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「忖度」って、英語で完璧に説明できますか?〜日本を席巻した言葉の数奇な運命〜

ある言葉があります。 日本に住む私たちなら、日常的に耳にし、ニュースで目にし、時には職場や居酒屋での会話でも口にするその言葉。しかし、いざ「それはどういう意味ですか?英語で何と言いますか?」と海外の友人に問われたとき、私たちは一瞬、言葉に詰まってしまうのではないでしょうか。

2017年、日本中を席巻したその言葉は、奇妙な運命をたどりました。 年末には、自由国民社の「新語・流行語大賞」、三省堂の「今年の新語」大賞、そしてYahoo!検索大賞の「今年の言葉」という、新語・流行語に関連する主要な3つの賞を同じ年のうちに総なめにするという、歴史的な快挙を成し遂げたのです。

そう、その言葉とは「忖度(そんたく)」です。

ことの始まりは2017年2月。森友学園問題をめぐる記者会見という、日本中が固唾を飲んで見守る異様な熱気の中で放たれた一言でした。当時の理事長であった籠池泰典氏が「忖度した」という趣旨の発言をした瞬間、この言葉は単なる日本語の語彙の一つから、時代を象徴するキーワードへと変貌を遂げました。 さらに興味深いことに、籠池氏はこの会見の中で「この言葉にはぴったりの英語訳が無い」という趣旨のことを述べました。この発言は、海を越えて海外メディアやSNSでも大きな話題となり、「SONTAKUとは一体何なのか」という議論が世界中で巻き起こったのです。

私たちが当たり前のように使っている「忖度」。しかし、その深淵を覗き込んでみると、そこには驚くべき歴史と、言語の壁を越えられない日本社会の特異性が隠されていました。

そもそも、「忖度」とはどこからやってきた言葉なのでしょうか。 漢字を分解してみましょう。「忖(そん)」は「推し量る」こと。「度(たく)」は「程度」や「はかる」ことを意味します。つまり、文字通りに読めば「他人の考えや気持ちを推し量る」という、ただそれだけの意味になります。

実はこの言葉、私たちが想像するよりもずっと古くから存在していました。その起源は遥か昔、中国の古典『詩経』にまで遡ります。日本においても、平安時代の文献にすでにその姿を見ることができます。 古の世界において、「忖度」は非常に静かで、ある意味では美しい言葉でした。相手の心に寄り添い、思いを巡らせる。そこにあったのは純粋な「推測」や「共感」であり、現代の私たちが感じるような「行動」や「打算」といったニュアンスは全く含まれていなかったのです。 誰かの心をそっと覗き込み、その悲しみや喜びに思いを馳せる。そんな心の動きこそが、かつての「忖度」の本来の姿でした。

では、そんな古雅な言葉が、なぜ現代の政治スキャンダルの中心で踊るような「怪物」へと変貌してしまったのでしょうか。

時計の針を少し戻しましょう。政治の世界でこの言葉が初めて確認されたのは、1997年のことです。毎日新聞が、当時の有力政治家であった小沢一郎氏の支持者たちの動向を評する記事の中で使用しました。この時、言葉の輪郭が少しずつ変わり始めます。

そして決定的な転換点が訪れたのは2006年のこと。学者の飯間浩明氏が、新聞の解説記事の中でこの言葉について言及し、ある重要なニュアンスを付け加えました。それは「上下関係」という文脈です。「目上の人の意図を推し量って行動する」。 単に「心を読む」だけでなく、「心の中を読み取り、そして(相手が望むであろう通りに)行動に移す」。しかもそこには、明確な権力の勾配が存在する。 この瞬間、「忖度」は千年以上の眠りから覚め、現代の日本社会を生き抜くための、高度で、そして少し影のある処世術の代名詞として再定義されたのです。

さて、舞台は再び2017年の「忖度」ブームに戻ります。 「ぴったりの英語訳が無い」という発言は、英語圏のジャーナリストや翻訳者たちにとって、挑戦状のようなものでした。彼らはこの得体の知れない日本の概念に、なんとか英語の輪郭を与えようと奮闘します。

ある者は "surmise"(推し量る)という単語を提案しました。しかし、これでは単なる推論にとどまり、「行動」のニュアンスが抜け落ちてしまいます。 別の者は "read between the lines"(行間を読む)と訳しました。確かに日本的な「空気を読む」感覚には近いですが、権力関係や、その後に続く自己犠牲的な行動の匂いが足りません。 では、"following unspoken orders"(暗黙の命令に従う)はどうでしょうか。意味としてはかなり核心に迫っていますが、どこかマフィアの映画に出てくるような、直接的で物騒な響きを帯びてしまいます。 究極の訳語として "anticipatory obedience"(先回りした服従)という表現も登場しました。学術的で正確な表現かもしれませんが、日常会話で使うにはあまりにも硬く、冷たい印象を与えます。

結果として、1つの英単語で「忖度」の全てを表現することは不可能である、という結論に至りました。翻訳者たちは頭を抱え、文脈によってこれら複数の訳語を使い分けるしかないという現実を受け入れたのです。

外国人が「忖度」という概念を知ったとき、彼らが最も驚き、そして時に誤解するのは、まさにこの「何も言われていないのに、命令として機能する」というメカニズムです。

欧米の契約社会や、自己主張を重んじる文化圏においては、「言葉にされていないこと」は「存在しないこと」と同義です。もし上司が部下に何かをさせたいのであれば、明確な指示を出さなければなりません。明確な指示なしに部下が勝手に気を利かせて重大な行動を起こし、しかもそれが「上司の意向であった(はずだ)」と社会全体が納得してしまう。この図式は、彼らの目には一種のテレパシーか、あるいは極めて不透明な責任逃れのシステムのように映ります。

「誰も命令していないのに、システムが勝手に動き出す」。これは、外国人から見れば驚異的なことであり、同時に強い不気味さを感じさせるポイントなのです。

遥かな昔、古人が誰かの心を思いやるために使った美しい言葉は、時代を下るにつれて権力と結びつき、現代日本社会の複雑な人間模様を映し出す鏡となりました。 私たちが「忖度」という言葉を使うとき、そこには少しの皮肉と、そして「日本語でしか表現できない」という奇妙な連帯感が含まれているのかもしれません。

言葉は生き物です。時代と共に意味を変え、人々の生活に寄り添いながら成長していきます。「忖度」の数奇な運命を知った今、あなたは明日、この言葉をどんな気持ちで使うでしょうか。次に海外の友人に「Sontakuって何?」と聞かれたら、ぜひ、平安時代の貴族の心から、現代の政治の闇まで続く、この長くて不思議な物語を語ってあげてください。

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