「労働は作品たりえるか?─Baronessの働き方実験」【最終報告書】
Ⅰ.実験の目的と背景:(初回企画書より)
~作品のために作品を作るのではなく、そこに至るまでの過程である「労働すること」「記録すること」そのものに価値があり、作品たりえるのではないか? という問いが、ずっと胸にあります。
この実験は、分野横断的な労働や記録の行為に内在する芸術性を探り、
いわば“節操のない享楽家”である自分の生き方を、問い直す試みです。~
★前回までの詳細:初回企画書、中間報告書参照
Ⅱ.最終報告:(もうわかんねぇからまた日記調になりますがご容赦ください)
2025.9.14 某文学フリマ
午後2時過ぎよりライターD氏が著書をひっさげ出店と知り何も連絡せずに伺う。前出の自費出版本3冊購入特典の新冊をちゃっかりいただき、挨拶もそこそこに他ブースを練り歩く。
足を止めてしまったのが「労働したくない」を訴える著書をひっさげた方々のブース、「小生、実は労働についての研究企画をnoteにアップしております」と自己紹介、枚方の「Mじめ書房」店主・K氏ブースもご案内してくださり、なんとそこの棚本店主が「Mヌケ出版社」旧知の友M氏ーと知りあまりのコインシデンスにビビる。翌日とあるバーで売れ残り出版本をさばく飲み会みたいなんをやるとお教えいただき、立ち読みもソコソコに翌日バーでの再会を近い全ブース回って退出、労働なんかしたくないという舌乾かぬその足で近所のイベント会場で開催されている合同企業説明会に参加という大矛盾の一日。
9.15 某文学フリマ売れ残りをさばいて飲む会@BarY
極力たくさんの人にヒアリングしたく、イベント開始直後より入店。
予想外にも(失礼)大変な混雑で混沌、汗だく。隙間かいくぐり売り物の本はチラ見可能も、誰が誰やら、ほぼ話せず。腹も減り諦めて出ようかとした矢先話しかけた著者S氏と飲みながら話せる幸運にありつき、23時前まで粘り、たまたま近所にアトリエを持つ法廷画家(前回参照)より「カレーがありますよ」とLINEが来たためご挨拶をし退出。
9.21 BarYイベントで知り合ったT氏が活動している万博デモ参加
気づくとジャージ姿にレイバングラスをかけカスタネットを鳴らして御堂筋を練り歩いていた。チンドン屋じみたイロモノ扱いも使いようだと感じる。諸々に反対と大通りで叫び続けることで改めて自身の価値観を見据え腑に落とそうとしたが、落とせず。戦争と、世界で有数の渡り鳥飛来地の埋め立て反対は一貫し変わらねど。と観光客に動画を撮られまくりながらやはり考えていた。
10.3 デモ後の万博会議
議題は大阪万博に絡む世への問い。万博開催において埋め立てられた渡り鳥飛来地から野良猫のTNR活動、男女共同賛画会議、選択的夫婦別姓まで議論は多岐に渡った。
私自身は右も左もない。ノンポリと思われても仕方ない。酒を一人飲んでいた。
ただ、世界を素敵に生きようともがく人間の過程に右も左もないと思っている。
「私たちの活動は、保守でなくリベラルなんです。」
11月末 西成飲み屋T
前回ジャージで西成曼陀羅形成に協力いただいたAッキー氏(中間報告書参照)に紹介したい飲み屋があると誘われ西成奥の住宅街へ。Tという小さな飲み屋をオーナー女性が一人切り盛りしている。お話を伺うと、ド体育会系で名高い企業に長年勤めたあと、居酒屋バイトを経てこの店をパンデミックの中オープンしたとのこと。
「よく、そんな最中にやりましたね。」「ちょうどこの物件も見つかったし、この勢いでやってしまうしかないと思って。」
同じくパンデミック直前に物件探しもテーマも資金繰りも決めていて、あとは契約のみという段階でパンデミックにおののき、時期を見ようと一旦店の計画を反故にした私は、その後いくつか店運営の話をいただいた時にはとうに情熱も金も失せていた。
Ⅲ.後日、宿酔い
「労働」というものと「好きなことをして稼ぐ」という価値観がフラットにならないものだろうか、
どちらも美化するものではない、生きていくためにやるだけのこと。
資本主義嫌悪久しい方々と議論する気は毛頭ないが、かのビル・ゲイツ、イーロン・マスクを筆頭とする突出した才能の人間が何万人の雇用を生んでいるのか。人を育てていない人の言う、「1stも2ndもない」という台詞には違和感がある。私自身、その雇用にあやかり続けている。
と、何が言いたいねん一体。自分ブレブレやがな。
初期企画書でブチ挙げた大風呂敷、”労働の作品性としての可視化・数値化”などできる訳がなかった。ポートフォリオにもならない。乗ってしまった船だからと、舵を取るにあたり七転八倒覚悟したがやはり収集がつかなくなり十四転二十四倒に発展した。
Ⅳ.インスパイア集:(引用)
”日常を非日常化する工夫をせよ。”
”オン アボキャ ベイロシャナウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤ ウン”
”サイクルにこそ、真実が含まれている。人生の現実は、感覚ではなく活動だ”
"この絵は売り物にはできません。神様にささげた絵なのです。”
”「漂えど沈まず」という言葉を核とした一作を書こうとしていたが結局、書けたのか書けていないのか、それは読者のご判断。”
”素晴らしい人生とは、答えを出すのはとても難しい。瀬戸大橋を造るより難しいかもしれません。”
”前に進むことは問題を起こすことなんです。”
”世界は完璧ではありません。欠陥や問題点を見つけ、それに取り組むことが今私たちがここに存在してる理由でもあるのです。”
”生きた証を残したい”
父Baron.T。中卒から定年までライン工、定年退職後もローン支払いと生活費に追われ昼夜ポスティング・皿洗い・スーパーのカート整理とかけもちバイトに明け暮れとうとうリタイアした元文学青年、ちょっと気の弱い男爵の過去から現在に一貫する労働は一体作品なのか。私は目立った作品を残せぬままの労働者、公募投稿狂いの父のあがきが幼少期から嫌だった。
Ⅴ.Baroness自身を俯瞰
ポートフォリオを残すのは簡単だとは思わない、むしろ大変な作業だ。
しかし私は多数の友人たちと一緒に行動し、飲み、そのリアルな本音を聞き、肌で感じた。それを今後も記録していきたい。
それに勝るポートフォリオなどないのではないか。
いや単に酒を飲みたいだけなのか。長年挫折を多く味わったというよりも「逃げてきた」というのが適切だ。
自身を俯瞰するのは困難だ。何者か、というのを提示しないと社会をうまく渡れないのであれば、私は”生活者”だ。逃げや言い訳と思われて当然、ただ私の生活は面白く、ずっとそれを作品にしてる。
私の言動、行動、労働の姿そのものを面白がってくれる社長なり、ホームレスなり、犬なり猫なり畜生なりが存在するのならば、それはイコール作品と言ってもおこがましくはない気がする。
Ⅵ.最後に
Baronessハイティーンの頃から兄と慕う親友、O氏の台詞を。
2025.11.18「メガネの奥には未来への光」O氏
ー考える上で“労働”と“作品”それぞれを定義する必要があるけども
“労働”
生活するための活動・金を稼ぐ手段・社会貢献・自己実現のための手段 など
“作品”
見る人がいるもの・客観的なもの・心を動かすもの
なので、どんな活動も作品として見れるかどうか、
それを見て感動できるか否かは、
”見る人による” ー
最後までお読みくださった方々、半年間お世話になったあたらぼ5期の皆さまにありがとうございますと感謝を述べます。
”漂えど沈まず”。官能的にドリフトし続ける女男爵の航海はいつまでも続き一体私はどこに着くのか。大逃げ未完のまま筆を置くも、それは”見る人による”。
ーあなたは今日の労働を何と呼びますか。
(※指定企画「ポケトークでスラングは通じるか?」を含むマガジンはこちら↓)
※本記事は、ランサーズ「新しい働き方LAB」の研究員制度に参加し、私Baronessが行う半年間の働き方実験に基づくものです。
