【大門碑林公園】休園へ、さよなら碑林公園
はじめに
大門碑林公園は市川三郷町に所在する、中国の碑林を再現した公園です。町の財政非常事態宣言を受け、令和6年度から開園日を縮小して営業を続けてきましたが、令和8年3月をもって休園となりました。
トンデモ施設と揶揄しつつも、いざ無くなってしまうとなると寂しいものです。隣接する木造展示施設「ひらしお源氏の館」も、すでに閉鎖されています。
最終営業日を間近に控えた3月の休日、別れを惜しみながら訪ねました。

四神獣の像の坂を上る

これからは休園に
碑林の詳細については、こちらの記事で紹介しています。
四尾連湖への登山口
実は、大門碑林公園は四尾連湖への登山口にもなっています。
ハイカーたちは、大門碑林公園、あるいは「ひらしお源氏の館」の駐車場に車を停めて、山に入っているようです。
四尾連湖までは、高低差およそ1100メートル、距離およそ12キロメートルあるといいます。片道3~4時間ほどの道のりになるのでしょうか。

この先に登山道がある

クマ出没注意の看板も
大門碑林公園
碑林公園は、書道の手本となる中国の名碑を複製して配置した公園です。

陝西省の西安碑林博物館にある西安碑林や山東省の曲阜碑林から複製した碑が並んでいます。15基の複製碑があり、西安碑林博物館の監修・制作により、創建時の姿を再現したといいます。
中には、本家中国でも損傷したり、実物が失われたりしているものを、往時の姿に復元した名碑もあります。

出典 : 至宝 中国碑刻拓本

出典:デジタル大辞泉(小学館)
園内には、碑林の石碑と同等、あるいはそれ以上に立派な石碑もあります。亀の台座に載せられたこの碑は、建設を構想・推進した当時の町長による、公園開館の縁起を記したものです。
1994年(平成6年)、当時の市川大門町が、構想2年、建設3年の歳月をかけて完成させました。建設には15億円が投じられています。


時は竹下登総理大臣のもと、ふるさと創生事業が盛んだった時代です。列島各地では、1億円の交付金などを活用して、さまざまな施設が作られました。市川大門町は書道用の和紙の生産地だったことから、町長の発案により、
書道(和紙)→漢字→中国→碑林
という具合に、書道の手本となる有名な中国の碑を復元・複製し、並べる公園の建設へとつながったのでした。

入場するとすぐに四神獣像もあり、中国風の雰囲気に包まれます。
近年は、中国風の建物を生かして、コスプレイヤーの撮影地として貸し出すなど、新たな活路を見出そうとしていました。しかし、通常開園日に個人で見学できるのは、今回が最後です。筆者が訪れた日も、カメラマンを従えたコスプレイヤーの方々が2組おられました。

2024年1月撮影
憩いの広場
「憩いの広場」は無料スペースのため、今後も利用できるものと思われます。池のほとりでスケッチをしている方や、散歩をしている方の姿もありました。


財政非常事態宣言
大門碑林公園を管理・運営する市川三郷町は、2023年(令和5年)9月に「財政非常事態宣言」を出しました。現在の財政状況が続けば、2030年にも財政破綻する可能性があることを公表したものです。
市川三郷町は、2005年(平成17年)に三珠町、市川大門町、六郷町の3町が合併して誕生しました。教育施設、温泉施設、文化施設などは合併前の施設を引き続き維持することとなり、財政を圧迫する要因の一つになったと考えられます。
この碑林公園もそうですが、歌舞伎文化公園など、平成時代のふるさと創生事業などによって旧町が整備した大型施設が、そのまま維持されてきました。町内には文化施設が8つあり、財政健全化計画では、数年以内に2つ程度を残して、その他は休園・休館する計画となっていました。

出典 : 市川三郷町HP
令和8年3月31日をもって、財政非常事態宣言は解除されました。一方で、大門碑林公園は計画通り年度末をもって休園となります。今後は、団体客などから申し込みがあった場合に限り、個別に開園するそうです。
同じく休館の計画だった歌舞伎資料館は、映画「国宝」による歌舞伎ブームも手伝って来館者が増えたため、休館が先送りされました。

出典 : UTYニュース
拓本コーナー
大門碑林公園の入場料は600円です。市川三郷町民は無料になります。それならば、すべての入場者を無料にすれば、来場者も増えていたのではないでしょうか。観光で訪れ、建物に興味を持ったものの、入場料の看板を見て引き返した経験のある方もいるのではないかと思います。
入場料を払って中に入ると、受付には管理人と採拓指導係を兼ねる男性職員がおられました。休園すると聞いて訪れたと話すと、この職員も休園することをたいへん残念がっておられました。
通常は会計年度任用職員によるワンオペレーションですが、閉園を前に拓本取りの希望者が詰めかけていたため、この日は2名体制で対応しているようでした。

拓本コーナー中央にそびえる中華街のような建物は、拓本を採るための東屋です。休園を前に、最後の拓本を採りに来ている人たちがいました。
これまでも、この公園は一般の観光客よりも、書道愛好家が拓本を目的に来園することのほうが多かったようです。
拓本取り体験には1000円かかります。入場料と拓本体験を合わせて1000円にするなど、もう少し来園者を呼び込む工夫があってもよかったのではないかと思います。



さらに奥に進むと、屋外の採拓コーナーになります。
書聖と呼ばれた王羲之(303年~361年)の楽毅論、十七帖が人気だったそうです。ほか「石鼓文」や江戸時代の僧良寛の「般若心経」なども採拓できます。

最後の機会とあって拓本取りを目的に来ている方が複数組いらしていました。

下の画像は2024年1月に撮影したもので、筆者以外に訪れる人のいなかったときの様子です。



入選作と長寿坂
「大門碑林全国書道展」は毎年開催されてきましたが、昨年度をもって終了しました。これまでの最優秀作品は、すべて石碑に刻み残されています。


この坂道は、百歳を超えた双子姉妹の「きんさんぎんさん」が訪問した際に歩いたとのこと。手形もあるそうです。
103歳で訪問した双子姉妹にあやかった長寿の効果はいかほどだったでしょうか。碑林公園は、30余年で幕を閉じようとしています。

15基の碑林
それでは、復元碑を順番に見てまいります。今回は概観の紹介にとどめます。
復元碑の詳細については、こちらの記事で紹介しております。
碑林のカッコ内の番号は、リーフレットなどで使用されている通し番号です。

(1)後漢時代の隷書
年代順の配置になっており、一番古いものは後漢時代の碑です。
(1)西嶽華山廟碑 後漢(165年)
(2)曹全碑 後漢(185年)
(3)張遷碑後漢(186年)




(5)礼器碑 後漢(156年)

(2)楷書の第一の手本
続いて、採拓コーナーの上に設置されているのは唐時代の碑です。
(4)九成宮醴泉銘碑 唐(632年)


碑額は篆書で「九成宮醴泉銘」

(3)北魏体の名品
さらに登ると、北魏体の代表作と呼ばれる碑があります。
(6)張猛龍碑北魏(522年)
(7)高貞碑 北魏(523年)



楷書、草書が並ぶ公園の頂へ
さらに園内の高いところへ進みます。
甲府盆地を見渡す、見事な景色が広がります。



(4)唐代の楷書(1)
まず、向かって右側には3基の楷書碑があります。

(9)大唐宗聖観記碑
(8)玄秘塔碑
(8)玄秘塔碑 唐(841年)
(9)大唐宗聖観記碑 唐(626年)

(右) (8)玄秘塔碑
(10)孔子廟堂碑 唐(626年)

(5)玄奘三蔵を讃える碑
続いて中央にある3基は、玄奘三蔵に関する碑です。
左右のものは「序記」「教記」で対になっており、中央は「序記」を書聖・王羲之の筆から集字して起こしたものです。


(11)雁塔聖教序碑 唐(653年)
(12)雁塔聖教記碑唐(653年)
(13)集王聖教序碑唐(672年)



(6)唐代の楷書(2)
向かって左側の2基も楷書の碑になります。

(14)皇甫誕碑 唐(641年)
(15)顔氏家廟碑 唐(780年)



おわりに
年度末をもって休園になると聞き、3月の週末に最後の見学に訪れました。園内の様子は、以前訪れたときと大きく変わっていませんでした。しかし、今回は「これが最後になる」という思いがあるためか、以前とは少し違って見えます。
正直なところ、15億円を投じて造られ、その後の維持管理にも費用がかかってきたこの施設を見て、「なぜこんなものを」と思ったこともあります。
それでも、実際に歩いてみれば、中国の名碑を再現した石碑が並び、拓本を採る人がいて、コスプレの撮影をする人がいて、池のほとりではスケッチをする人もいる。甲府盆地を見渡す景色もなかなかのものです。
財政難という現実の前では、維持できない施設を整理することも仕方のないことなのだと思います。
ただ、なくなってしまってから初めて、その場所が持っていた役割に気づくこともあります。大門碑林公園は、すでに営業を終え、休園となっています。
30余年にわたり、この場所に並び続けた15基の碑も、これからどうなっていくのでしょうか。
トンデモ施設と少し皮肉を込めて眺めていた場所でしたが、最後に訪れてみると、「なくなるのは少し寂しい」と感じました。
さようなら、碑林公園。

参考文献
市川大門町編『大門碑林』市川大門町、1994
大門碑林公園編『解説大門碑林』市川大門町、1997
