『Beep21』新連載! 「IPPOの一曲即発〜あのころのワタシ〜」 #01 マスターシステム版「イース」〜原曲とのキー違いの真相〜
セガの家庭用ゲーム機初期の風景を回顧する新連載が開始!
セガ家庭用ゲーム機の初期のエピソードを語るIPPO(沼田出穂)さんの回顧録コラムが連載スタート!
タイトルは「IPPOの一曲即発〜あのころのワタシ〜」。
IPPOさんが関わった初期タイトル(マスターシステム版「イース」移植、海外マスターシステム作品)から、メガドライブ時代の代表作「時の継承者 ファンタシースターIII」「ファンタシースター 千年紀の終りに」「大魔界村」の移植、その他タイトル(「炎の闘球児 ドッジ弾平」、アーケード作品など)を題材に当時のエピソードを綴っていきます。
第1回目はマスターシステム版「イース」が原曲とキーが違う真相が、30数年の時を経て明かされます。 ぜひご覧ください!
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ご挨拶
皆様初めまして、もしくはお久しぶりです。IPPOこと沼田出穂です。
SEGA在籍時には竹内(旧姓)でしたので、もしかしたらそちらの名字の方ほうが馴染みがあるという方もいらっしゃるかも知れません。
SEGAを退社してから随分と年月が経ちました。某ちゃんねる掲示板ではなぜか死亡説も流れましたが私は元気です。
私は1988年にSEGAに入社し、サウンドの仕事をしていました。在籍していた期間はちょうどメガドライブのソフト開発が始まった頃から、そろそろサターンが出るかなという時期までだったと言えば分かりやすいでしょうか。
入社当時はセガ・エンタープライゼスという社名でしたので、外線電話を受ける際に「はい、セガ・エンタープライゼス サウンド開発課です」と言うのが意外と難しかったのを覚えています。
今回は、色んな意味で濃厚だったあの頃の思い出を少しずつお話ししたいと思います。
就職活動
学生時代は勉強そっちのけでバンド活動ばかりしていましたが、音楽関係の仕事に就きたいと思っていたわけではありませんでした。と言うより、音楽の仕事が出来るとは思っていませんでした。子供の頃にずっとピアノを習ってはいましたが、音楽学校などで専門的に学んだこともありません。
バンドの為にKORGのPOLY-800を買ったのをきっかけにシンセにハマり、いつかシンクラヴィアとかフェアライトに触ってみたいなーとか、そんな事をぼんやりと思っていた程度でした。
特にゲーム大好きというわけでもなく、家庭用ゲーム機も何も持っていませんでした。放課後に時々友達とゲームセンターに行く事はあったのですが、そこで「アウトラン」の曲を聴いて「ゲームでこんな音楽があるんだ」と驚いたのが“ゲーム音楽”というものを意識した最初の出来事だったかも知れません。
そうか、こういう音楽を作る仕事があるのか、と。
就職活動の時期になり、学校に来ている求人カードを見てみるとSEGAからの求人がありました。おそらく工場とかハード設計とかそちら方面の求人だったと思います。高専でしたので機械科や電気科にそういう求人が来るなら判るのですが、私がいた化学科に来ていたのはどうしてだろうと今でもちょっと不思議に思います。
「サウンド職は募集していないようだし、どうせ断られるだろうけどまあ聞くだけ聞いてみよう」という半ば諦めの気持ちで就職希望を出したところ、一週間後に作品を何曲か持って面接に来るように言われたものですから逆に「えっ、サウンドの入社試験受けていいの?」と驚いてしまったぐらいです。
作品を持参せよと言われた。でも曲を作った事がない。…今振り返るとこんな状態でよく就職希望を出したなと思いますが。
その時に生まれて初めて作曲をしたのですが、なにせ私が持っている機材はラジカセとPOLY-800しかありません。手弾きでカセットテープにピンポン録音するしか方法が無かったのですがテープスピードがズレているから音もズレるとか、どうやったってノイズが入るとか、わずかでも演奏ミスするとまた録り直しで地獄とか、もう音質がどうのこうのと言えるレベルのものではありませんでした。
そんなグダグダで3曲作り、それを持って面接に行ったのです。
面接も緊張のあまりグダグダになってしまい、もうこれは完全に不採用だなと思っていましたが運良く(?)採用となりまして。
入社してしばらく経ってから、面接官だった取締役になぜ私が採用されたのかと質問したところ、満面の笑顔で「なんかやらかすと思ったから!」と言われました。
確かにその後色々とやらかしますが。
まず研修
最初にプログラム研修と工場実習があったのですが、この2つのどちらが先だったのか忘れてしまいました。プログラム研修も果たしてなんの言語だったかな…と思い出せませんが、アセンブラでは無かったような気がします。
今思い出しましたが、デパートなどの店舗研修に行っていた人もいました。「マスターシステムの箱を包装紙で包むのが難しい! キャラメル包みにしたら怒られた!」と言っていたような。
同期の社員達が佐倉へ工場実習に行って筐体を組み立てている間、私は本社に残されて仕事をしていました。もしかしたら他にも同じような状況の新人がいたのかも知れませんが。
工場での作業はなかなか大変だったらしく、皆から「お前は工場実習に行かずに済んでいいよなー」と言われましたが、私は一人だけサウンドで仕事をする事になったので物凄く心細かったですし、まだろくに会話した事もない先輩方の中でド緊張したまま仕事をしていました。
サウンド開発課の部屋では全員がヘッドフォンをつけてそれぞれ仕事をしているので、基本的に会話はほぼありません。とても静かなのです。なので緊張感が倍増しました。もしかすると社内で一番静かな部屋だったのではないかなと思います。
他部署の人がサウンド部屋に来ると「ここは緊張する!」とおっしゃる方が多かったです。
最初の作業は意外なもの
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