すれ違うことほど悲しいものはない
もし町で100%の相手と偶然出くわしたらどうする?
村上春樹の短編にそんな話があった。
都会に住むと毎日たくさんの人とすれ違う。自分の人生には全く接点のない人達だ。
しかも近所のコンビニやスーパーでさえ店員の挨拶は仕事だからしているものばかり。
海外を旅して日本と違うなと思ったのは仕事上の挨拶はあまりしない。いや当然するのだけど不機嫌な時は不機嫌を客の自分に押し付けてくる。
見慣れた客になればなるほど彼氏ができたのだの、フラれただの、旦那に女がいるのだの、こちらは何も聞いてないのに喋ってくる。
次は日本での話。
肉まんはこちらのシールで、あんまんはこちらのシールになりますと一時帰国した際のコンビニでのやり取りをみて意地悪をしたくなった。
美味しいですか?
愛想笑いたっぷりで女性店員に聞いてみた。
彼女は狼狽して何も答えない。
二度繰り返すと隣のレジから年配の女性がすっ飛んできた。
「何かお困りなら私が聞きますが」
というので
この肉まんとあんまんは美味しいのですか?
と尋ねたらものすごく不機嫌な顔になって、答えようがありません、と言われた。
まだコンビニがない頃に、田舎の僻地に住んでた自分は部活帰りにお腹が空きすぎた時にはいつもの雑貨屋のばあちゃんちによっていた。
「ああそれ美味しくないからこっちのパンにしなさい」
ばあちゃんはいつも正しかった。美味しいものしか食べさせてくれなかった。
旅人になり白人社会ではアジア人の自分は差別される側なので都会よりも田舎の閉鎖的な村を歩いているとたまに好奇な目でみられた。
「そんな高いサンドイッチよりあたしが作ったこっちのが安くてうまいよ」
そう言って業者が運んできたものよりオバハンがすすめてくれたものの方がずっと美味しかった。
一時帰国して携帯も進化した日本だったが電車に乗ると真っ黒な頭だらけなアリみたいな輩が下を向いている。みな携帯をいじってる。
外の景色なんてどうでもいい。
雨が降れば舌打ちして嫌がる。生き物全てにとっての恵みな雨なのに。
コンビニに入って、肉まんとあんまんを買う時に、これ美味しいですか?と尋ねただけなのに、不審者を見るような目つきで嫌がられる。
日本はこの先どうなるんだろ
と思って今、あれから十年以上も過ぎ去って、酷い格差社会に成り下がった。
どうでもいい。と皆が思えば誰かは得をする。
自分は関係ない。と思えば思うほどニヤける輩がいる。
社会人はどうのこうの自慢話や説教する人ほど他者とのつながりをないがしろにしてる。ただのカネの話しかしてない自分に気づいていない。
全てはつながり人は一人では生きられない。
因果応報。必ず自分も社会人の一人であるなら周り回って報いを受けることもある。
それは誰がではなく、あなたも自分もすれ違う人生になれてしまうとそんな人間になりやすい。誰にでも責任はある。
カッコつけるならみじめに相手に泣いてすがりそれでも自分が根本的に悪いのであれば真摯に受け止めて改善するしかない。
なぜそうするのか?
みんなのために、ではない。
親兄弟のため、ではない。
愛する相手のために、でもない。
自分のために、だよ。
自分を愛してやれ。
まずそこからだ。

