小説『死せるアラサー、生ける後輩を走らす』#07
#07 グレー
次から次へととめどなく溢れる涙を拭き取るのはキリがないので諦め、手櫛で髪を整えてあげると、子供をあやすようにハグをして背中をポンポン叩いた。昔、弟がまだ赤ん坊の頃、よくこうやってあやしていたのを思い出す。
「ひどりになりだぐないよ~、ももだぐん、そばにいで~」
うわ、赤ん坊だった弟よりも厄介なこと言い出したな。
「今日と明日だけですよ?」
「うん」ヒック、ヒック
赤ちゃん返りした28歳の先輩をしばらくあやしていると泣きやんだので、「シャワーでも浴びてきたらどうです?」と提案した。
「一人になりたくない」
「いや、シャワーくらい一人でって、あ、もしかして、俺と一緒にシャワーしたいんすか?」
「ちっがうわよ!洗面所にいてちょうだい!」
「エェ・・・洗面所寒いから、こっちの部屋で待ってますよ」
「じゃあ私もシャワー浴びない!桃田君とこっちにいる!」
「はあ?」
なに言ってんだ、このスッピンお化け。油性マジックでほうれい線なぞってやろうか。
「先輩がシャワー浴びてるあいだに部屋の片付けとかしておくんで、なんだったら湯舟にも浸かってゆっくりしてきてください。」
「やだ」
この野郎・・・俺史上最高の気遣いと労りを見せてるっつーのに、我儘放題じゃねーか。
「じゃあ、俺も一緒にお風呂に入る」
「ダメに決まってるでしょ!なに考えてんのよ変態!」
結局、洗面所で強制待機させられることになり、昨夜脱ぎ散らかしていた先輩の下着やトイレにはまって濡れたグレーのスウェットなどを、なぜか俺が洗濯するハメに。でも洗濯機に放り込んで洗剤入れてスイッチ押して終わったので、あとは体操座りでじっと待機。大御所漫才師の付き人とか、こんな心境なのだろうか。それとも、室内で飼われているトイプードルのほうが近いか。
しかし、俺を洗面所で待機させて、いったいなにがしたいのだろう。俺だって本当は家に帰ってシャワー浴びて着替えて寝たいのに、帰りたいっていうと先輩がスネるからこうして我慢してるっつーの。まぁ、自業自得ではあるのだけど。
しばらくするとシャワーの音がやんで、先輩が曇りガラスの扉の向こうから俺になにか話しかけていた。
でも、洗濯機の音が邪魔でなにを言ってるのか聞こえないので、スルーした。
ガラッ
「ちょっと!タオル取ってって言ってるでしょ!何度も言わせないでよ!」
曇りガラスの扉が突然開いたと思ったら、おっぱい丸出しの先輩が激昂していた。
「あ、はい」
そう言って、体操座りのまま棚からバスタオルを1枚取って渡すと、先輩はお礼も言わずに扉を閉めた。ロケットのような先輩の豊満な生おっぱいを見れても、なぜか全然嬉しくなかった。
先輩は体にタオル一枚巻いた姿でバスルームから出てくると、体操座りする俺の前でタオルをもう一枚取ってターバンのように頭に巻き、「あっちの部屋にいこ」と言って、シャワー前に脱いだスウェットを持って洗面所から出ていった。
溜め息を一つ吐き、俺も部屋に戻ると、暖房が効いてるおかげでささくれていた気持ちも和らぐ。だから俺は洗面所で待機なんてイヤだったんだ。
「服着るから、あっち向いてて」
「あい」
今日と明日をここで過ごすことになったのはいいが、ぶっちゃけ、することないからヒマなんだよな。スマホでゲームでもして時間潰したいけど、先輩怒るかな。また『もっと慰めて!』とか言いそうだよな。
それにしても、入社した時から世話になってた先輩を俺が慰める側になるとは。会社の同僚とか知ったらビックリするだろうな。っていうか、やっちゃってること自体がビックリ案件か。そうなれば当然、会社じゃ美人社員としてブイブイいわせていた先輩の破局も絡んだ話になるから、ビックリどころか驚愕スキャンダルとして会社中を駆け巡りそうだな。
「もういいわよ」
「あい」
先輩は、シャワーを浴びる前に着ていた上下グレーのスウェット姿。グレー、再び。安心安定のグレーだ。そして俺の心も、いまはグレー。
「それで先輩、これからどうするんですか?普段の週末ってなにして過してるんですか?」
「週末は毎週、ジムに行って走り込みとホットヨガをしてるね。あとはお部屋のお掃除とかお布団干したり、食料品を一週間分まとめ買いに行ったりね」
アラサーになると、お肌だけじゃなく体形にも気を付けないといけないんだな。それだけ努力していても男には捨てられてしまうというのが、またなんとも悲しいところだけど。
「へぇ、もうお昼過ぎですけど今日もジムに行くんです?」
「今日はやめておくね。でも、買い出しには行かないといけないね」
先輩が買い物に行くのなら、これはチャンスかもしれない。
「じゃあ、そのあいだに俺、一旦帰って着替えてきてもいいっすか?」
「ダメに決まってるじゃない!お買い物に付き合ってよ!」
「エェ・・・一昨日からお風呂入ってないし服も仕事の時のままだし、買い物とかはちょっと」
俺がそう言うと、先輩は俺の体に顔を寄せてくんくんと嗅いだ。
「確かにまだお酒臭いし、体も少し臭うわね。桃田君もシャワー浴びてきていいよ。着替えも用意してあげる」
失礼な。誰のせいで。
ムッとする俺をよそに、先輩はタンスの引き出しをゴソゴソしはじめる。
「桃田君の服も洗濯したいけど、下着は買ってこないと替えが無いわね」
そう言って、タンスから取り出したTシャツと上下グレーのスウェットを渡してくれた。
予想はしていたが、やはりグレー。
「じゃあ、シャワー浴びる前に、コンビニで下着とか買ってきます」
「じゃあ、私も行く」
「え?なんで?」
「いいじゃない、付いていったって」
「別にいいですけど、それだけのために、また完全武装するんですか?」
「もちろんよ」
で、髪を乾かすまで待たされ、ホントに完全武装でコンビニまで付いてきた。そして、俺が下着と靴下に歯ブラシなどを購入しているあいだずっと、俺の服を掴んで背後霊のようにくっ付いてくる。
先輩はこのコンビニの常連客だと思うが、店員たちのあいだで「マスクマン」とか「スッピンメガネ」とか「グレー」とか変なあだ名とか付けられているのだろうか。なんか、そんな気がする。
部屋に戻りシャワーを借りると、そのあいだに先輩が俺の着ていた服を洗濯してくれて、俺がシャワーを終えるまで何故かそのまま洗面所で待機していた。体操座りで。
『#08 アラサーの見栄』につづく。
