小説創作における『憑依型執筆スタイル』の考察と言語化への挑戦 第一章
物語を妄想するのが好きなのに、プロット設計がどうしても合わない。
キャラが勝手に動く感覚はあるのに、うまく説明できない。
そんな人のために、「憑依型」という執筆スタイルを、自分自身の実例をもとに、体系的に分解と言語化した創作論エッセイです。
これを読んで、どうか憑依型であることを武器に、テンプレ至上主義の荒波に逆らい続けてほしい。
はじめに
なぜコレを書こうと考えたのか。
①自分の執筆スタイルが『憑依型』だから。
②『憑依型』という執筆スタイルの定義が曖昧で、自覚できている人は少ないだろうと考え、私の体験と考察をもとにその定義を明確にして、無自覚な憑依型の人たちにも自覚してほしい。
③『憑依型』=天才肌・感覚派、努力せずに書いている、プロットを作れない言い訳、などの誤解を払拭したい。
これから私がやろうとしているのは、『憑依型』と呼ばれる執筆スタイルの定義を明確にすること。要は、「憑依型執筆スタイルとは、具体的にどんなものか」を実例・実体験や私なりの考察をもとに、言語化して体系的に定義づけする。いや、したい。か。
そして、『憑依型』への誤解。
都市伝説や超人のような目を向けられたり、通ぶってるとかプロット作れない言い訳だと思われたりと、あまり良い目では見られません。
でも、誰でも知っているような有名作家の中には、憑依型だと思われる方は結構います。
太宰治や芥川龍之介、夏目漱石、村上春樹に宮部みゆき、伊坂幸太郎、東野圭吾、筒井康隆などなどで、「人物の声が聞こえる」や「キャラクターが勝手にしゃべりだす」などと語っていたり、人物の内面からの語りに特化していたりと、憑依型の特徴が顕著な作家は実在しています。
むしろ、プロット設計型のほうが後発の執筆スタイルで、昔は憑依型のほうがメジャーだったそうです。
しかし、それでも『憑依型』執筆スタイルの認知度は低いのが現実です。
そもそも『憑依型』という言葉は、学術的に見ると正式な言葉ではありません。
ネットスラングなどに近いもので、硬い言葉でいうと『準専門語化していないスラング』
一般的には使われている。
その意味も共有されている。
でも、定義は曖昧(体系化されていない)で、学術的には未整理(研究対象にされていない)というもの。
また、憑依型であることを自覚できていない人が多く、自覚できている人でも言語化して説明するのが難しく、さらに憑依型以外の人には、まず理解できない領域。
つまり、研究対象としては誰も手を付けていない状態の執筆スタイル。
それを私が、素人ながらも研究してやろうということです。
硬い言葉で言うと、『創作スタイルの自己理論化』
少しロマンチックに言うと、『まだ誰も足跡をつけていないパウダースノーに、最初の一歩を踏みしめてやろう』って話です。
第一章 憑依型執筆スタイルとは?
■定義付けに挑戦
憑依型の執筆を簡単に言えば、『脳内の妄想を文章にしてアウトプットする』
頭の中での妄想は、誰でもすると思います。
好きな子と恋人になる妄想。
推しのアイドルとデートする妄想。
自分も転生して、異世界で活躍する妄想。
などなど。
この妄想を文章に起こして、小説を創作するスタイルです。
私はこれを、『妄想を文章で再現』することだと考えています。
そして、このスタイルと対極になるのが、現在主流である『プロット設計型』スタイルになります。プロット設計型とは読んで字のごとく、先にプロットで物語を設計してから、その設計通りに執筆するスタイル。
この二つの違いは、プロット設計型は、作者が考えて作った台本をキャラたちに演技させるもの。憑依型は、作者の脳内で展開される物語を観察して(もしくはキャラになりきって)文章に起こしたもの。
例えるのなら
・プロット設計型は、脚本家+舞台監督
・憑依型は、役者もしくは観客
もう少し具体的に、キャラ同士の会話に例えて説明すると
・プロット設計型は、物語の展開をプロット通りに進めるためにキャラに会話をさせる。
・憑依型は、キャラたちが勝手に会話を始めて、その結果で物語が動き出す。
恐らく、この「勝手に会話を始める」という現象が、憑依型を理解するのを難しくしていると思います。
でも、本当にそうなんです。小説家や漫画家で「キャラが勝手に動き出す」とか「作者にもどう転ぶか分からない」と言う人がいますが、まさにそれなんです。
実例として、私のパターンを説明しますと
まず最初に、脳内で主人公の人格をイメージします。
事細かく作るのではなく、なんとなくのイメージです。
「25歳の男子はこんな感じで、相手はアラサーの女性にするか。アラサーの女性ってこんな感じだよな」って感じです。
あとは、場面「会社の先輩と朝チュンしてしまったが、記憶がない」を決めてやると、勝手に動き出します。
25歳男子が起きると裸で、記憶がない。
隣には裸のアラサーの先輩が寝ている。
焦るが、昨日は飲み過ぎたのでトイレが近く、尿意が限界。
まずはパンツを履いてトイレへ。
すっきりすると少し冷静になって、部屋の片隅のゴミ箱に気付く。
中身を見るとティッシュがあるが、直接触るのは嫌だからゴミ箱ごと手に持って臭いを嗅ぐ。
と、すらすら脳内で妄想が捗ります。それを文章で再現してやるのです。
そこには作者の意図は介入させず、キャラが私のイメージした25歳男子の人格で自律して動くんです。
なので、どのような展開に進むのか、私にも分かりません。(これに関しては少し語弊がありますが、それは別の章で解説します)
また、私の実例はあくまで複数ある憑依型執筆パターンの中の一例で、全ての憑依型がこうではありませんが、似たり寄ったりだとも考えています。
読者さんやプロット設計型の人にしてみれば、「そんなんで、物語として成立するの?」と思われるかもしれませんが、現実の人間の営みって、なんでもかんでも白黒はっきりするわけではありませんし、結果が出ないことも多いです。
でも憑依型にとっては、それでもドラマなんです。むしろ、設計された物語よりもリアルなドラマなんです。
もう1つ分かりやすい例えとして、将棋のプロ棋士。
脳内の将棋盤で一人二役をこなしながら対局を展開させるという話を、耳にしたことがあるかと思います。これに少し似ています。
これは、棋士の脳内でAとBを戦わせる場合、Aの戦術ロジックで指し、次にBの戦術ロジックで指す。一人二役をこなしながら何十手先まで読んでいくというもの。実際の将棋盤ではなく、脳内の将棋盤で対局が展開されているんですよね。
憑依型の会話シーンの場合は、Aの人格になりきって発言して、それをBの人格になりきって答える。この一人二役を目まぐるしく繰り返しながらリアルタイムで文章にして、会話シーンを再現する。憑依型は、脳内の舞台で会話が展開されているんです。
ここまでの説明を踏まえて、『憑依型』という言葉を私なりに定義すると
『脳内で展開される妄想(イメージ)を文章で再現させる執筆スタイル』
第二章へ続く。
※このエッセイは、小説投稿サイト『カクヨム』と『小説家になろう』でも公開しています。
