小説『死せるアラサー、生ける後輩を走らす』#03
#03 休戦
「とりあえず、逃げたりしないんで、一旦、休憩しません?トイレに行きたいし、お腹もすいてませんか?俺、なにか買ってきますよ?」
「・・・・わかった。服着るから、あっち向いてて」
「あい」
ふぅ、なんとかトイレには行けそうだ。
それにしても、アラサー女って、ちょーメンドクセー。
っていうか、いま気が付いたけど、彼氏と別れてるなら、俺って無罪じゃね?浮気にならないんだから、俺って間男じゃないよな。
だからといって、この状況が好転するとは思えない。方向が変わっただけで、俺が責められる構図は変わらないままだ。
だいたい、彼氏と別れたばかりの女とやるなんて、完全に地雷案件じゃねーか。
まさしく、今の状況はその地雷を踏んだ結果のようだけど、シラフだったら絶対に手なんて出さないね。
責任かぁ・・・頭丸めたら、許してくれないかな。
「もういいわよ」
「あい」
先輩は、地味な上下グレーのスウェットに着替えていた。
メイクは昨夜落さずにそのまま寝たようだが、寝ているあいだに多少は落ちたのか、普段会社で見るのと比べると陰りが見えてしまうのは、アラサーたる由縁か。お肌の曲がり角ってやつだろう。
それ言ったら、絶対に殺されるヤツだから、口が裂けても言わないが。
「じゃあ、変態疑惑をかけられるのもイヤなんで、俺、先にトイレ借りますね」
「ダメに決まってるでしょ!私が先に行くの!」
「あ、はい」
なんなんだよ、全くもう。
いい歳した女が後輩に当たり散らかして、会社にいる時と全く別人じゃねーか。頼れる美人の先輩だったから信頼してたし、仕事教えてくれたり仲良くしてくれるから、社内でも後輩として、ちょっと鼻が高かったのにな。
「ちょっと!桃田くん!トイレ使った時、便座上げたままだったでしょ!気付かずに座ったら、お尻がハマって濡れちゃったじゃない!」
「えええ!?」
先輩がトイレから出てきて、ようやく尿意を解放できると思ったら、また怒られた。
この人、実はバカなんじゃないの?
とにかく、もう尿意が限界なので、怒る先輩をスルーしてトイレに入り、便座を上げて小用を済ませた。ちなみにトイレを出る時は、便座は上げたままだ。これが俺の反骨スピリット。
トイレから出て、洗面所で手を洗おうとすると、洗面台の横にある洗濯機の中に、先ほど先輩が着替えたばかりなのにトイレで濡れてしまったグレーのスウェットが放り込まれていた。ウケる。
部屋に戻ると、先輩がキッチンでお湯を沸かしていた。
あまり見ていることを気付かれないようにちらりと確認すると、インスタントコーヒーの容器とマグカップは2つ並べられていた。あれだけ怒っていても、俺の分のコーヒーも淹れてくれるようだ。
そういうところは、会社にいる時の先輩と同じだな。トイレを済ませたら、すぐにでもコンビニへ行こうと思ったけど、コーヒーを頂いてからにするか。
ローテーブルの前で再び正座すると、先輩はコーヒーや砂糖などを乗せたお盆を運び、俺の横に座った。
え?なんで横なの?怒ってる先輩、顔が怖いしメンドクサイから、距離おいてほしいんだけど。
ちなみに、グレーのスウェットからグレーのスウェットに着替えたようだ。
「同じスウェット、何着も持ってるんですね」
「はあ?バカにしてんの?」
「いや、そんなつもりじゃ」
これは、なに言っても気に入らなくて、怒られるゾーンに入っているな。
こういう時は、沈黙は金。
先輩は俺の前にコーヒーを淹れたマグカップを1つ置くと、自分のマグカップを両手で持って、静かに飲み始めた。
俺も、スティックシュガーを1つ開封するとマグカップに投入して、スプーンで混ぜてから口を付ける。インスタントでも、今の俺にはこの香りが癒しに感じる。
しかし、お互い黙ったままで空気が重い。
何か言えば怒るので、重い空気のプレッシャーを跳ね除ける精神で沈黙を通す。
「桃田くん、今日と明日は用事ないの?」
「え?今日と明日?」
先に沈黙を破った先輩は、何故か俺の用事を気にしだした。
その口調や表情には、先ほどまでの激昂していた様子はなく、むしろ、少し不安を滲ませていた。
「べ、別に、確認しただけだし、帰したくないとか思ってないから!」
なんじゃそりゃ。『帰したくない』って言ってるようなものじゃん。
だったらあんなに怒らんでもいいのに。肉体関係を持ったフリーの独身同士なんだし、もうちょっと可愛く甘えてくれたりしてたら、俺だって速攻で落ちてるはず・・・いや、微妙だな。
「いやぁ、特に用事は無いんすけど、昨日から帰ってないんで、シャワー浴びて着替えたいし、そろそろ帰りたいかな・・・なんて」
「へぇ、このまま帰るつもりなんだ。責任取る気なんてないんだね」
「えええ!?」
なんだよ、その引っ掛け問題みたいなの!帰ったらダメなのかよ!?休日だぞ今日!だいたい、さっきから責任責任って、なんの責任なんだよ!?
「ホントに、昨日の夜のこと、憶えてないの?」
「ええ、何度も言ってますけど、憶えてませんよ!」
最初は後ろめたさもあったし会社の先輩だから逆らわずにいたけど、理不尽に怒られてばかりで俺もフラストレーションが溜まっていた。それに、彼氏と別れているならエッチしたくらいで殺されることもないだろう。だから、空腹でイライラしてたのもあって、ちょっと強気に出てみた。
「そうなんだ・・・年下の男の子にあんなこと言われて、嬉しかったのにな・・・」
ここまで、激昂したり泣いたりと、感情を激しく露わにしていた先輩だが、今度は静かに寂しそうな表情で、哀愁を漂わせはじめた。
泣かれたりするよりも、女の人にこういう表情をされるほうのが、罪悪感や焦燥感などを感じてしまうのは、何故だろう。特に、会社ではしっかり者で頼れる先輩だったから、こういう弱った姿には、殊更ほっとけない気持ちになってしまう。
まぁ実際に、俺がなにかやらかしたからこんな表情をさせているわけで、俺が悪いのは間違いないのだけど。
『#04 アラサーの現実』につづく。
