人に迷惑をかけている
家族も心配している(心配する家族がいる場合)
何もできない自分が情けない
etc…

こういった考えが、休んでる間も脳を支配している。体を休めていても、肝心の脳が緊張を強いているのだ。自己嫌悪と焦燥感で気が休まらないのである。

多くの気分障害当事者は、休む一方で鞭を打たれて休まらない、という奇特な環境を余儀なくされる。鞭を振るっているのは自分なんだが、止めることは非常に難しい。

このパターンの悲しいところは、他人からは怠けているように見えることだ。怠けているのではない、脳内は戦争中なのだ。

脳の酷使で体力も下がる

うつ病の人の休職期間は脳の酷使に使われることが多い。当然だが、こんなマイナス感情が渦巻いている状態では体を動かす気にはなりにくい。

結果として体力が落ちていき、その体力のなさがさらなる自己嫌悪のスパイラルを呼ぶことになる。こうなってしまうと、うつの沼から抜け出すのは余計に厳しくなる。

ちなみに薬を飲むのも治療の一環だが、あれは根本をどうこうするのではなく気分の浮き沈みという表面的な症状を改善するための物に過ぎない。


治らない人の価値観

うつ病という同じ病名でも、寛解しやすい人とそうでない人がいる。

寛解しにくいうつ病患者の病理の根底には、根強く張り巡らされた『成果ありきの価値観』がある。少なくとも私はそうだ。

こういう病的、あるいは病気に繋がりやすい気質が形成されるのは、たいていの場合は生まれ育った家庭である。何らかの理由で無条件の愛情を受けられなかった人がこうなるんじゃないかと私は思っている。

この傾向が、うつ病になるまで追い詰められた人間を成人後も追い込むことになる。そんな気質を育まざるを得なかった家庭の人間が、大きくなって精神を病んだ子供に行き届いた支援をする可能性は低いからだ。


後天的な人との差

社会人になってから病んだ人と、家庭由来の気質の枝葉として病気が実ってしまった人を、決定的に分かつのはこの点だと私は思っている。

家庭でプラスな世界観を持てた人は、仮に精神疾患になっても予後はいい傾向にある。プラスな、明るい世界観というのは何よりの宝物だ。同じ状況に身を置いたとして、何とかなると感じるかどうにもならないと感じるかは、人生という長期戦において非常に大きな差となる。

逆の場合は絶望的だ。悲観的な世界観で生きていると、普通に生活するだけで消耗していく。明日を信じられない人の人生は精神疾患抜きにしても悲惨だろう。病んだのならなおさらだ。

こうして書くと幸せな家庭に産まれた人への嫉妬に見えてしまうが、あくまで傾向の話として受け取ってもらえるとありがたい。


どうしたら『休まる』のか

家庭環境や世界観はどうにもならないとして、私が今知りたいのは『休まる』方法だ。

私も悩んでいて、色んなリフレッシュを試した。しかし、いくら惰眠を貪っても、快楽に走っても、休まる瞬間はほとんどなかった。

強いて言うなら手を動かしてる時が楽だが、これは気が休まっているというより、気を紛らわしてるだけに過ぎない。ふと顔を上げると、変わらぬ絶望がそこにある。

悲しい予感だが、もしかしたら一生、休まるという気持ちを知る瞬間はないのかもしれない。

……できれば思い出す瞬間と書きたかったが、過去にそんな時間があったのかもおぼつかない。

できれば死ぬまでに、休まる方法を見つけたい。そうでなければ、焦燥感と自己嫌悪と心中することになりそうだからだ。

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