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小説創作における『憑依型執筆スタイル』の考察と言語化への挑戦 第七章(前編)

第七章 憑依型の強みと個体差(前編)

■リアリティとは

 憑依型の強みは、なんといっても『キャラが生の人間に基づいた思考と言動』であり、それは、テンプレ作家の記号キャラでは到底手の届かない、高度なリアリティを成立させています。
 なので、憑依型作家には、過剰なほどリアリズムに拘る人が多いかと思います。生活憑依型の私が、生活に関係する情報ばかりを拾うのも、その拘りの顕れです。

 ここで言うリアリティとは、現実に起こりうるかどうかではなく、脳内のスクリーンに起きていること、脳内のキャラが話したこと、これら『脳内で起きた瞬間の真実を、どれだけ再現できたか』になるのです。
 ここで、注意したいのが、細かく細部まで再現できたかどうかではありません。この再現には、スピード感や躍動感、緊張感などの情緒も含めます。第五章でも述べましたが、速度と情報の取捨選択です。

 ありがちなのが、戦闘シーンでの説明過多
 その場面の緊張感や躍動感を伝える為には、動きや展開の早さを描写する必要があります。なのに、スキルがどーたら、この効果はこーだ、とかごちゃごちゃ説明なんてしていたら、緊張感も躍動感もへったくれもありません。

 毎度おなじみの実際の例で解説します。
 ・悪い例
「Aは腰の剣に手をかけると相手を睨み、剣を抜いて上段に構えると、気勢の声を上げながらBとの間合いをつめた。Bは剣でそれを受け止め、鍔競り合いとなった」

 ・私が描写するなら(例)
「腰の剣に手をかけると、緊張を隠すように相手を睨んだ。
 押されてはダメだ。気持ちで負けては勝てるものも勝てやしない。
 気合いを入れる為に吠えると、脳よりも先に体が動き、次の瞬間にはBと鍔競り合いをしていた」

 どちらが戦闘シーンとしてリアルかは、一目瞭然ですよね。悪い例は動作を羅列して説明しているだけ。私はAの体験の描写なんです。
 そもそも、『描写(show)』と『説明(tell)』の違いを理解していない人が多い。第三章でふれたコンテストの審査員ですらそうですからね。羅列なんてしなくても、「脳より先に体が」と入れただけで、その動きの早さを読者は脳内で補完できてしまうんです。さらに、適度にモノローグを入れたことで戦闘中の孤独感を表現できて、シーンとしての緊張感も伝わるかと思います。

 こうして、プロット設計型にありがちな説明過多と憑依型お得意の体験描写を比べると、憑依型の強みをご理解頂けたかと思います。

■憑依型の個体差

 ここから述べたいのは、同じ憑依型でも能力的な部分で出てくる差の話になります。
 勿体ぶらずに話しますと、『同時に(並行して)処理できる量と精度をふくめた処理能力』です。パソコンでいうとCPUのスペック
 分かりやすく具体的に例えると、会話シーンにて、同時に会話できる人数を何人まで増やせるか。もちろん、多いだけではダメで、何人までの会話を成立させられるか。
 この『成立』には、一人一人の人格や思考、口癖やバックボーンを崩さないで、むしろセリフの中でも性格などが分かるように会話をさせられるかを含めます。一見、会話として成立しているように見えても、キャラが崩壊をしては成立しているとは言えません。

 1対1の2人での会話なら楽なのは分かりますよね。
 これがABCDの4人ならどうですか?4人の性格や職業など全て忠実に再現しながら会話シーンを成立させられるか。そして、そのシーンを文章で再現できるか。脳内で4人の会話が成立したとしても、文章にしたら、誰が誰だかわからないでは意味がないですからね。

 ここで1つ苦言を呈したいのが、セリフの中に不自然な名前呼びを入れてしまう人。
 ありがちなのが、対面で会話しているのに会話相手の名前を言わせるパターン。
「あ、そういえば太郎君」
「私も太郎君と同じにしようかな」
「太郎君の肩にゴミがついているよ?」
「どうせ太郎君は昨日も遅くまで起きてたんでしょ?」
「太郎君も一緒に食べる?」
「太郎君は今日なにしてた?」
「太郎君がそこまでしなくてもいいじゃん」

 分かりますか?これら、現実の対面で会話する場合、太郎君なんて名前を入れなくても「私も同じにしようかな」「一緒に食べる?」で相手には伝わるはずなんですよ。リアルでこんなに名前を連呼されたら「太郎太郎うるせーよ!」って、相手は機嫌を損ねてしまいますよね。
 でも、読者に伝える自信の無さの現われで、セリフに会話相手の名前を入れてしまう作家は、実に多い。

 少し横道に逸れましたが、同時(平行)に複数人の人格に憑依して、それぞれの個性を崩さず、むしろ活かしながら会話したり戦ったりを成立させることができるかが、憑依型の中での個体差になるかとおもいます。
 最初に述べたように、この差は能力の差であって、個性の話ではありません

 またまた例え話になりますが、8人の会話シーンを描くとき。
 この8人にはそれぞれ役割があります。例えば、報告する人、報告する人の上司、報告内容によって罰せられる人、報告を受ける人、傍聴する人、判定する人、オブザーバー、神の声(この場で一番立場が上で、この人の一言で全てが決まってしまう)
 これらを役割や人物像を全部活かしながら動かすんです。
 これだけいれば、セリフが被ることもあれば、視界外で動いている人もいます。
 でも、視界外まで全て拾うのは不可能。
 むしろ、私の場合は最初から拾う気はなし。
 メインで進行する人(上司)を決めて、視点(カメラマン)を主人公に固定させることで、成立させます。
 もう少し補足すると、全員が全員一斉に喋るわけではないので、会話の流れにそって、被写体を変えていく。

 まずは議事進行役の上司へカメラを向けてスタート。
 報告する人が喋っている時はそこへ向ける。
 判定者が判定を下す。
 罰せられる人が青い顔をした様子。
 神が罰の内容を通達。
 なぜか泣き崩れる傍聴人。
 と、カメラの視線をひょいひょい変えて回して、カメラ役がモノローグで「え?なんで傍聴人が泣いてんの?」とか補足してやれば、8人の会話シーンも成立可能。
 つまり、8人を常時保持するのではなく、保持する2~3人を場面ごとに変えてやる。そうすれば高性能CPUが無くてもある程度は可能です。
 この時に大事なのが、どこに誰が居るのかを位置関係(配置)をしっかりイメージで作っておくこと。作者本人がそのイメージができている状態でカメラを動かさないと、読者はもっとイメージが難しくなるので。

 そして、会話をリアルに魅せる為の工夫。
 例えば、セリフが被る様子の例。

「だれだ!おれのアイスくったやつ!」

「俺じゃない」『Aです』

「おい!チクんなよ!」

 俺じゃないと否定するAとチクりのセリフを並列でくっつけることで、声が被ったのを表現する工夫です。
 他にも、「俺じゃn『Aです』、おい!チクんなよ!」と縦列での被り表現もアリかと。
 こういう工夫を取り入れることで、同時複数人の会話を描写します。

 と、これら複数人の会話シーンも憑依型にとって得意描写になります。
 そして、逆にプロット設計型にはできない描写なんです。
 プロット設計型の会話シーンで8人もいたら、口調とか被りまくるんですよね。最悪、主人公+その他大勢みたいな感じで。
 それに会話も設計されてつくるので、喋る順番が決まっているし、応答も整ってしまうから、台本の読み合わせみたいでリアルじゃない。もっと言えば、物語の展開や説明のために会話させたりするので、キャラの人格とか感情が乗っていないセリフ(作者の声)になりがちなんです。
 そもそも、主人公一人の人格ですらプロットの都合で変えてブレブレにしてしまうくらいだから、最初からキャラの人格とかバックボーンなんて考えずに会話させているのでしょうね。
 憑依型からしてみれば、「そんな会話シーン、面白いの?」と思いますけど、会話をリアルにすることよりもプロット通りに進めることが最優先だから、そんなもんらしいです。

 なので、これらが憑依型としての強みであると同時に、個体差(能力の差)が出てくる部分というお話でした。

 ※以前、多人数での会話シーンを書いているので、参考までに
 https://kakuyomu.jp/works/16817139556074897543/episodes/16817139557934694747

第七章(後編)につづく。

※このエッセイは、小説投稿サイト『カクヨム』と『小説家になろう』でも公開しています。

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