見出し画像

【エッセイ】六月の独り言

梅雨と夏

自分が春生まれってのもあって、昔から好きな季節は春なのだが、人生の基準になる季節は夏だったりする。
「自分はあと何回夏を迎えられるのだろう」
たとえば、こんなことを考えるときに。

それは秋でも冬でも同じことなのだが、やっぱり夏が似合う気がする。
その夏を迎えるためには、梅雨を越えなくてはならない。
雨は嫌いだ。
でも、雨の音を聞きながら眠るのは好きだ。
嵐や台風など、雨風が強ければ強い方がいい。更に言えば、昼寝なら最高だ。
だが普段仕事をしていると昼寝はできない。休日にそれをやってしまうと、それで終わってしまうのが悩ましい。
でも、私にとって贅沢な休日とは、そんな過ごし方だったりする。

そんな風に梅雨をやり過ごせば、今年も夏がやってくる。
今年の夏は何をしよう。
これは、考えるだけで楽しくなることのひとつだ。


小説と向き合う

ここで小説を書くようになってから、そこそこの年月が経った。
それは短編とも呼べないような、2000字程度の掌編がほとんどなのだが、数をこなしているうちに、その範囲で話をまとめる能力は向上したと思う。
だいたいこれぐらいの文字数で、この場面を切り取ろうみたいな「勘」や「感覚」が育ってきたような手応えがある。

自画自賛ではあるが、今日は独り言なので構わず書かせてもらう。

物事が上達すると(少なくともそう感じると)今度は「課題」が見えてくる。
課題は、解決のために「目標」へと変わっていく。
その循環こそが、創作だけでなく、物事そのものを面白くしているのだと思う。 そこには、いつも「成長」が伴うから。

だから今、私に見えてきている課題を書いてみる。
創作記録として残しておくためにも。

これからは、まず『自分にしか書けないもの』を意識していきたい。
とはいえ、「自分にしか」と言うと少し大げさなので、実際には『自分だから書けるもの』に近い。

今年参加したnoteの創作大賞は、『自分だから書けるもの』を考えるきっかけのひとつになった。
その作品では舞台を調理場に置き、調理師だった私の経験を活かして書くことができた。

私にとって2万字というのはひとつの壁だったが、あの作品を最後まで書き切れたのは、そのおかげも大きいだろう。

だが、得られたものはそれだけではなかった。
創作大賞の作品を書いたことで、これまで書いてきたものを振り返る機会にもなった。
読み返してみると、自分の癖のようなものが見えてきた。

良くも悪くも、私の物語は型にはまっている。
物語の筋は予定調和で、最後にはどこか救いがある。
読後感のよい話が多い。

もともと私はそういう作品を読むのが好きだ。
だから自然と、自分の書く小説もそうなっているのだろう。

もちろん、それが悪いとは思わない。
だが今の私に必要なのは、その型を少し壊してみることだ。

毒や違和感。
あるいは、割り切れなさ。
読者が少し居心地の悪さを覚えるようなものを、物語の中に入れてみたい。
それが今、私が見えている課題である。

まずは、そのあたりから挑戦してみたい。
今は小説を書くことが楽しい。


いいなと思ったら応援しよう!

バラクーダ いつもありがとうございます。