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帰省日誌/廣井圭太【せりふ三題噺】


田舎の空は広く見える。


これほど田舎の寛大さと窮屈さを言い表した言葉はないな、とつくづく思う。
空は平面に見える人がほとんどだと思うが、俺は盆を返したような丸天井が広がって見えている。
視界の端の山の頂が、それぞれ真上じゃなくやや外側を向いている。
川が点から流れ出し、点へすぼまっていく。
雲と星と鳥とヘリと飛行機だけが通ることを許されている。

ただ静か。
音だけでない。目も、肌も、心も、ただ静か。何もかも「静か」。

俺がこうして大地に足をつけている時点で既に、見上げるのが怖くなるときがあるというのに。
前触れもなく重力が反転して体が空に吸い込まれて、永遠の「静か」に囲まれるのを想像するだけで、すぐ家に帰りたくなるというのに。


おばあは今、星になって「静か」にいる。

荷物から実家の鍵を取り出す右手が、自ずと速くなっていた。




「じゃ、17時までには帰るから。それまでできるだけよろしく。」

「いや…うん。」

「仕方ないじゃない。あんたでないとダメなんでしょ。」

ドアが閉まって砂利を踏む音が遠ざかり、エンジンがかかる。
耳をそばだてているつもりはない。セミが鳴き止んだのが悪い。

全身で感じる畳の涼しさが心地よい。下を見れば傾いた簾があり、右を見れば竹林が描いてある掛け軸が、左を見れば豪華な仏壇がある。まだ線香は炊いてない。

俺は立ち上がって冷蔵庫を開ける。しわくちゃのラップにくるまった皿に目が行く。二本の団子が置いてあった。
隣県の有名菓子店のよもぎ団子だった。これは祖母のお気に入りだったから、俺は一本平らげてから、ラップを直して仏壇に供えた。

「そういうとこ世話焼きなんだよ。」

線香の先をふっと吹きかけると、灰が遺影に降りかかる。すぐに振り払ってから、俺は背を向けて段ボールの山の前に座った。

これの『荷解き』がおばあの俺への唯一の遺言だ。
他の家族ではいけない、俺しか許されていない荷解き。

ため息はセミの声にかき消された。


一箱目。
アルバムの山にねじ込まれるように、ジョウロが置いてあった。
この遺言の意図が理解できた。
おばあはこの遺品の山を、あえて無造作に詰め込んでいる。しっかり整頓するとおよそ三割の容量に収まるだろう。
俺はジョウロを脇に置いて、高さを揃えてアルバムを並べ直す。
10分ほど流し見したが、俺は母親似だと皆で笑った光景はまだ覚えている。


二箱目。

「…ダアァっ!」

開けた途端包丁がむき出しで置いてあった。
土鍋やエプロンや古い調理器具でぎゅうぎゅうに固定されていたとはいえ、普通に危ない。
遺影を睨むと、おばあの笑顔がにやけ顔にも見えてくる。団子を取り上げてやろうかと思った。
包丁は新聞紙で厳重に梱包し、分かりやすい場所に置いておく。
無論後で捨てさせてもらう。


三箱目。
Wiiがあった。俺が3DSに没頭するようになってから、ある大晦日に片づけることになったが、押し入れではなくおばあの手元にあったのか。
過去に『Wii sports』をおばあとプレイしたことがある。
振るだけで済むスポーツだが、それでもおばあはとことん筋が悪かった。
しかし、ゲームをした中で一番楽しかった。

おばあは普段遊んでいる俺を遠目から眺めていただけだったから、特別感があったというか、珍しく興味を持ってくれたことが嬉しかったというか。あの日は一日にゲームできる30分を過ぎても、母は見逃してくれた。

久々にカートリッジを開ける。全然違うゲームのカセットが入っていた。
これらはそのまま中古に出そうか迷う。
全然、出してもいい。


四箱目。
古い新聞紙がぎちぎちに詰まっていた。
保存状態の良し悪しはまばらだったが読めなくはないので、大量の新聞の一面を流し見しながら、一面の見出しと日付を確認していく。
戦前やそれより遥か昔のものが半数以上ある。曾祖父母から継いできたものだろうか。
急に持つ手が重たくなった。指先から手のひらまで、紙面に触れている皮膚がそわそわしてきた。夕風になびく音にも敏感になっている。

これを俺に託した意図や俺の下す処遇がどうであれ、俺一人では到底扱えきれない。素直に姉に話し、一緒に何とかしてもらおう。


箱は全部で八箱。ここで折り返しになる。

俺は一度網戸の外を眺めた。
日没までまだ少し遠い。庭にはお花が咲いている。
花の名前を聞いても、おばあはこれを「おはな」としか教えてくれなかった。以前に教えてもらったのかもしれないが、子供が覚えやすい名前ではない。覚えやすいのはパンジーとかだ。
会話は「おはな」で通じたし、よくある庭の花だったから、気にすることもなくなった。おばあにとっても正式名称はあまり重要じゃなかったのかもしれない。

俺は立ち上がって、ジョウロに水を入れ、サンダルを持ち網戸から庭に出た。黙々と、ジョウロを下に傾ける。
冷たい水を浴びる草木を見ていると、俺も浴びたくなって注ぎ口を自分の頭に向けた。傾けすぎたせいで全身に思い切り水を被った。
ちょうど姉が帰ってきた17時のことだった。
気づけなかったのは、セミがずっと煩く鳴いているからだ。

シャワーを浴びてから夕食を済まし、酒を飲む。
網戸からの夜風によって新聞紙を包むビニール袋の擦れる音が、耳に触る。

夜の二時。俺の隣で薄明るい常夜灯が仏壇を鈍く輝かせる。
俺はシーツを蹴って重い腰を持ち上げ、蛍光灯をつけた。

「はぁあぁ~!…気合い入れてこ!」

決して怖さではない。
遺言ならば結論まで読んでやらなければ、という使命感に俺は苛まれている。


五箱目。
花火があった。手持ち花火ではなく、ロケット花火がジップロックに入っていた。
そして、俺はこの花火を知っていた。

毎年夏の夜、庭で焼き肉を食べた後、家族で花火を楽しむのがお決まりだった。
袋を開け、思い思いの花火に火をつけ、眺めていく。姉と線香花火を長持ちさせる競争をした後に、父がラストに筒を出そうとした。
ある年にそこで俺は制止した。そこにはおばあがいなかったからだ。
おばあが耳の手術を終え、退院するまで、取っておこうと言ったのだ。

そのまま夏休みは終わり、思い出した頃にはとっくにおばあが帰ってきており、探そうとしても母に「どうせ湿気ってる」と言われ愕然とした。
おばあはその晩に泣いていたらしい。
すぐに捨てられたものかと思っていたが、おばあから母に頼んでいたのか。

俺は花火を手に取り、紙っぽい手触りやにおいを確かめる。黄ばんでいるが、「花火」の文字はまだ読めるくらい残っている。
俺は仏壇の前の経机からマッチを出し、網戸を開け再度外に出る。
百匹はいるのではないかというくらいの鈴虫の大合唱があの夏を思い出させる。
部屋の明かりの下、砂利を均して筒を置く。俺は黙って筒の先にマッチの火を近づけた。

しかし花火はつかなかった。
頭上では無数の星々が俺を見下ろしている。俺は足早に家に戻った。


六箱目。
ここには幼児服が入っていた。俺が気に入って着ていたものだ。断捨離できないのはおばあの悪い癖だと可笑しく思った。
息子ができたときに着せてもいいかと思ったが、あいにく戦隊ヒーローの顔ぶれがいくら何でも古すぎる。流石に息子が気の毒だ。
おそらくおばあだけが、「似合う似合う」と喜ぶのだろう。


七箱目。
事前に中身は知っていた。
おばあの部屋にあった大方の遺品一式と、その上に、一通の封筒。

俺は『⑦』と書かれた蓋をゆっくりと開き、封筒を確認する。
横の遺影に目をやり、緊張が高まる。待っても高まり続ける一方なので、思い切って開けた。

遺書の一枚目には、
「二枚目以降は圭太以外に読ませないで」という家族に宛てたお願いと、
俺に対してこのような遺言になったことへのお詫びだった。
そして俺は、その一枚目を経机に置いた。


『圭太へ』

圭太が生まれてきてから、とても楽しい人生でした。
わたしももう先が長くないかと思っていたけれど、あなたが生まれてから毎日が楽しかったです。

包丁でわたしがケガしたことは覚えてるかい。あなたが刃先に持ち直さないでわたしに包丁を渡したんだよ。

テレビで一緒にボウリングをしたね。あたしは一回も勝てなかったね。負け惜しみを言わせてもらうと、あなたが喜んでいるのに目が行って、テレビをちゃんと見れてなかったの。

宿題でわたしに戦争の様子をききにきたね。わたしはたくさん資料を用意してお話ししたかったんだけど、次の日に入院することになってしまって、申しわけなかったね。

あのロケット花火はわたしの宝物。あなたが泣いて謝ってくれたのが本当にうれしくて。次の年から花火大会に連れていくことを決めたよ。
あなたはもう試しちゃったかしら。あの花火はつかないだろうけど、それでもあれは本当にわたしの宝物なの。

あの服はわたしが捨てられなかっただけ。ひ孫が出来たら顔を見せに来てね。

ここにある全部がそう。どれもわたしには捨てられないし、わたしのその性格を知っている皆に捨てさせるのも胸が痛い。
だから、あなただけにお願いした。
わたしのことは考えないで。少しでもわたしの気持ちが伝わったなら、それで十分だから。思い出せたら、捨てていいからね。



俺はしばらく読み進めることができなかった。
震える手を握り、網戸を開け外に出る。
裸足に砂利が食い込むが、痛み以上の気持ちで目を凝らして、空を見上げる。

やはり、田舎の空は広い。ただ、田舎の夜は暗い。
ひしめき合う星空は都会のどのネオン街よりも賑やかで、穏やかだ。


手の震えはまだ収まらない。
それでも夏の夜は短いから、急いで次の一枚を読まなければ。
おばあが見えなくなる前に。


追伸
わたしはもう一つ、あなたに謝らなければいけないことがあります。
あなたが十歳のときにタイムカプセルを埋めたことを知らずに、次の月にわたしはお庭にたくさんお花を植えてしまいましたね。
わたしも気づかなくてごめんなさい。
埋めた場所は思い出せますか。思い出せないなら、あなたは庭中を掘り起こして探さなくてはなりません。
家族には伝えてます。これ以上は言わないので、八番目の箱を開けてみてください。


八番目の箱には、新品のガーデニング用品が入っていた。
次第に日が昇る。
俺の足元に、やつれた花火が転がっていた。

俺は精一杯顔をしかめて、箱の中のスコップに手を伸ばした。



俺は玄関の扉に手をかけた。今出れば、夕方までに東京につく。

「じゃ、正月にまた。」

「えぇもう早ぇってまだお父さんも起きてないのに。それに、」

「ああ、大丈夫。ほんとにだいじょぶなやつよ。」

「本当にそうなら何も言わないけどさあ。おばあちゃんにあんな風に言われたら、お前と何があったんだって心配するって。」

姉と話している合間に、母がタッパーにいっぱいの団子を渡してくれた。
おばあの好物だと言ったら、親戚の皆が一斉に持ち寄って手に余っているらしい。
俺は両手が塞がっていたので、車まで姉にタッパーを運んでもらうことになった。

「…話すけどさ、俺さ昔タイムカプセル埋めたじゃん。」

「んん…ああ!思い出した!そのことでおばあちゃんすごいお前に謝っててな!」

「まあ埋めた場所覚えてたから問題ないんだけど。」

後部座席に荷物を乗せ、俺は両手のそれは助手席に移した。

「あ、じゃあその花は…。」

ドアを閉めた姉が、窓から俺と助手席を交互に見る。

「最低限とはいっても、そこだけは掘らなきゃいけなかったから。」

「覚えててくれて何よりよ。

…アレ、何だっけその花。この前おばあとホームセンターで種をいっぱい買ったんだけどな~。」

「おはな、ね。」とだけ残して、ペダルを強く踏み込んだ。


フロントガラスの向こうを、名前のない星が渡る。
助手席で、おはなが揺れている。

今度は、空だけ見に帰ってもいいかな。





この度は、はらとけいさんが企画する「せりふ三題噺」に参加させていただきました。四回目です!
なんだか書くたびに文字数が伸びている気がしてしまい謂れのない申し訳なさがあります…!
いつの日かショートショートにも挑戦したいです!


セリフ:「気合い入れてこ!」

三題:ゼラニウム・団子・耳

うちの祖父も10年前に耳の骨に機械を繋ぐための入院をしたんですけど、家の中が静かになりましたね。
帰ってきてから倍うるさくなりました。

帰りにコンビニでお団子買っていきましょうか…!
最後までお読みいただき、ありがとうございます!!


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