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映画『その夜は忘れない』レビュー

☆プロローグ

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仕事の昼休みに書店をぶらぶらしていて目に入った。家に帰って、酒を飲みながらぱらぱらめくった。日本映画をしっかり観ている人ならば、目新しい情報は少ないかも。どうせならば、タイトルを恣意的に取捨選択しないで網羅的にした方が良かったのではないか。また、あらすじによる解説が並んでいるのもどうかと思う。映画の見どころは、あらすじ、であると主張しているのはハリウッドの脚本家養成セミナーである。しかしこのような主張は、あらすじがそんなに重要ならば脚本だけ読んで、映画は観なくともよいという奇天烈な結論を、論理的には、導くことになる大いなる誤謬である。

吉村公三郎監督の『その夜は忘れない』(1962)が目についた。若尾文子主演。「女性映画の巨匠」が手がけたとか書いてあったかもしれない。女性映画という言葉は完全に死語である。。。ということで、以下、『その夜は忘れない』の感想。

☆『その夜は忘れない』

広島を訪ねて、廣島をヒロシマに変えた傷痕を探究し、そして挫折するというのは、新藤兼人が1952年に『原爆の子』で、アラン・レネが1959年に『ヒロシマ・モナムール』で、既に映画内に定着させていたことである。『その夜は忘れない』においては、東京で週刊誌記者をやっている男が記事ネタを探して、戦後17年経た広島にやって来る。すると街は活気に溢れており人々は逞しく生きている。東京からやって来た男は広島にあるはずの絶対的悲惨、ないし、その証拠を汗だくで探し回る。こういうあらすじに新味はないことは、新藤兼人と近いところにいた吉村公三郎が知らないはずがない。

東京から来た週刊誌の記者を演じた田宮二郎

監督が自覚していたにせよ、そうでないにせよ、この映画に脚本上の新味はない。アイキャッチにしたショットを改めて下に掲載する。これは、いつものように、スクリーンに投影した映像をスマホで撮影したものであるので、ちょっと歪んでいる。

若尾文子と田宮二郎を前景に向かって周辺化するショットは極めて爽やかに時を止める。

上のショットについて多くを語る必要はなかろう。十分に美しい。『その夜は忘れない』で最も良いショットではないか。何も見つからず波止場にやって来た男が、ため息の代わりのタバコに火をつけようとすると、風でうまくいかない。その姿をたまたま見ていた女が、波止場の先まで来て日傘で覆ってくれたという場面。わっ、あなたでしたか!みたいになる。それで上のショットに至るのだが、普通もっと早く気付くだろうなと、いかにもな陳腐さを拭えない。それよりも、この波止場のロングショットの前と後にクロースアップが入る。編集で構成したきゃわきゃわ若尾文子のクロースアップが挿し込まれる。これが下手なのだ。ズレていて、コンティニュイティがどうなっているのかよく分からない。ただ、ぱっとカットするので、よう分からんが可愛かったかも?みたいにお茶を濁す、誤魔化しアイドルショットを前後に挿入したシークエンスなのである。

波止場を歩いていく2人を傘の内側から撮る接近戦を挟んだ後は、波止場を歩き終わって路地での散歩となる。

若尾文子と田宮二郎の後ろ姿のショット。この後に若尾文子を横から捉えた近接ショットが来たはず。そこまでは良かったかと。

浴衣の柔らかなラインを捉えて若尾文子の色気を充満させる芳しい背面ショットである。しかし、この後は屋内に入り、再びいまいちなショットが続く。若尾文子にカメラが接近するのに、いや、接近するとしくじる。。。

何が言いたいか。波止場と路地の2人は良いが、その前後が悪い。その前後とは、若尾文子との接近戦のことだ。若尾文子をクロースアップで、或いは、バストショットで、この映画のカメラはそのエモーションを捉えることに、ことごとく失敗しているではないか。

映画は若尾文子のクロースアップに失敗する。しかし、それでどうして女性のための女性の心情を捉えた《女性映画》になりえようか?映画は、石ころの物語を説明し、紋切り型のホラー映画のような大仰な劇伴にのせて、女の胸の内側を、説明的に提示するのである。そんな風に、若尾文子の着物の合わせ目のご開帳となるのである。じゃーん!っていう音がしていた気すらする。実際には、鳴っていないかもしれないが、そんな調子なのである。これは被爆した女の心情を慮る行為の逆で、まるで化け物を見つけたとでもいわんばかりの場面になってしまっていた。これは本当に女性映画の巨匠による映画なのか?

キネマ旬報もご丁寧に紹介していた太田川の川底の石の話なのだが、映画のショットではなく、驚くほど散文的な説明であった。「この川の石たちはね、満ちていると姿を見せず、干潮になると、、、」と若尾に長舌鋒のモノローグをさせてご丁寧に石を持たせて、握りしめさせると、「これは、、、?」と芝居がかった驚愕の表情。波止場や路地のロングショットでの映画的な美学は、太田川の夜の河原に若尾文子が佇んでいるというのに、微塵もない。

ご開帳の場面も同じ。「ちょっとあなたはそこにいなさい」と襖の向こうに男を待たせて、鶴の恩返しのようにいそいそと身支度をする女のショットから、襖を開けると、悲惨の根源を見せる。この映画は、女の人生に取り憑いた災厄のケロイドを映画的に提示するのではなく、こういう場面でこういう展開だからと経緯をいちいち説明するシークエンスとなっており、かったるい場末の連れ込み宿でじゃーんとご開帳に至るのだ。

観ているのがつらかった。若尾文子に近接できていないことを、撮影班は分かっていたのだろうか?撮影に入る前の契約や条件からして、若尾文子に近づくのは無理だとびびっていたのだろうか。女優と映画会社がつきつける複雑怪奇な条件を逆手に、増村保造などは毒々しいテーマに若尾文子のモンタージュを見事に接続させていたのかもしれない。川島雄三などは本作と同じ年にエロ坊主と見事に絡ませていたものだ。しかし、吉村公三郎の本作はといえば、被爆した女をショットにおいて映画的に捉え損ねた結果、出演にあたり色々と条件があったであろう大女優・若尾文子を、女優として、そのままスクリーンに登場させてしまったのかもしれない。映画はCMでも、プロモーションビデオでもないので、スクリーンに女優や芸能人が映っていてはいけない。映画は映画なのである。本作のロングショットの美しさは、実現しなかった映画の可能性が大きかったことを物語っている。