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環境は上がるほど、捨てられなくなる。── 何千億円の景色より、一つの灯りが気になるキャリア



年収だけを見れば、たぶん辞める理由なんてない

「安定している」という言葉では、少し足りないくらいに。

周りには優秀な人が多い。

扱っている仕事も大きい。

何百億、何千億というお金が動き、完成すれば街の景色そのものが変わる。

自分が関わった建物を、何万人という人が使う。

社会に与えるインパクトだけを考えれば、ものすごい仕事だと思う。

だから、ときどき自分でも分からなくなる。

何が不満なんだろう、と。

そして会社で課長や部長を見ながら、ふと考えることがある。

「俺、10年後これやってるんかな。」

給料は、たぶん今よりずっと高い。

できる仕事も増えているだろう。

社内での立場もできる。

何億、何十億という数字にも、今より驚かなくなっているかもしれない。

それなのに、その未来を想像したとき、

なぜか心の奥で、

小さな違和感が残る。



大きな仕事なのに、自分は小さな一部だった

デベロッパーの仕事は面白い。

街をつくる。

土地を動かす。

設計者、施工者、行政、テナント、投資家。

ものすごい数の人間が、一つのプロジェクトに関わる。

一人では絶対につくれないものをつくれる。

それは間違いなく、この仕事の魅力だ。

ただ、その大きさゆえに、

自分が担当するのは巨大なプロジェクトの一部分でもある。

全部を理解している人なんて、たぶんほとんどいない。

事業。

不動産。

金融。

建築。

設計。

施工。

運営。

リーシング。

法律。

税金。

それぞれに専門家がいて、

それぞれの担当がいる。

巨大な資本と組織が、

巨大な建物をつくっていく。

合理的で、効率的で、強い。

言い方は悪いかもしれないけれど、

ときどき、

資本主義そのものを建物にしているように感じる。

もちろん、それが悪いわけではない。

多くの人を呼び込み、

雇用を生み、

地域の価値を上げる。

社会へのインパクトは大きい。

でも僕は最近、

「大きい」ということと、

「自分にとって大切」ということは、

同じではないのかもしれないと思い始めた。



大学では建築を学んだ。

街を歩くのが好きだった。

古い建物。

路地。

小さな店。

誰か一人の癖や美意識が、そのまま形になったような空間。

たった一軒なのに、

「あ、この場所があるからこの通りはいいな」

と思える店がある。

何万人を集めなくてもいい。

何百億円を動かさなくてもいい。

一人の人間が、

土地を見て、

事業を考え、

建物を考え、

店を考え、

人を集め、

最後まで責任を持つ。

最近、そういう仕事に、

妙に惹かれる。



大きなプロジェクトより、小さな仕事の方が大きく見える

不思議な話だ。

今の会社では、

人生でそう何度も経験できない規模の仕事ができる。

一方で、

僕が今惹かれているのは、

もっと小さな仕事だ。

一軒の建物。

一つの土地。

一つの店。

一つの通り。

でも、

そちらの方が自分の中では大きく見える。

なぜだろう。

たぶん、

全部を理解したいからだ。

土地はいくらなのか。

なぜこの場所なのか。

いくらで建つのか。

誰がお金を出すのか。

どう設計するのか。

誰が使うのか。

どうやって利益を出すのか。

十年後も残るのか。

その全部を、

自分の頭の中でつなげたい。

そして最後に、

「これは自分がつくった」

と言える仕事がしたい。

そこで気づいた。

僕は、

大きなものを動かしたいわけではなかったのかもしれない。

自分が信じられるものを、自分で理解して、自分の責任で世の中に残したい。

たぶん、こっちだった。



でも、人は「正しい」と思っただけでは動けない

だったら会社を辞めればいい。

文章にすると簡単だ。

でも実際は、そんなに簡単ではない。

給料は大きく下がる。

今よりずっと小さな会社で、

不動産や建築を一から学び直すことになるかもしれない。

師匠と呼べるような人について、

数年間修行する。

仕事は泥臭い。

給料も低い。

独立したところで、

今の年収まで戻れる保証なんてない。

下手をすれば、

戻れないかもしれない。

だから怖い。



心理学には「損失回避」という考え方がある。

人は一般に、

同じ大きさの利益を得る喜びより、

持っているものを失う痛みを強く感じる。

100万円を新しく得る嬉しさより、

今持っている100万円を失う痛みの方が大きい。

キャリアでも、

たぶん同じことが起きる。

今の給料。

会社の名前。

福利厚生。

信用。

周囲からの評価。

それらはいつの間にか、

「得ているもの」ではなく、

「失ってはいけないもの」

に変わっていく。

最初から持っていなければ、

何とも思わなかったはずなのに。



学生の頃、

今の給料なんて当然なかった。

それでも普通に生きていた。

むしろ、

将来について好き勝手なことを考えていた。

でも一度手に入れると、

手放すことが怖くなる。

これも心理学では、

「保有効果」と呼ばれる現象に近い。

人は、

自分が所有しているものを、

所有していないときより高く評価しやすい。

会社も同じなのかもしれない。

入る前は、

一つの選択肢だった。

でも入った瞬間、

「せっかく入った会社」

になる。

数年経てば、

「ここまで積み上げたキャリア」

になる。

そして、

そこから離れることが、

何かを失敗させるように感じ始める。



さらに厄介なのが、

現状維持バイアスだ。

人間は、

変化に合理的なメリットがあったとしても、

今の状態を維持する方を選びやすい。

今の会社に残れば、

来年の生活はだいたい想像できる。

給料も、

仕事も、

将来の年収も、

ある程度読める。

でも、

師匠について修行した先の人生は、

ほとんど読めない。

独立しているかもしれない。

食えていないかもしれない。

大成功しているかもしれない。

未来の振れ幅が大きすぎる。

人間は、

不確実な自由より、

予測可能な窮屈さを選ぶことがある。

最近、その怖さをよく考える。



「せっかくここまで来たのに」という言葉

会社を辞めることを考えたとき、

必ず頭に浮かぶ言葉がある。

「せっかくここまで来たのに。」

いい大学に入った。

大学院まで行った。

就職活動をした。

大手企業に入った。

仕事を覚えた。

人間関係もつくった。

それを手放すのか。

でもよく考えると、

この「せっかく」は危険な言葉だ。

過去に費やした時間や労力を惜しんで、

今後の意思決定まで縛られてしまう。

経済学や心理学では、

似たものを「サンクコスト」と呼ぶ。

すでに支払って戻ってこないものは、

本来、

これからの選択とは切り離して考えなければならない。

それでも人間は、

切り離せない。

5年間積み上げたものを、

6年目にも続けたくなる。

10年間積み上げれば、

11年目はもっと辞めにくい。

だから最近、

少し恐ろしいことを考える。

3年後の僕は、今より自由ではないかもしれない。

給料は増えている。

経験も増えている。

社会的な信用も増えている。

普通に考えれば、

選択肢は増えているはずだ。

でも、

失いたくないものも増えている。

つまり、

資産が増えることと、

自由が増えることは、

必ずしも同じではない。



親から見れば、大企業を辞める理由はない

そしてキャリアは、

自分一人の話でもない。

親がいる。

彼女がいる。

彼女の家族もいる。

大企業に勤めている。

給料もいい。

安定している。

親から見れば、

これ以上安心なことはないのかもしれない。

僕が親でも、

そう思うと思う。

わざわざ給料を下げて、

小さな会社に入り、

数年間修行して、

その先で独立する。

うまくいく保証もない。

「なんで?」

と言われたら、

合理的に説明するのはかなり難しい。

彼女は応援してくれている。

だからこそ、

余計に怖い。

自分一人なら、

失敗しても自分が貧乏になれば済む。

でも、

大切な人ができると、

挑戦は自分だけのものではなくなっていく。



僕は最近、

大人になるということは、

自由になることだと思っていたけれど、

少し違うのかもしれないと思う。

大人になるほど、

責任が増える。

持っているものが増える。

守りたい人も増える。

だから、

自由は自然には増えない。

自由は、ときどき意識して守らないと減っていく。



それでも、課長や部長を見ながら考えてしまう

仕事が嫌いだから辞めたいわけではない。

ここは重要だと思っている。

むしろ、

今の会社はかなり恵まれている。

だからこそ難しい。

本当に嫌なら、

もっと簡単だった。

逃げればいい。

でも、

残る理由がいくらでもある場所から出るには、

逃げるときとは別の勇気がいる。

課長や部長を見れば、

仕事ができる。

責任も大きい。

年収も相当高いだろう。

社会的に見れば、

十分成功している。

でも、

その姿を見ながら、

ときどき自分に聞いてしまう。

「そこが、俺の行きたい場所なんだろうか。」

尊敬していないわけではない。

むしろすごいと思う。

ただ、

「すごい」と

「なりたい」は、

違う。

この違いに気づいてしまった。



僕が欲しいのは、独立ではないのかもしれない

独立したい。

最近そう思っていた。

でも、

もう少し掘ってみると、

独立そのものが目的ではない気がする。

欲しいのは、

自分一人でも価値を生み出せる力だ。

会社の看板がなくても、

土地を見て、

建物を考えて、

事業を組み立てて、

人を集めて、

一つの場所をつくれる。

自分の名前で仕事ができる。

その力が欲しい。

だから、

師匠と呼べる人について、

不動産と建築を、

もっと小さいスケールで全部理解したいと思う。

給料をもらうための転職ではない。

肩書きを上げるための転職でもない。

いつか自分で立つための、

修行に近い。

そう考えると、

給料が下がる意味も少し変わる。

収入が減るのではなく、

自由になるための授業料を払う

と考えることもできる。

もちろん、

それで成功する保証はない。

綺麗事だけでは生きていけない。

だから迷う。



自分の人生を、自分が理解できる大きさに戻したい

ここまで考えて、

最近やっと、

自分の中にあるものを少し言葉にできるようになった。

僕は、

巨大なものが嫌いなわけではない。

資本主義が嫌いなわけでもない。

大企業が嫌いなわけでもない。

ただ、

自分の人生まで巨大なシステムの一部にはしたくない。

自分が何をしているのか。

誰のためにやっているのか。

なぜこの土地なのか。

なぜこの建物なのか。

なぜこのお金の流れなのか。

なるべく全部を理解したい。

自分の判断と、

結果との距離を、

もっと近くしたい。

僕が欲しいのは、

たぶん、

自分の人生を、自分が理解できる大きさで生きることだ。



そして、

自分が本当に価値があると思うものを、

自分の手で世の中に残したい。

それが一軒の店でもいい。

一棟の建物でもいい。

一つの通りでもいい。

何万人の人生を変えなくてもいい。

誰か一人が、

そこを通ったとき、

「この場所、なんかいいな」

と思ってくれればいい。

僕にとっては、

そういう仕事の方が、

何千億円という数字より、

ずっと大きな意味を持つのかもしれない。



環境は、上がるほど捨てられなくなる

環境が悪ければ、

人はそこから逃げようとする。

でも、

環境が良いと、

人はそこに残る理由をいくらでも見つけられる。

給料がいい。

会社がいい。

周りが優秀。

福利厚生もいい。

親も安心する。

将来も安泰。

一つひとつ、

すべて正しい。

だから厄介だ。

人生を動けなくするのは、

必ずしも不幸ではない。

むしろ、居心地のいい場所なのかもしれない。



27歳。

まだ会社を辞めると決めたわけではない。

師匠についていくとも決めていない。

独立できるかどうかなんて、

もっと分からない。

怖い。

給料が下がるのも怖い。

失敗するのも怖い。

親を不安にさせるのも怖い。

彼女との未来を考えれば、

なおさら簡単ではない。

でも、

一つだけ、

もっと怖いことがある。

それは、

10年後、

今より高い給料をもらい、

今より大きな仕事をして、

今よりたくさんのものを持ちながら、

ふと、

27歳の自分を思い出すことだ。

あのとき、

本当は少し分かっていた。

でも、

失うのが怖くて動かなかった。

そう思う未来が、

いちばん怖い。



だから、

今の僕の信念を、

無理やり言葉にするなら、

こうなる。

大きなものを動かしたいんじゃない。
自分が信じられるものを、自分で理解し、自分の責任で世の中に残したい。

そして、

自分の人生を、自分が理解できる大きさで生きたい。

大企業に残って、

それができるなら残ればいい。

外に出なければできないなら、

そのときは出ればいい。

大手か。

独立か。

年収1000万円か。

修行中の安月給か。

たぶん、

本当の問いはそこではない。

その場所に、自分の人生があるか。

これからのキャリアを考えるとき、

僕はその問いだけは、

見失わないようにしたい。

環境は、

上がるほど捨てられなくなる。

だからこそ、

まだ捨てられるうちに。

まだ選べるうちに。

自分が本当に欲しかったものを、

もう一度、

自分に聞いてみようと思う。

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