「挨拶が大事」の大事さは、お金ゲットの割り切りで受容すべき
挨拶は大事だ主義を掲げるうるさい奴から説教された経験は誰でもあるかと思う。年齢を重ねればそんな連中からも何も言われなくなるが、まぁ、たまには注意されるからウザいところだ。
この説教する連中だが、自分は挨拶を実践しないくせに、授業なり、飲み会で、ただ年齢が高い以外に何の取り柄(そもそも年齢が高いのは取り柄か?)もないババアやジジイが、なぜか偉そうに周りへ説教する過程で発せられる言葉だ。
「挨拶は大事だからちゃんとしろ」と。
これらの連中が言うことを真面目に受け入れる人間は皆無だし、受け入れない態度は間違っていない。説得力がないのだから、誰が受容するのか。
連中はただ自分たちへ若い人間が挨拶してこないことに腹を立て、自分たちへお前らは挨拶しに来いよという、ただの命令となってこの言葉を吐き捨てているだけだ。
あぁ、老害極まる。
だが、挨拶は大事の意味するところは、この老害連中が主張するのとは異なり、大事だ。
身近なところでは学校の先生からも同じようなセリフで注意される。若い頃には分からなくても、年齢を重ねると痛感するのもまた真実だ。
挨拶は大事だよなぁと。
例えば、同じコミュニティにいる、何度か顔を合わせる機会があるも、会話をしたことがない相手がいるとする。ここで常日頃から挨拶をしていれば、確実に効用が生まれる。単純接触の理論で、よく知りもしないけど、何度も顔をあわせ、挨拶をされた人には好意を抱くのだ。
テレビで何度もゴリ推しされるアイドルがなぜあのように売れているような空気感をまとうのか?
なぜ、政治家は辻立ちして有権者へ顔を売ろうとするのか?
それは人は誰しも顔を知っている人には好意を抱くからだ。さらに、自分へ声をダイレクトにかけられようものなら、さらに好きになってしまう。それが人間の性だ。
だから、挨拶は(人たらしできるから)とてもとても大事なのだ。
あなたが仮に会話をしたこともない、ただ存在だけはなんとなく知っている人たちがいるとする。片方は挨拶だけでも自主的に行ってきており、他方は全く会話をしたこともないどころか、目も合わせられなかったとする。
どちらに好意を抱くかは、設問からして答えは書かれているようなものだ。
挨拶は大事なのが解るかと。
より具体的な効用を書けば、ガチのガチで困った自体となっても、0.2%ぐらいの確率で、挨拶をしただけの関係の奴から金を引っ張れる可能性もうまれる(コチラは自分の経験談(笑))。
金を生むため、挨拶をしていこうと心に誓っていただければいいかと思います。
