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【お題で執筆「創作」フェス】創意工夫が自他を幸福にする(料理編)

「トマトとオクラの夏豚汁」白ごはん.comより

料理は単なる栄養摂取や日々の義務ではなく、自己の心身を再起動させ、創造の喜びをもたらす内面的な行為です。

同時に、他者との繋がりを築き、貢献の実感を通じて社会的な幸福を生み出す媒介でもあります。

料理における創意工夫は、この自己充足的な幸福と他者志向的な幸福とを結びつける核心的な要素であるといえないでしょうか。

伝統的な知恵の継承から、プロフェッショナルの現場で培われる「料理的知性」、そして日々の食卓での小さな発見に至るまで、創意工夫は料理という行為を豊かにし、作り手と食べ手の双方に幸福感をもたらしてくれます。

最終的に、料理を哲学することは、それが「うまくやれば自分も他者も幸福にする仕事」であり、創造的な努力を傾ける価値のある営みであることを浮き彫りにしてくれるのではないかと思い立ち、架空の登場人物と哲学対話を通じて、そんな創意工夫の世界をフードエッセイにしてみました。

■哲学対話:料理の創意工夫は、いかにして自他を幸福にするのか?

ファシリテーター:

本日は、「料理の創意工夫は、いかにして自他を幸福にするのか?」という問いについて、皆さんと共に考えていきたいと思います。

そこで、お手本として、三浦哲哉氏の論考を手がかりに、この深遠なテーマを探究しましょう 。

▶参考記事:料理を「哲学」する 創意工夫が自他を幸福にする 三浦哲哉

そもそも、なぜ私たちは「料理とは何か」と問う必要があるのでしょうか 。

参加者A:

三浦氏が指摘するように、その問いが切実に必要な時、例えば料理という行為を発見する時、失う時、あるいは維持しようと努める時にこそ、私たちはその本質を問うのだと思います。

▶参考図書:「食べたくなる本」三浦哲哉(著)

日々の習慣に埋没しがちな行為だからこそ、改めて哲学することで、その価値を再発見できるのではないでしょうか。

対話1:自己の幸福 — 創造の喜びと心身の再起動

ファシリテーター:

ありがとうございます。

ではまず、料理が「自己」にもたらす幸福から考えてみましょう。

料理は作り手自身をどのように幸福にするのでしょうか。

参加者B:

坂口恭平氏の『cook』が示すように、料理は心身の調和を回復させる力を持っています。

▶参考図書:「新装版 COOK」坂口恭平(著)

躁うつ病と向き合う彼が料理を日課にしたことで、生きる喜びが湧いてきたというエピソードは象徴的です。

これは、料理が単なる作業ではなく、ばらばらだった心と体を再起動させる「創造」の行為だからでしょう。

自分の手で何か新しいものを生み出す喜びが、直接的な幸福感に繋がるのだと思います。

参加者C:

まさに「創造」が鍵ですね。

レシピ通りに作るだけでなく、そこに少しでも創意工夫を加えることで、料理は自己表現の手段となります。

冷蔵庫にある余り物で新しい一品を考え出すような小さな工夫も、自己の創造性を発揮する機会です。

そのプロセス自体が楽しく、自己肯定感や達成感を高める効果があると考えられます。

料理は、自己実現の欲求を満たす身近な手段なのかもしれません。


対話2:他者の幸福 — 繋がりと貢献の実感

ファシリテーター:

自己の創造性が幸福に繋がる、という点が明確になりました。

では次に、視点を「他者」に移してみましょう。

料理の創意工夫は、他者をどのように幸福にするのでしょうか。

そして、それは作り手自身の幸福にどう跳ね返ってくるのでしょう。

参加者A:

料理の本質的な価値の一つは、他者との繋がりを生む点にあります。

作った料理を誰かに食べてもらい、「美味しい」と言ってもらう。

その瞬間に、作り手は「他者貢献」の実感を得ます。

この他者への貢献こそが、人間の幸福感の重要な源泉であることは、幸福学の研究でも指摘されています。

参加者B:

プロの世界では、それがより顕著になります。

稲田俊輔氏の『料理人という仕事』によれば、飲食店の仕事のうち、純粋に「料理をつくる」時間は全体の4分の1程度に過ぎないそうです。

▶参考図書:「料理人という仕事」(ちくまプリマー新書)稲田俊輔(著)

「食の本 ある料理人の読書録」(集英社新書)稲田俊輔(著)

「ミニマル料理」稲田俊輔(著)

残りの膨大な雑務をこなしながら、その4分の1を充実させるために、料理人はありとあらゆる創意工夫を凝らす。

それは、まさにお客さんという「他者」を幸福にするためです。

そして、その結果として店が繁盛し、自身の幸福にも繋がる。見事な「自他共の幸福」のサイクルです。

参加者C:

「共に食べる(共食)」という行為そのものにも、幸福度を高める効果があるという研究結果もあります。

調理技術が高い人ほど、友人との食事の機会が増えたり、近所づきあいが活発になったりするというデータもあるようです。

つまり、創意工夫を凝らした美味しい料理は、人々が集う機会を創出し、社会的な繋がりを豊かにすることで、コミュニティ全体の幸福度を向上させる力を持っていると言えるでしょう。


対話3:創意工夫の本質 — 伝統、革新、そして「料理的知性」

ファシリテーター:

自己の幸福と他者の幸福が、創意工夫を介して結びついている様子が見えてきました。

では、その「創意工夫」とは、具体的にどのようなものなのでしょうか。

参加者B:

辰巳浜子氏の『料理歳時記』が示すのは、伝統の中に息づく創意工夫です。

▶参考図書:「料理歳時記」(中公文庫)辰巳浜子(著)

彼女の料理は、季節の移ろいを敏感に感じ取り、自然の恵みを最大限に味わうための知恵の結晶です。

これは、自然といかに親しく交流するかという、壮大なテーマに基づいた創意工夫と言えます。

しかし三浦氏が言うように、現代ではこうした手間のかかる営みは失われつつあり、私たちは大きな何かを喪失しているのかもしれません。

参加者A:

一方で、稲田俊輔氏が語るプロの創意工夫は、より現代的で実践的です。

彼は、限られた時間と資源の中で最高のパフォーマンスを発揮するために「手の早さ」を身につけ、「料理的知性」を習得すると言います。

これは単なる技術論ではなく、効率化や画一化の波に飲まれずに、料理の本質的な価値を追求し続けるための思考体系そのものだと感じます。

参加者C:

料理家の細川亞衣さんの哲学も参考になります。

▶参考図書:「料理集 定番」細川亜衣(著)

彼女は、決まったレシピに固執せず、その時々の食材の状態と向き合い、どうすれば最も美味しくなるかを常に考えると言います。

それは「食材の声を聞く」ことであり、直感とインスピレーションを重視する姿勢です。

伝統的な知恵を踏まえつつも、目の前の現実に対して柔軟に対応し、新たな美味しさを創造する。

これこそが、生き生きとした創意工夫の姿ではないでしょうか。


対話4:結論 — 創意工夫が紡ぐ「自他共の幸福」

ファシリテーター:

伝統に根差した知恵、プロの現場で磨かれる知性、そして食材と向き合う中で生まれる直感。

創意工夫には様々な側面があることがわかりました。

最後に、これらを通じて、いかにして「自他共の幸福」が実現されるのか、まとめていきましょう。

参加者A:

料理における創意工夫は、まず作り手自身の「創造の喜び」を満たし、内面的な幸福をもたらします。

そして、その工夫が凝らされた料理は、食べる人に美味しさや驚き、感動を与え、「他者」を幸福にします。

参加者B:

食べる人の喜びは、作り手への感謝や賞賛という形でフィードバックされ、作り手の「他者貢献」の実感を満たし、さらなる幸福感と創造意欲に繋がります。

このポジティブな循環こそが、「自他共の幸福」のメカニズムだと思います。

作り手の幸福と食べる人の幸福は、決して分離したものではなく、創意工夫という一点で固く結ばれているのです。

参加者C:

つまり、三浦哲哉氏が導き出した結論に立ち返るわけです。

料理とは、「創意工夫をかたむけて維持しつづける価値のある仕事、うまくやれば自分も他者も幸福にする仕事だ」 。

この言葉は、私たちが今日対話してきたことのすべてを凝縮しています。

料理を哲学することは、日々の食事が持つこの豊かで幸福な可能性を再認識させてくれます。

それは義務ではなく、喜びとして取り戻すべき価値なのです。

ファシリテーター:

ありがとうございました。

本日の対話を通じて、料理の創意工夫が自己の創造性を満たすと同時に、他者との幸福な関係性を築くための根源的な力であることが明らかになりました。

これにて、本日の哲学対話を終了します。

まとめ

本哲学対話による探究の結果、料理における創意工夫が自他を幸福にするプロセスは、以下の多層的な構造を持つことが明らかになった。

自己の幸福:

料理は、作り手にとって自己の創造性を発揮する場であり、心身の調和を取り戻す内面的な行為である。

創意工夫は、このプロセスに喜びと達成感をもたらし、直接的な幸福感を生み出す。

他者の幸福:

創意工夫を凝らした料理は、食べる人に美味しさや感動を与え、幸福にする。

これは、プロの料理人が「料理的知性」を駆使して追求する目標でもある。

幸福の循環:

他者の喜びは、作り手への感謝としてフィードバックされ、作り手の「他者貢献」の実感を満たす。

この経験が、さらなる創造意欲を刺激し、自己の幸福感を増幅させる。

この循環が「自他共の幸福」のサイクルを形成する。

社会的繋がりの創出:

美味しい料理は人々が集う「共食」の機会を生み出し、社会的な繋がりを強化することで、コミュニティ全体の幸福度向上にも寄与する。

結論として、料理における創意工夫は、単なる技術やアイデアにとどまらず、自己の内面的な充足と、他者や社会との肯定的な関係性を結びつけるための触媒として機能します。

三浦哲哉氏が述べるように、料理とは、創造的な努力を通じて自他の幸福を同時に実現しうる、根源的で価値ある人間活動なのでしょうね。


■フードエッセイ:残り物たちの交響曲 ― トマト豚汁が教えてくれたこと

水曜日の夜は、いつも少しだけ気が重い。

週の真ん中、疲れは溜まっているのに、週末はまだ遠い。

キッチンに立つ足取りは重く、頭に浮かぶのは「義務」という二文字。

冷蔵庫を開けると、使いかけの野菜たちが、まるで溜息のようにお互い寄りかかっている。

半分だけ残った大根、少ししなびた人参、パックの隅で忘れられたしめじ。

いつものように、これらをまとめて豚汁にするのが、我が家の水曜日の定番だった。

栄養はとれる。

お腹も膨れる。

でも、そこには何のときめきもなかった。

その日も、私は無心で野菜を切り始めた。

トントン、というまな板の音だけが静かなキッチンに響く。

だが、ふと手が止まった。視線の先に、週末に使って少しだけ残ったトマト缶が映ったのだ。

鮮やかな赤色が、くすんだ気持ちにちくりと刺さる。

「もし、これを豚汁に入れたら?」

突拍子もない考えだった。

和食の代表格である豚汁に、イタリアンの象徴のようなトマト。

頭の中で祖母が「もったいない」と眉をひそめる。

だが、その無謀なアイデアは、灰色の心に小さな火を灯した。

そうだ、どうせなら、もっと遊んでみよう。

戸棚の奥から、ピザ用に買ってあったとろけるチーズも取り出す。

これはもう、いつもの豚汁へのささやかな反逆だ。

鍋にごま油を熱し、豚肉と野菜を炒める。

ジュウ、という音と香ばしい匂いが立ち上り、凝り固まっていた心が少しずつほぐれていくのを感じる。

これは坂口恭平氏が言うところの、心と体の「再起動」だったのかもしれない。

だし汁を加え、野菜が柔らかくなったところで、主役のトマト缶を投入した。

鍋の中が、夕焼けのようなオレンジ色に染まる。

味噌を溶き入れ、最後にチーズをぱらり。

蓋をして蒸らす数分間、私はまるで化学実験の成功を待つ科学者のように、胸を高鳴らせていた。

義務だったはずの料理が、いつの間にか「創造」の喜びに満ちた遊びに変わっていた。

食卓に鍋ごと運ぶと、祖母が訝しげな顔で覗き込んだ。

「なんか今日、赤くない?」。

その言葉に少しだけ臆しながらも、「まあ、食べてみて」と促す。

お椀によそい、ふうふうと冷ましながら一口食べた祖母の目が、まん丸になった。

「なんだいこれ!いつもの豚汁じゃないねぇ。でも、すっごく美味しいよ!」

感(空)想が続く。

「トマトの酸味と味噌のコクが意外と合うなね。チーズもいい仕事してる」。

その言葉と笑顔のイメージが、私の心の深いところにじんわりと染み渡った。

これが「他者貢献」の実感か、とちょっとだけ腑に落ちた。

そんな私の小さな創意工夫が、確かに誰かを少しでも幸福にできるのかもしれないと。

そして、その喜びは鏡のように私に跳ね返り、例えば、水曜日の夜の疲れをすっかり洗い流してくれたりするのだろう。

「どうやって作ったんだい?」という質問をきっかけに、食卓は気持ち、いつになく賑やかになった。

冷蔵庫の残り物たちが、私の気まぐれな指揮のもとで、見事な交響曲を奏でてくれたのだ。

美味しい料理は、人を集わせ、会話を生む。

あの日以来、水曜日は小さな奇跡を期待して「トマト豚汁の日」が多くなった気がする。

もちろん、毎回同じではない。

ある時はバジルを散らしてみたり、ある時は隠し味に少しだけカレー粉を忍ばせてみたり。

私の小さな創意工夫は、尽きることがない。

料理とは、単に空腹を満たすための作業ではない。

それは、三浦哲哉氏の言葉を借りるなら、「うまくやれば自分も他者も幸福にする仕事」なのだ。

冷蔵庫の残り物と向き合い、食材の声に耳を澄ませ、ほんの少しの勇気で新たな一歩を踏み出す。

その創造的なプロセスがまず自分自身を満たし、その結果生まれた一皿が、大切な人たちを笑顔にする。

そしてその笑顔が、また私を幸福にしてくれる。

あの日のトマト豚汁は、そんな幸福の美しい循環を、そっと私に教えてくれたのだった。

▶参考図書:「ほんまに「おいしい」って何やろ?」村田吉弘(著)

「割合で覚える和の基本」村田吉弘(著)

「割合で覚える野菜の和食」村田吉弘(著)

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