マーケターに「消費者目線」は持てない
「消費者の感覚で考えると、このCMの方が伝わると思います」
広告の企画会議では、こうした言葉がよく出てきます。私自身、テレビCMの制作に関わった経験がありますが、会議に参加している人は全員が消費者でもあります。そのため、自分の感覚を根拠に話すこと自体は不自然ではありません。
しかし、マーケターが自分の感覚を「消費者の感覚」と呼ぶのは、かなり危険です。
マーケターも消費者ではありますが、平均的な消費者ではないからです。
テレビを見ていても、出演者やコピー、商品の見せ方が気になります。YouTube広告が流れれば、なぜこのターゲティングなのかを考えます。街を歩いていても、屋外広告や店頭の販促物が目に入ります。
仕事で広告を考え、周囲にもマーケターや広告関係者が多い。そのような人が、広告を仕事にしていない生活者と同じ感覚を持つのは、そもそも無理があります。
消費者目線は、努力して身につけるものではありません。自分には持てないと認め、マーケティングリサーチによって外から持ち込むものです。
マーケターは、属性からして平均ではない
日本にマーケターが何人いるのかを示す、信頼できる統計は見当たりません。政府統計でも、マーケターは独立した職種として明確に切り分けられていないからです。
ただし、ほとんどの生活者が、日常的に商品開発や広告、価格、データ分析を仕事にしていないことは間違いありません。
属性にも違いがあります。厚生労働省の職業情報サイト「job tag」では、Webマーケティングが含まれる職業分類の平均年収は、全給与所得者の平均より高い水準にあります。学歴についても、Webマーケティングやマーケティング・リサーチの仕事では、大学卒が多いと認識されています。
もちろん、これは人としての上下や能力差を意味するものではありません。また、分類上の制約があるため、マーケター全員の正確な姿を示す数字でもありません。
問題は、マーケター自身の所得、学歴、居住地域、情報接触や買い物の習慣が、担当商品の中心顧客と一致している保証はないことです。
都市部で働く人が地方向けの商品を考えることも、高所得の人が低価格商品を担当することもあります。自分と異なる生活をしている人の感覚を、会議室で想像するだけで正確に再現するのは困難です。
仕事が、広告を見る目を変えてしまう
属性以上に大きいのが、職業による認知の変化です。
一般の生活者にとって、広告はテレビ番組やYouTube動画、街の景色の途中に現れるものです。広告を覚えていないことも、最後まで見ないことも珍しくありません。
一方、マーケターは、広告を広告として観察します。誰に向けたものか、何を伝えようとしているのか、競合と何が違うのか、ブランドらしさがあるかまで考えてしまいます。
一度マジックの仕掛けを知った人が、何も知らない観客とまったく同じ目では見られないのと似ています。広告を作る側に回ったマーケターは、広告を見る前の自分には戻れません。
さらに、社内のマーケター、広告代理店、制作会社、調査会社と広告について話し、SNSでも同業者をフォローしていると、周囲の反応まで一般社会からずれていきます。
業界内で話題になっている広告が、生活者にも届いているとは限りません。マーケター同士で高く評価された表現が、商品の買い手には理解されない可能性もあります。
それでも会議室では、周囲の反応を「消費者の反応」だと錯覚してしまいます。
P&Gやコカ・コーラのマーケターでも外す
では、経験豊富なマーケターなら、消費者の感覚を正確に予測できるのでしょうか。
P&Gジャパンで約18年間、日本コカ・コーラで約14年間マーケティングに携わり、綾鷹の立て直しや檸檬堂の開発を主導した和佐高志さんは、テレビCMを放映する前に数百人規模の消費者調査を行っていたと語っています。
その結果が基準に届かなければ、制作に数億円をかけたCMでも放映しないことがあるそうです。
この話から得られる最大の学びは、「コカ・コーラはリサーチを重視している」だけではありません。
P&Gやコカ・コーラで長く経験を積んだマーケターが作ったCMでも、数百人の消費者に見せると基準を下回ることがある、という事実です。
一流のマーケターと制作陣が時間をかけ、何度も議論し、数億円を投じても、消費者とのずれは起こります。
では、放映前に消費者調査という関所を設けていない企業は、経験や感覚だけでCMを当てられているのでしょうか。
おそらく、そうではありません。外していても、それを客観的に検知できていないだけかもしれません。
売上が伸びなかったとしても、商品、価格、流通、競合、季節など、原因はいくらでも考えられます。CM自体が生活者に伝わっていなかったとしても、放映後の数字だけから切り分けるのは容易ではありません。
関所がなければ、ずれた広告は止められないまま世に出ます。そして、制作費より大きな媒体費を使い、生活者に何度も届かないメッセージを送り続けることになります。
お蔵入りは「数億円を捨てた」のか
制作したCMを放映しなければ、数億円を無駄にしたように見えます。しかし、これは半分だけ正しい見方です。
制作費を回収できないという意味では損失です。一方で、評価の低いCMへさらに巨額の媒体費を投じることや、本来得られたはずの売上を逃すことは防げています。
ここでは、すでに使った制作費に引っ張られず、消費者の反応を見て止める判断が行われています。
数億円かけたから放映するのではありません。数億円かけたあとでも、基準に届かなければ止める。その意思決定を可能にするのが、マーケティングリサーチです。
リサーチ費は、答えを教えてもらうためだけの費用ではありません。より大きな広告投資を誤った方向へ進めないための保険料でもあります。
リサーチは、消費者に正解を聞くことではない
もちろん、消費者調査をすれば必ず正解がわかるわけではありません。
消費者は、自分が将来何を買うかを正確に予測できません。アンケートで「欲しい」と答えた商品を、実際に買うとも限りません。質問の仕方や対象者の選び方によって、結果も変わります。
だからこそ、リサーチの目的を「消費者に答えを決めてもらうこと」にしてはいけません。
定性調査で生活や習慣を理解し、定量調査で傾向を確認する。購買データや行動データで、実際に起きたことを見る。広告テストで、伝えたい内容が本当に伝わっているかを放映前に確かめる。それぞれの方法を役割に応じて使い分ける必要があります。
和佐さんのインタビューでは、消費者の習慣を徹底的に調べる「Habits & Practices」という考え方から、商品や広告へ落とし込む過程まで紹介されています。
リサーチを単なるアンケートだと思っている方にこそ、ぜひ見てほしい動画です。
【伝説の元P&Gマーケター】綾鷹シェアを10倍にした3Aアナリシス/徹底的な“Habits&Practice”調査/エッジを立てる商品・広告戦略
「消費者目線で考える」をやめる
2024年の日本の総広告費は7兆6,730億円でした。一方、日本マーケティング・リサーチ協会が推計した同年度の市場調査業界の市場規模は約2,474億円です。
定義の異なる数字なので単純比較はできませんが、企業が「消費者を理解すること」より「広告を届けること」に、はるかに大きな金額を投じている構造は見えてきます。
届ける前に、伝わるものになっているか。そもそも、消費者の現実を正しく理解できているか。ここへの投資が足りなければ、広告費を増やすほど大きく外す可能性があります。
マーケターの感覚が悪いのではありません。どれだけ優れたマーケターでも、消費者からずれることがあります。
問題なのは、その感覚を消費者の感覚として扱い、外れを検知する関所も設けないことです。
会議で「消費者の感覚では」と言いたくなったときこそ、いったん立ち止まる必要があります。
その感覚は、誰のものなのか。実際の消費者に確かめる方法はないのか。
消費者目線を持とうとするより、自分には持てないと認める。その謙虚さから、マーケティングリサーチは始まります。
プロフィール
マーケティング戦略コンサルタントです。
事業会社とコンサルティング会社の両方で、販売・CRM・データ分析・市場調査・需要予測・価格・広告・Webなど、マーケティングの上流から下流まで経験してきました。
このnoteでは、実務と研究を行き来しながら、仕事・キャリア・発信に使える再現性の高い考え方を紹介しています。
詳しい自己紹介はこちら。
自己紹介|実務とエビデンスから、マーケティングの本質を探しています
この記事がおもしろかったら、スキで教えてください。
おすすめ記事
凡人がマーケティングセンスを身につけるまで
マーケティングセンスを才能ではなく、仮説、実行、観測、修正の積み重ねとして捉えた記事です。感覚をどのように磨き、同時に疑うべきかを考えています。
優れたブランドはなぜ優れているのか?を改めて考えてみる
P&Gを題材に、ブランドを長く成長させる仕組みを考えています。優れたマーケター個人だけでなく、再現性を支える組織や方法にも関心がある方におすすめです。
【初心者向け】無料でマーケティングが学べる優良コンテンツ6選
マーケティングを体系的に学びたい方に向けて、信頼できる無料コンテンツを紹介しています。今回取り上げたような実務家の考え方を、さらに深く学びたい方におすすめです。
参考URL
和佐高志さんプロフィール|Marketing Waza
https://marketingwaza.com/trainers/takashi-wasa/
和佐高志さん著者プロフィール|ダイヤモンド・オンライン
https://diamond.jp/ud/authors/656984c3905bd4269b000001
【伝説の元P&Gマーケター】綾鷹シェアを10倍にした3Aアナリシス/徹底的な“Habits&Practice”調査/エッジを立てる商品・広告戦略
https://www.youtube.com/watch?v=eRXHW8ZpbNU
厚生労働省 職業情報提供サイト job tag|Webマーケティング(ネット広告・販売促進)
https://shigoto.mhlw.go.jp/User/Occupation/Detail/240
厚生労働省 職業情報提供サイト job tag|マーケティング・リサーチャー
https://shigoto.mhlw.go.jp/User/Occupation/Detail/456
日本マーケティング・リサーチ協会|第49回経営業務実態調査
https://www.jmra-net.or.jp/Portals/0/trend/investigation/gyoumujitai_49.pdf
電通|2024年 日本の広告費
https://www.dentsu.co.jp/news/release/2025/0227-010853.html
