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ことばの過渡期~「気候」「酷暑」を例に~

連日、凄まじい湿気です。今日も気温はそこまで高くないものの、昼から雨が降りましたので街はサウナ状態です。

本日で金曜日は本年度前期分は終わりということで、大変お疲れ様でございました。あと残すは3日です。頑張って参ります。

少々の買い物の用事がありましたので、日が暮れた19時半過ぎごろに出かけました。しかし、私は本当に苦手なんですよね。下北沢という街が…(厳密には、下北沢と池袋ですが…)
しかも、欲しい商品がなくて無駄足。家の近くの販売店に出かけたら、そこにありました。トホホ・・・。

さて。
私が今、気になっているのは「酷暑」という言葉です。

今年になって気象庁が、最高気温が40度以上の日を「酷暑日」と定義しました。

つまり、酷暑というのは40度以上のことを指すような意味になってしまったのです。しかし、私自身、普段の生活で酷暑という言葉は別の意味で、かなり使います。

「いやー、今日は酷暑だわ」

みたいにね。でも、この時、実際は気温29度、湿度80%ということもあるわけで、ここでいう酷暑は体感などの感覚的表現で使っているわけです。
まさしく「酷い暑さだ」という表現を簡略して「酷暑だ」と使っているというような感じです。

でも、気持ち悪くないですか?これ。

だって、実際は40度以上を指す「酷暑日」の酷暑なのに。この場合、私はこの語を、(あくまでもですが)気象庁の定義から逸脱して使用しているわけです。

まあ、気象庁だっておそらくは、40度以上でとにかく暑い、危険ということを広く国民に通達するということを念頭に、一般利用されている「酷暑」という言葉を用い、それをさらに行政等における便宜上、40度以上という定義を絞って設定したとは思うのですが。

実はこういう例は他にも存在していて、例えば「気候」という言葉です。 

辞書をひいてみます。

気候:各地における長期にわたる気象(気温・降雨など)の平均状態。ふつう30年間の平均値を気候値とする。[広辞苑第5版、岩波書店、2005]

つまり、気候という言葉は長期的(私は高校で一年程度~と習いました)な気象状況を指すわけです。

でも、よく巷では

「今日は気候が良い」

という使い方がなされていて、私は、いやいやおかしいでしょう…と思ってしまうわけです。

なんだか「天気」より「気候」と言ったほうが上品で文学的な気もしますが、誤用なんですよ。

でも、「気候」の意味を知るまでは普通に受け流していました。とてつもない違和感を感じるようになったのは意味を知った後のことです。

というように、「酷暑」も同様に
「今日酷暑だわ」
という一般語としての使い方が、今後も主流でい続けられるのか疑問なんですよね。

ある一方では40度以上の日のことを指す意味で使い、ある一方では感覚的な表現として使うことになってしまいます。

このように、気象庁は「酷暑日」という専門的な造語を作ったわけです。

この言葉はどういう変遷を辿るのでしょうかね。「酷暑日」という言葉がますます浸透していけば、29度の日に
「いやー今日は酷暑だわ」
と言えば、
「いやいや、おまえ、酷暑というのは40度からのことだから」
というような、逐一その言葉の定義を気にしてしまう、私みたいなおかしな人が出てきてしまうのでしょうか。
 
しかし、日本は空気や言葉を読むのに長けている人物が比較的多い人種とも聞きますし、おそらくそこまで気にせず、また脳内で一般的か専門的な意味かは瞬時に判断できることが多くなると思いますが。

ただ、私がたとえ一般的な意味で
「酷暑だねー」
と言ったところで、少なからず話者である私の脳内には40度がチラついてしまい、従来通り柔軟に使うことが出来なくなっているんですよね。

つまり、たとえ便宜上であれ定義を下手に知ってしまった現在、29度で「酷暑」を用いるのに私はものすごく抵抗を抱くということです。

いやはや、「酷暑日」というのは、一般語と専門語の過渡期にある言葉ですね。

まあ、どうでも良いことなんですけども、気になってしまったので書き残しておこうと思います。

厳密には、
「今日は真夏だわ」
「今日は猛暑だわ」
「今日は酷暑だわ」
と使い分けたほうが、本当は良いのでしょうかね・・・。

ともかくも、引き続きこの言葉を観察して参りましょう。

【中国語日記】
今天七月十七号星期五。我六点半起床。我星期五有一节英语课。我回家了五十分钟。我有两台笔记本电脑。我用了三小时电脑。


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