ハンカチと雨の匂い #青ブラ文学部
久しぶりにこちらの企画に参加させていただきます。
山根さん、よろしくお願い致します。
「ハンカチを持ってない男の人ってトイレの後どうしてるの?」
紅葉でも見に行こう。そう誘った二度目のデート。少し遠方までのドライブ、そのサービスエリアでトイレから出た後、城戸さんにそう訊かれた。
「えっ、人それぞれじゃない? 手を洗わずにそのまま出てく人も、今いたし」
「えー! それ大丈夫? タクヤくんは? ハンカチ持ってるの?」
意地悪で聞いているのではなく、純粋な疑問の感じだった。
「あー、持ってないからハンドドライヤー使ったよ、今も」
反射的に嘘をついてしまった。本当は濡れた手をジーパンの太ももあたりでさっと拭いただけだ。
「あっ、抹茶のソフトクリーム! 食べない?」
ジーパンが濡れて少し濃くなってるのがバレないように、慌てて俺は話題を変えた。
「うん、食べたい!」
城戸さんは屈託のない笑顔でそう答えた。
***
三度目のデートは、城戸さんがずっと気になってて行ってみたかったという焼き鳥屋にした。
間接照明が照らす個室、左官仕上げの壁に取り付けられた木の桟が柔らかい陰影を落としていた。
メニューに目を通すと、いくらか高めの値付けではあるが、肩肘を張るほどではない。とりあえずドリンクを頼み、持ってきた店員が丁寧に勧めてくれたコース料理を頼むことにした。
「いいお店だね」自然とこぼれた言葉に、「本当。来て良かったね」と城戸さんも笑った。
料理はどれも美味しく、串が運ばれるたびに二人で顔を見合わせ、小さな感動を共有した。
料理が美味しいと会話も弾むというのは本当だ。気分が上がり、幸せな気持ちになる。美味しい料理の前でネガティヴな言葉というのは自然と出てこない。
すると城戸さんがバッグから何かを取り出した。
「突然なんだけどさ、良かったらこれ使って」
そう言われて受け取った小さな箱はラッピングされており、空色のリボンが飾ってあった。
「え? なに? 開けていい?」戸惑いながら尋ねると、城戸さんは「うん、どうぞ」と、うなずいた。
箱を開けるとモスグリーンのハンカチだった。角にはブランドの小さなロゴが刺繍してある。
「ありがとう、使わせてもらうね」
「うん。トイレに行く時も忘れないでね? あっ、でも今は私が行ってくる」
そう言って城戸さんは席を立った。
嬉しかった。
物をもらったからではなく、以前の何気ないやりとりを覚えていてくれたことが嬉しかった。
同時にふと、城戸さんと会う時には必ずこのハンカチを持っていないといけないなとも思った。そして、そんなことを考えてしまった自分を少し恥じた。
会計が終わり店の扉を開けると外は雨が降っていた。
「あー、結構降ってるね。傘ないけどどうしよう?」
城戸さんが困ったように言う。
「近くのコンビニで買おうか?」
「いや、もったいないよ。駅まで走ろう」
そう言うと城戸さんは走り出した。
意表を突かれた俺も、慌ててその背中を追いかけた。
濡れたアスファルトに信号の青が滲んでいた。
水たまりに映るその光を蹴って、二人の足音が夜道に跳ねる。
車道のライトが、粒のような雨を照らし出し、駅前通りが光って見えた。
城戸さんが前を走りながら振り返って、少し笑った。
アーケードの下に滑り込むと、二人とも全身びしょ濡れだった。
「やば、メイク取れてないかな」
そんなことを言いながら前髪を直す城戸さんに、俺も髪から滴る水をぬぐった。
ポケットから取り出したのは、あのハンカチだった。
「そのハンカチ、役に立ったね」
「うん、ほんとに」
そう答えながら、俺はハンカチをそっと額にあてた。ハンカチの縁から、淡い雨のにおいがした。
雨は止む気配もなく降り続いていた。
でも、駅の光の中に立っていると、なんでもない雨と、目の前のこの人のことを、もっと好きになれそうな気がした。
(了)
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