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紅狐艶録 #001

『痴人の愛』/ A Fool's Love — 谷崎潤一郎

── 一行で言うなら

支配しようとした男が、気づけば膝をついていた。

河合譲治はナオミを手に入れたと思っていた。

カフェの給仕として働く十五歳の少女を見初め、

自らの手で育て上げる。

その構想に、彼はほのかな高揚を覚えていたはずだ。

西洋人形のような顔立ち、

まだ何色にも染まっていない素地。

これほど都合のよい愛の対象があるだろうか。

譲治の計画は、

最初から歪んでいた。

だが谷崎が描くのは、計画の崩壊ではない。

崩壊していく過程そのものの、

甘美さである。

ナオミは嘘をつく。


他の男と遊ぶ。


家を空ける。


それでも譲治は戻る。


戻るたびに彼の言葉から重力が失われ、

やがて懇願へと変わっていく。

読者はそこに嫌悪を覚えない。


なぜなら、

ナオミの「」は一度も隠されないからだ。

彼女は最初から、そういう生き物として存在している。

問題は譲治が、

それを知りながら愛したことである。

知性ある人間が、

知性では御しきれないものに跪く。

その光景を谷崎は冷酷なほど精密に

しかし一行の説教もなく書ききった。

道徳はこの小説に奉仕しない。

欲望だけが

最後まで誠実である。


あなたは誰かに、論理を手放したことがあるか。

理由もなく引き寄せられ、

引き寄せられるほど自分が小さくなっていく、

あの感覚を。

この小説はその感覚に名前をつけない。

ただ、丁寧に再現してみせる。

終盤、完全に主導権を奪われた譲治が

「ナオミの奴隷」

を自称する場面がある。

そこに悲劇はない。

むしろ、解放がある。

人は降伏することでしか辿り着けない場所があると、

この小説は静かに主張している。

夜ひとりで読むことを勧める。 昼間では気づかない、あの章の本当の温度がある。

── 紅狐、化かされたふりをして読んだ。

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朗読で聴く譲治の独白は、活字とは異なる質量を持つ。
声という媒体が、あの懇願の温度をより残酷に再現する。

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