僕がペーパーバックを読み始めたわけ⑰
私はティプトリーの傑作選“HER SMOKE ROSE UP FOREVER”(ARKHAM HOUSE, 1990年)の「男と女」ものを読んでいる。 そして、“YOUR FACES, O MY SISTERS! YOUR FACES FILLED OF LIGHT!”はとてもつらい話だ。だから以下は閲覧注意とお伝えします。
物語の主人公はひとりの女。すでに廃墟と化した大都市を歩いている。彼女の仕事は配達人。旅をしながらシスターたちの手紙を受けとり届けていく。馬があれば仕事ははかどるだろうが、歩いて生まれる出会いはとても素敵だ、そんなことを考えている。
こんな物語に、みじかい「彼女と出会ったものたちの会話」が挿入される。それで明らかになるのは、彼女が廃墟と信じた場所が現代の普通の都市であること。彼女が自動車を馬と捉え、世界に男性はおらず男性をシスターとみるほど現実を歪めている事実なのだ。
現実を受けとれないむごさは、彼女が無害で愉快な性格であることでもつよまる。さらに、登場人物たちは彼女の死を当然と見なす。物語はかれらの予想を全く覆さずに暴漢を登場させる。その襲撃のさなかに彼女が幻視するものがこれだ(引用直前に性暴力を示唆する記述がある)。
…she sees or thinks she seesーyes!ーin the light, in the patches of sky between the terrible bodies of her attackers, she can see them comingーsee far off but clear the beautiful faces of her sisters speeding to save her, to avenge her! O my sisters…(p166)
女は見る、いや、見たような気がするーーそう!ーー光のなか、恐ろしい襲撃者たちの体のすきまから、あの人たちがやってくるのが見えるーーまだうんと遠くのほうだが、明らかにシスターたちの美しい顔が、わたしを救うため、わたしの敵を撃つために近づいてくる。おお、わが姉妹よ(以下略)
(『星々の荒野から』(ハヤカワ文庫、伊藤典夫・浅倉久志訳p107-108、本作は浅倉久志訳です)
小説を読んでただ悲しくて泣いたのははじめてだと思う。つらいドキュメントを見聞きするのと同じ悲しさだった。以下にひとつふたつ本作について書く。それは作品解釈というより、読んでなにか考えずにはいられなかったというだけの話であるように思う。
『星々の荒野から』の解説で、伊藤典夫はタイトルを詩かなにかの引用と想像しつつ、訳者(浅倉)は出典を探り当てられなかったと書いている。私はキリスト教聖書の詩篇のもじりだと思う。神の顔の輝きを讃えた詩篇4の一節を読もう。
Many ask, “Who can show us the good?” Shine the light of Your face upon us, O LORD
(MAJORITY STANDARD BIBLE)
恵みを示す者があろうかと、多くの人は問います。主よ、わたしたちに御顔の光を向けてください。
(新共同訳)
女にとってこの世界は、機械文明が終わり、男たちは死に絶え、恐怖から解放された自由のひろがる場所だった。当然のことだが、父なる神など存在しない。男性的な一神が世界を庇護するのでなく、光る顔を向けるものは必ず複数でなければならないのだ。
この宗教感覚にもう少しとどまろう。タイトル「おお、わが姉妹よ、光満つるその顔よ」は、複数が救いの神であることをはっきりと伝えている。ならばこうも考えられないか。神はどこにでもいると。わたしたち全員を直接救うほどに近くに住まわれていると。
女の感じた幸福感に少し近づけたかもしれない。約束の地はここであり、愛すべき隣人たちはわたしを救う神たちでもある。それは正しい認識だ。じっさい人間がすぐ近くの人間を救うならば。その当たり前の奇跡に人間がくりかえし挑むならば。
ところで、彼女が他の登場人物とちがい名で呼ばれないのはストレートな寓意を含むだろう。彼女がいま生きている無名の女のひとりであること。そして私たちは、彼女を男の世界がもたらす苦しみから救う「姉妹」でありえたこと。だから余計につらい話なのだ。
