Ryuichi Sakamoto | Opus
歌手のkawoleさんのツイートに感銘を受けて、これは観に行かなければと新宿109シネマへ。
opusを見にシネリーブル神戸まで
— kawole (@kawole_mais) May 25, 2024
「儀式」としか言いようのない神聖さ
演ずる人も音響も場も照明も映像も
楽器にいたるまでのあらゆるものが、
"どの刹那も決して無駄にはしない"
という強い決意に満ちていた
本来、仕事とはこういうことだと思い知る。当然だ、私たちは命を削りながら生きている
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「儀式」としか言いようのない神聖さ
演ずる人も音響も場も照明も映像も
楽器にいたるまでのあらゆるものが、
"どの刹那も決して無駄にはしない"
という強い決意に満ちていた
本来、仕事とはこういうことだと思い知る。当然だ、私たちは命を削りながら生きている
音はひとつひとつが深淵を味わい尽くすように
丁寧に
残響の揺らぎすら取りこぼさず
確かめながら
慈しみながら
聴き慣れた曲が想像を超えた遅い速度で満たされていった
楽器が本来の姿に戻ろうとしている
と、弾いていた東北でのコンサートの時のように、
「ピアノ」という自然物からなる生命体との融合を希うように、
ペダルの動作音は心音のように、
演奏者の息づかいと相まって
ひとつに溶け合おうとしていた。
AMAHAはほんとうにいいピアノを作る
ピアノ自身が耳をすましながら次の音を待っていた。
そのように向き合ったから
そのように呼応してゆくのだと思う
弦がうねりながら回転する音と
音そのものの周波数がぶつかって
反響し合う地点があり、
どこまでも深く聴いていたことに驚いた
音響エンジニアの一切の妥協を許さない技術のおかげで、坂本龍一というすぐれた一流の音楽家の聴覚を垣間見ることができた
とてつもなく美しかった
全ての曲が感情的ではなく、
瞑想的なのは彼の魂の態度なのだろう
音楽は最早、感覚界をはるかに超越した「思考」と「知性」によって
神の階段を登る。
それでもワルツでは
音の粒子やとりまく空気と戯れながら
楽しげに踊っていた。
サティやドビュッシー、バッハ
アルテミエフへの憧憬
この音の重なり、連なりはこの人でなくてはあり得ないものだった
限られた鍵盤の上から、
無限世界へ触れてゆく
芸術にしか出来ないことがある。
あらゆるものはやがて消え、
失せてゆく
刹那の覚悟の
純粋な美しさしかない。
映像は息子さんの空音央さん
音響、照明、楽器の調整
すべてが神がかってました
あと何回か観たい
CD出して欲しい🙏✨
つらつらと感じたことを残しておきました
いやはや素晴らしい音響でした。
ピアノというものは本来こういう音が出るのか、という驚き。
ピアノのひとつひとつの音が混じり合う際に生じる繊細なテクスチャー。その濁りと深みを味わうことができた。
絵画をみるように、音をみるように聴いていた。 音というより響きの色彩を味わった。
機織りのようにオートマティック化しないもの。モノとしてのピアノの存在感。教授に応えるかのように、「しゅぽんしゅぽん、、、」と、まるで心音のようにゆっくりと息を吐き続けるピアノ。
多分、「Trioon」という曲だったと思う。和音だけを繰り返し鳴らし続ける曲があった。「ふぉーん」と音が膨らんで、ランプの灯のように生成するが、やがて音が減衰して沈黙の闇へと消えていくプロセスがひたすら続く。あぁ、実音の影にはこんな抽象的な響きが潜んでいたと気づく。その時、音って波動のようだと感じた。タルコフスキーの映画「ノスタルジア」で、蝋燭を持って歩く詩人の姿を思い出した。透明な祈りのようだった。この曲でのピアノの響きが忘れられない。
月明かりのようなランプに照らされる教授の姿も印象的。
「美貌の青空」の中間部。「さて、このメロディのひとつひとつの葉にどんな色をつけようか」まるで画家のように和音の色彩を思考しながら空間のキャンバスへと筆を落としていく。作曲と即興の間を揺れ動く教授の姿があった。
空いている方の手で指揮を振ったり、やっぱりグレン・グールドの影響を受けているんだなぁと感じたり。舞踏のような身振り、教授の身体性を感じる場面も。
どの曲だったか忘れたけど、楽しそうに弾いている場面もあって、「音楽は喜びなんだよ!」と。
「Aqua」を聴くと、小学生の頃に見た夕焼け空とか青空とかを思い出す。
ピアノの鍵盤に射し込む教授の影と、黒鍵の艶の輝きと、ピアノ本体に射し込む照明が木漏れ日のように美しく、モノクロだからこそ映える場面だった。
映画のエンドロールに刻まれた言葉。
芸術は長く、人生は短し
全身全霊でピアノを弾く教授の姿。これからも人から人へ、自然へ、地球そのものへと続いていく音楽。
ありがとうございました。
