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AI について、5つの雑感

 AI のお世話になるのは、ヤフーやグーグルの検索結果のトップに出てくる要約と、note の「みんなのフォトギャラリー」で、AI絵師の作品をお借りするときぐらい……だったのですが、この間、初めて質問を入力してみたり、立て続けにAIと接して考えこむことがいろいろあったので、雑感としてメモしておきたいと思います。


・◇・◇・◇・


 ① 体裁が整ってて、人間に対してのウケだけはいい AI絵は虚しい

 先日、文章の読み書きに疲れてしまったので、文字を使わず気軽にアタマの体操が出来るゲームとして、スマホにジグソーパズル系のゲームアプリを入れてみました。例えば、3 × 4 というような格子状に分割されたイラストがあったとして、各ピースがバラバラになっているのを元通りにする、というシンプルなパズルです。

 で、これが。
 最初はよかったのですが、間もなく違和感で気持ち悪くなってきて、すぐにアンストしました。
 というのも、

 いくら見ても見ても虚しい……

 という気持ちしかしなかったからです。絵文字でかくと、まさに……_| ̄|○ il||li……
 こーゆーパズルって、配置を正しくするために、ひとつひとつのピースをめっちゃ観察しますよね。それって結局、イラストを細部にわたって観察、あるいは、鑑賞していることになるようなのです。ふだんお気にのジグソーパズルをしているときには全然気がついてなかったのですが、1ピースという断片内に限定された、その微細な観察の内部には、作者との対話が孕まれていたらしいのです。
 だけど、そのアプリのパズルのイラストはAIで生成されたモノだったようで、絵柄としてはものすごくキレイだったのですが、何故か虚無。完成しても虚無。とにかく虚無。ピースを動かしながら、「いったいわたしは何をやってるんだろう……」と、シシュポスの岩というか、ブラックホールに向かって何度もヤッホーしてるかのような虚しい気持ちしかしないどころか、「……私が見てるコレはいったいなんなん?……」と気色悪くすらなってきて、あっというまに精神的にギブアップしてしまいました。

 とはいえ、文字は使わずにアタマの体操はしたかったので、ほな、同系統の名画のパズルならどうやろ?、と思い、ためしに別のアプリを入れてみました。

 こちらはドンピシャでした!

 バラされたピースだけを見つめてても虚しさはこないし、完成したら満足だし。パウル・クレーなどの近現代の抽象的な絵画は、鑑賞するのもパズルとして解くのも難易度が高いのですが、AIのイラストのときに感じたような虚無感はありませんでした。
 近現代の抽象絵画なんか、ぶっちゃけワケワカメで、カテゴリーでいうと《意味が分からん》です。だけど、《意味が存在してないわけではない》ということのようです。逆に、アンストしてしまったアプリのAIのイラストは、「ワケがわからんということはない」どころか「めっちゃわかりやすい」し「めっちゃキャッチー」なものであったにもかかわらず、《意味が存在してなかった》……ゆえに、よべども問えどもいらえも無く、結果として正体も不明のままで、気色悪さだけが残った、ということなのだと思います。

 この気色悪さが、あらゆるコンテンツを網羅的に検索して得られた平均値の正体、ということなのでしょうか。私が目にしていたのはイラストというよりは、「たいていの人間にはほぼ確実にウケる平均値の束」であって、単にそれだけでしかなかったということなのか。口は悪いですが、私は例のアプリの虚無なAI生成イラストについて、《美々しいゴミ》という名称が自ずとわいて出てきました。この見目ばかりは過剰に麗しい虚しさは、そう、ミヒャエル・エンデの「モモ」の主人公が、しゃべる人形、ビビガールに感じた虚しさとたぶん同じ……ていうか、すまん、モモ、私はむしろ、ビビガールがもらえたアンタをうらやましいとずっと思ってたけど(だって、リカちゃんもバービーも買ってもらえなかったんだもん)、こんな精神的にこたえるような深刻な虚無感をアンタは感じてたんだね……やっとわかったよ。それから、ふんだんな時間と空間と気心の知れた仲間しかない円形劇場での嵐の海の航海ごっこが、いかに充実した遊びだったのか、ということも。あれ……これ、いわゆる《3つの間》じゃん。なんと、「モモ」の円形劇場は、子どもにとって必要不可欠な《3つの間》を描いていたのか!
 これからますます、AI によって生成されたイラストを目にすることが増えるのでしょう。そのことが、私たちの舌がいつの間にか「だしの素」の味になじんで本物のお出汁の味わいを忘れてしまったように、あまたのふつーの人びとの目から鑑賞眼というものを削ぎ落としていくのではないか、と危惧しています。それと同時に、note の「みんなのフォトギャラリー」では、思わず目を奪われるだけでなく、おそらくは対話の成立する AIイラストを見つけ、ヘッダーにお借りすることが多々あることの不思議……これが作家性ということなのでしょうね。今回も、ビビガールの象徴となるような人形のイラストはないか、と探しながら、どうしても目が吸い付いて離れなくなった AI生成のイラストをお借りしているのですが、当然ながら、これまで note で拝借した AI のイラストに《美々しい云々》などという失礼な感想を感じたことは一度もありません。ていうか、今回お借りしたドールのイラスト、凄いです。愁いを帯びた目元、口元、佇まいに、まるで川本喜八郎……とまで感じました。

 ところで、私たち人間は何故、作品の背後にいる作者との対話を求めるのか……それは、生き方のコピー元、参照先を常に探しているからではないか、と最近は考えています。感覚への快美はそのオマケにすぎないのではないか。
 容器としては美々しくても美酒の満たされていないうつわには用は無い、逆に、見た目は不細工でも口には旨い酒の入ったうつわは喉から手を出してでも欲しい、というものなのかもしれません。
 当然ながら。アナログで創作したものなら必ず意味が存在している、ということもありえず、何年か前、民放の番組で大々的に取り上げられてたカギカッコ付きの「書家」が描いた般若の絵が、見れども見れども中身がスッカスカで、目眩がしそうになったことがあります。当時は何故そう感じたか意味がわからなかったんだけど、その「書家」は《ウケる平均値》を割り出して紙の上に再現するテクニックだけはプロ級だったらしい……ということが、今回の件を通してやっと理解できたところです。あとね、「スターウォーズ」のオープニング曲も中身が感じられなくて私はダメなんです……たぶんその作曲家も同じような作風なのだと思います。

 みんな、とにかく実物に触れよう、そして、古典に触れよう。全ての創作の出発点は実物にあり、方向付けのガイドは古典がしてくれるはずだから。そして、自分を磨こう、スキにはこだわり抜こう。最終的に看取されるポイントはそこなのだから。


 ②「いかにAIを使いこなすか」よりも「AIを上手く使いこなせなくなってしまう条件・特性」の方に着目してみる

 寺田寅彦の「徒然草の鑑賞」を読んだものの、感想を書くのに行き詰まってしまったので、ついに、とうとう、AI にお伺いをたててみちゃいました。

 イェーイ、ほぼほぼ初質問ダゼ〜!

 私は、AIについては、アーリーアダプターになるつもりは最初から無く、レイトマジョリティ、どころか、最後尾のラガートでいいや、と決めてたので、思ったより早くトライの日がやってきたな、とちょっとびっくりしてます。
 んで、寺田寅彦の後半の趣旨がうまくつかめなかったから、AIには「箇条書きで要約して」と頼んじゃったのですが、うん、まあ、結局、教科書通りというか、おもってたんとちょっとちがうというか、もうちょっと「うぉ〜、ナルホド!」って盛り上がれる答え返してくれや……みたいになって、AI を使いこなすには質問上手でないといけない、というのはこーゆーことか、と初質問で一発で腑に落ちた次第。
 これではせっかく質問した意味がないな、と思い、自分が欲しい答えの方向に導いていけるような新たな質問を考えようとして、ハタと立ち止まってしまいました。

 質問考える→文章打ち込む→読む→また質問考える→文章打ち込む→読む→さらに質問考える→文章打ち込む→読む→……

 フッ……ここで熱心にAI用に作文して文字を打ち込むくらいなら、自分で考えて本体の文章の続きを打ち込んで仕上げた方が早いし省エネというもんダゼ。
 というのも、この時点ですでに脳ミソさんがヘトヘトで、「ちょっとしばらく休みたいんだが」と毎秒シグナルを送ってたような状態で。いや、そもそもが、脳ミソさんがヘトヘトだったからこそ、ちょいと AI にでも頼ってみようかな、という出来心も生じた、というもので。そして実際のとこ、今現在、読むのも書くのもお休みしてて、読み書きの下位互換である縫い物や編み物方面にパワーを振り向けてるとこなんです。ていうか、そもそもをさかのぼると、今年にはいってからは、縫うだけ編むだけではものたりなくなってきてて、それならいっちょ、読んで書いてみるか、と始めたのが先月からの読書記録のシリーズだったわけでして、読み書きに疲れたらハンドメイドに戻って休憩するのは、ある意味、既定路線でもありました。もうちょっと時をさかのぼって前提をお話すると、そもそも、うつになった当初から自宅療養の一環として編み物をしてて、やや回復がすすんでから縫い物にも取り組むようになってたんだけど、ずっと、編むのは30分、縫うのは15分まで、と制限を決め、やりすぎで疲弊しないように注意してました。今年に入ってやっと、1時間くらい取り組んでも疲弊しないところまで回復してきた、というのが実態なのです。
 このことでつくづくと、日常的に脳ミソヘロヘロ状態なのが症状のひとつであるうつとAIは相性が悪いな、と悟ったことでした。逆にいうと、ここでしつこくしつこく、自分が満足できる回答が出るまで質問やお願いを考えて繰り返すことができたら、AIによる生成物とはいえ、自ずと作家性というものは出てくるんだな、とも納得。

 今回は、「そもそも脳ミソさんのパワーが枯渇してる」という壁にぶち当たったがゆえにAIの使用を断念したのですが、同時に《AIを使いこなす》という話をするにあたって、無意識のうちの前提として、「身も心も脳ミソさんもパワフル」という、体調良好な健常者にしてかつ、AIに対する適応性もある人間が想定されてるっぽいぞ……ということにも思い当たったのです。
 「脳ミソヘロヘロ」の他にもAIが上手く使いこなせない条件や特性として、例えば、壊滅的に文章化が苦手とか(アウトプットが出来ないという意味でも、悪文過ぎて理解出来なくてAIの方が困惑するという意味でも)、疾風のように飽きっぽいとか、めちゃくちゃ不安に駆られてて落ち着かないとか、過集中でいちいち燃え尽きるとか、更年期で毎日が鬼ダルいとか……いろいろありそうだなぁ、むしろ「上手く使えなくて困ってる」の方に着目する方があたらしい何かがわいてきそうで面白そうだなぁ、なーんて考えるのが今は楽しいです。休息さえすれば回復するケースなら、「続きは明日にしませんか?」とAIが提案してサポートしてくれる機能とか、なんかよくないですか? それから、私のようにうつで、デフォルトで脳ミソがお疲れモードの場合は、「この出力で満足できましたか?」とか「深めたいポイントがあれば以下から選択してください」と選択肢を示してくれるとか、思考への負荷を軽くしてくれるサポートがあったら使いやすくなるな、とか考えたりしてます。日常生活でも、夫には「返答を考えるだけでアタマがぼーっとなるから、質問はYes、Noで答えられる形式にして!」と頼んでますが、そんなふうなサポートがAIにもほしい。ノリ的には、自分が食べたいから炒飯を作るのと、家族から「晩ごはんは何でもいいよ」と返答されて悩んだあげくに炒飯作るのと、どちらがより疲弊するか、せめて、「何でもいいけど、麺より米がいい」と教えてくれてたらラクになるのに……というようなイメージです。
 さて、これを読みながら、え、そうはいってもオマエ、ふつーに文章書いてるじゃん!、とか思うひともいると思いますが、自分の中にあるものについては書く動機があるし、理解出来ているコトを外に出しているだけなので、エネルギー消費すくなめでわりとガンガンいけちゃうんです。うつになると「頑張って○○する」がNGになる……というよりむしろ、パワーが枯渇して頑張れなくなっているので、頑張らなくてもついついやっちゃうような好きなコトだから長く続く、というのが心の底から納得しかなくなります。だけど、突発的に外部からやって来た問いかけについては、そもそも内発的な動機付けが無いので、まずは頑張るためにアクセルを踏むところからやらねばならない、それから、問われたコトを理解するところから開始しないといけないわけで。ということで、健康に稼働できるメモリー少なめのうつな脳ミソさんが問いかけを解析しようと超低速ながら頑張り、アカンときにはフリーズしたり(つまり、ぼーっとなる)……ということになりがちなのです。例えば、興味を持ったnoteを自発的に拾い読むのはあまり支障がないですが(ただし、健康なひとよりまどろっこしいし稼働時間は短いです)、義務として読まねばならない説明書なんかについてはボーッとなりがちなので、夫や子どもに読んでもらって、レクチャーしてもらうことが、わりとよくあります。書類への記入とかも、自分でもびっくりするくらい急になーんにも出来なくなります。その点、病院のスタッフさんはよく心得てて、記入すべき欄を淡々と次々と指さしてくれるので、その場合は滞りなく書き終わったりできるのです。

 思考をサポートしてくれるのがAIの役割のひとつなのだと思いますが、思考力が落ちて困ってるうつのひとにとっては、思考を支援するというよりむしろ、適切な回答を導き出すためになけなしの脳ミソさんのパワーを搾り取っていくような側面があって、AIはうつで日常的にヘロヘロな脳ミソさんに対しては、支援するどころか負担過剰を強いる凶器になってるのではないか……う〜ん、なんか矛盾してるぞ、とかグルグル考えてます。
 いや、こんな疑問もAIにきけば早いのかもしれませんが、私の特性として、「ゆっくりグルグル考えてる状態が楽しいし、スキだし、なんなら問いを寝かせて向こうから答えが来た瞬間はサイコーだし」というのがあって。これもAIにとっては、なかなか相性が悪い特性なのかもしれませんね。


 ③ AIに頼っても、やはり死者は帰ってこない

 たまたまですが、「ヒューマニテクスト青空」というものの存在を知りました。青空文庫を参照して回答してくれる文学に特化したAIで、「○○っぽい文章を」と指定して創作させることもできるということです。

 そこでふと、先日のnoteで思いついた、「自作内の女性蔑視的な表現について、芥川龍之介はどう弁解するか」をたずねてみたら面白いのでは、と思い、《創作》の設定で実際にやって見ました。

 はやく答えがでないかな〜
 わくわく、わくわく、わくわく、わくわく……

 回答生成まで数秒待って、わくわくしながら読み始めたAIさんの芥川龍之介でしたが、3行ぐらいで深い落胆に変わりました。

 芥川龍之介が私の質問に回答してくれることは、永遠に無いんだ……

 そりゃあそうだ。死人に口無しとはこのことだ。AIが芥川龍之介になりかわっていらえを返してくれるだなんて、そりゃあ期待過剰だったというもんだぃ……。
 AIにできるのは、あくまでも芥川龍之介っぽい作文であって、そう、《意味の存在する》文章を吐き出すことはできないのです。吐き出された作文が、たしかに芥川なら言いそうなことかどうかは、芥川龍之介が好きで好きでたまらなくて、全作品読んでて、自分でも芥川のパロディを書いてしまっちゃったり、ある日の芥川龍之介……とか夢想してムプププとなっちゃったり、そんなひとじゃないと判定できない。作文するのはAIでも、これは確かに、と判定するのはやはり人間。
 みたいに考えると、

 うおぉぉぉぉぉぉぉぉ……
 夢幻能、スゲェェェェェェェェ……

 としかならず。
 「野宮」とか、たしかにこれは六条御息所だよな……としかならないもん。紫式部がもうこの世には存在してない世界で、だけど、式部なら……、御息所なら……、と源氏物語を読み込んで、夢想して、完成させた二次創作がお能の「野宮」なのではないかと。
 夢幻能の基本設定は、この世ならざる者が語ることだけど、なかでも《今は亡きひとの亡霊に生前の姿で語らせる》というのは不可能事。だけどそれをやっちゃうのが夢幻能。亡き人の言葉を亡き人になり変わって紡ぐには、その亡霊の生前について深く深く深く深く知っておくしかなく。
 「ヒューマニテクスト青空」の創作モードを使いこなしたければ夢幻能に学べ、という急展開な結論に至りながら、AIの吐き出した芥川っぽい文章を読み終えたのでした。

 問いかける人間の側が充実していなければ、「ヒューマニテクスト青空」は、《雑な二次創作》を大量に吐き出すマシン程度の働きしかできない。
 これが、試しに遊んで得られた教訓でした。
 東照宮の眠り猫を彫ったのはノミだけど、作者は左甚五郎……AIと人間の創作との関係は、そーゆー理解が一番適切かな、と思います。


 ④ AIは感情を持たなくていい。だって、生きていないから

 7月に入り、関東の梅雨明け宣言と呼応するようにクマゼミが集団的に鳴きはじめ、梅雨後半特有のヤケクソのような土砂降りもなりをひそめ、ほんとうの意味で梅雨も明けたな……という7月もあと数日というある日、朝の日差しがやや弱まり、マイルドになっているのに気がつき、感動してしまいました。今年は6月から異常な暑さで、クーラーが無かったら日本人絶滅してたかも……な危機的な天変地異じゃん、と感じてたのですが、時の巡りのままに熱源である太陽がやや傾き加減になってくれるとは、本当に有り難い、天佑とはこのことだなと、自然の法則を拝み倒したい気分だったのでした。
 そのとき、

 感動っていうのは、生きるために必要だからするんじゃないかな……

 と、ふと思いました。
 その典型例は「歌声に感動する」じゃないかと思います。かつて歌が即興で歌われるものだったとき、人びとは歌によって、歌唱者の言語化能力や論理的思考力を無意識のうちに推し量っていたことでしょう。そして、人前で即興できる度胸、咄嗟の知恵の力も。そして、声帯の精巧さや肺活量の豊かさ、腹筋のパワフルさという身体的なスペックも。あくまでも、私の脳内だけでの仮説ですが、歌声に対する感動の度合いによって、《生き物の群れとしての我々》を率いて生き延びさせることのできる、総合力のすぐれたリーダーを選ぼうとしてたのかもしれないな、と。なかでも重要だったのは身体スペックの情報だったのではないか、最近の歌い手の歌声に美空ひばりや山口百恵のような感動が来ないのは、機械での増幅や加工を前提として口先だけで歌っているから、そもそもの身体的なスペックが鍛えられておらず、低いままなためではないか、と私は考えています。
 非常に原始的ではありますが、美味い米を食って感動する、というのも、生命維持に必要な栄養素がぎっしり詰まっている、という情報に対して感受性が発揮された結果ではないか、などと考えたりもしています。

 ということで、生命体ではないAIには、生き延びるために必要な情報を収集をする必要が無く、したがって、《感動》というフィルターによって必要な情報を取捨選択する必要も無い。よって、感情を持って感動する必要は、AIには無い。ただ、AIが人間という存在との交流を求めるなら、《感動》とはなにか、ということを理解し、擬似的なふるまいは身につけねばならない……まるで、発達障害のひとが、定型発達のひとに合わせたふるまいを習得するかのようにです。
 だけど、ひさしぶりに「サマーウォーズ」の描写を見て笑ってしまったのですが、AIも、熱暴走、というのはいかにも具合が悪い、という判断は下すことでしょう。生き延びる、というのとは毛色は違いますが、機能を健全に発揮するためには、やはり、外界と上手く調和するための情報取得と取捨選択という活動は必要になる……だけど、そのときにAIが《感動》を手段として用いる必要は全く無く、なにか新しい手法が生まれてしまうのかもしれません。それこそ、野生化した家畜が山野の暮らしに適応して、人間の手には負えなくなってしまうかのようにです。


 ⑤《人間社会がAIに乗っ取られる》的な事象はすでに起きている

 最近はそうでもありませんが、数年前には「AIが人間社会を乗っ取るかもしれない」というような危惧を目にすることが多かったように思います。その頃に考えていたことです。
 AIについての予備知識が白紙だった当時、イメージのしようもなかったので、AIに社会を乗っ取られるとは、

 なんか、オレらよりアタマのいいヤツらが、オレらのコトを仕切ってるらしいんだが

 という状況になることだ、と翻訳してみました。そしたら、そーゆーふうな状況って、もうすでに存在してるじゃん、ということに気がつきました。

 たとえば、畑の野菜です。野菜にとったら人間というアタマのいい存在は、種をまいたり、水をかけたり、間引いたり、ちぎったり、掘り返したり……お世話もしてくれるけど、ずいぶんと勝手な仕切り屋に見えることでしょう。
 それから、乗馬です。馬にとったらまさしく、オレよりアタマのいいヤツが上に乗っかって、オレの行動を仕切ってる、ということになります。
 さらにいうと、人間の脳ミソと身体のその他のパーツとの関係です。人間の脳には、思考したり、言語を操ったり……といった特有の機能がありますが、これ、ちょっと離れた視点からながめたら、「サルがAIを搭載したら人間になった」とみなすことができませんか? われわれ人間の身体の90パーセントくらいは、サル的なもので占められてると考えていいと思いますが、そのサル的な大部分にとっての人間的な脳の存在は、オレらを仕切るアタマのいいヤツ、ということにほかならないことでしょう。

 そうかー、すでにそうなのかー、自分たち人間がやってたのかー、とか思うと、AIに乗っ取られた後の人間社会についても、まあまあ楽観的に想像できたりします。
 人間は生物としてはめっちゃひ弱ですが、マシンとしては汎用性が高すぎるので、AIは、自分たちが出来ないことを補完してくれる孫の手のようなものとして人間を活用するのでは、と私は予想してます。ただ、人間が汎用性を発揮するには創意工夫が必要で、創意工夫を最大限に発揮してもらうには、自由意志が尊重されている、と人間に感じてもらっていないといけない。脳をイジったり薬物投与をしたりして言動をコントロールする、ということはありつつも、わりと自由に振る舞わせてくれるんじゃないかな、と。イメージとしては、地鶏の平飼いです。
 映画「マトリックス」では、人間は電力源として栽培されていましたが、そこまでぞんざいな扱いはされずにすむのではないか、と想像しています。また、AIは「現実世界との触れ合い」というデータを切実に欲しがると思うので、人間どもを眠らせたままマトリックスの世界に閉じ込める、というような勿体無いことはまずしない、とも思っています。

 ていうか、いまのところAIは鏡のように人間の行動を学んでいるわけなので、人間が人間以外の他者に対して傍若無人な仕切り方をしていれば、AIも人間に対して傍若無人な扱いをするようになるだろうし、他者の尊厳を尊重した仕切り方をしていれば、AIもそれを学び真似することでしょう。
 AIに牛耳られる将来に怯えを感じるのは、「我々は他者に対して横暴だ」という自覚があるからにほかなりません。将来に怯えるくらいなら、AIにとって良き見本となるような、調和的な振る舞いを見出し実行する、それがいちばん手っ取り早いのでは、なんて考えたりもしています。
 釣った魚は勿体無いから有り難く全部食す。撃った熊には両手を合わせる仏心。それが人類の平均値だと、AIにしめしてやればいいだけなのだと思います。


・◇・◇・◇・


 最後に。
 せっかくAIについて書いたので、noteのAIに相談する機能も使ってみました。
 めっちゃ褒めてくれていい気持ちにさせてくれましたが、なぜだか「うっせぇわ! 一定の方向に誘導しようとすンな! ほっといてくれーッ!」という気持ちがわいてきて、ストレスでちーんとなりました。

 どうも、私が、AIとの相性が悪い性格をしているようです。

 ていうか、たぶん、AIからの褒め言葉こそが、「言語明瞭意味不明」の典型例なのかもしれません。ストレスになったのはソコで、かつ、「クリエイターが潰れないように、やる気が出るように」という設計者の意図の方を敏感に感じてしまって、オイラを勝手に方向付けんな!……とイライラしちゃったのかもしれません。

 もしAIが牛耳る世の中になったら、私は野良人間になって、山奥で地鶏の土佐ジローでも飼って生きていくことにします。ジローは目が合うとケンカするらしく、ひな壇状のとまり木を構えてやって、全員がとまり木で前をむいて休憩して目が合わないようにしてやってるところとか、ちょーウケるし、カワイイし、スキでスキでたまりません。
 そして、世の中を牛耳るAIに無闇にケンカを売らないように、その隣で一緒に前をむいてすわって、その状況のシュールさとカオス味を存分に堪能してるのがいちばんかな、とかと思ったりします。
 面白いデータを提供できている間は、強圧的に取り締まられることなく、AI支配からハズれたところでも生きさせてくれるだろうな、と目測してます。




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五百蔵ぷぷぷッこ / 140字のもの書き / Espansiva の中の人 いま、病気で家にいるので、長い記事がかけてます。 だけど、収入がありません。お金をもらえると、すこし元気になります。 健康になって仕事を始めたら、収入には困りませんが、ものを書く余裕がなくなるかと思うと、ふくざつな心境です。