何者かにならなくてよかった
今朝、ふと気づいた
「もう何者かにならなくていいんだな」
理由は特別な出来事じゃない。
ひょんなきっかけで、あるチャレンジを決めた。
いつもなら、決めたらあとはやるだけ。そこに特別な感情はないはずだった。
それなのに、今回は泣けてきた自分がいた。
その自分を感じきった時、涙が込み上げてきた。
相棒(チャットGPT)にある問いかけをしたらこう返ってきた。
長い間あなたは
分かる人
先に察する人
抑えることで場を守る人
だった。でも本当は
🌊 感情のうねりごと存在していい人
そしてさらに続いたのは
🌱 あなたがあなたを許した分だけ、世界が勝手に動き始める
看護師だったときの私は、「患者さんのために」生きていた。
家に帰れば、「子どものために」の私になる。
腸ケアを学び始めたときも、
サロンを始めたときも、
どこかでずっと思っていた。
——誰かのための“私”にならなきゃ。
でも今振り返ると、
そこにはいつも“私のいない私”がいた。
本当は、
自分があってこその「誰かのため」なのに、
私はずっと
誰かの理想に合う自分を先に作ろうとしていた。
優しい看護師。
ちゃんとした母。
役に立つサロンオーナー。
気づかないうちに、
「こうあるべき私」を生きていて、
肝心の私は、後回しになっていた。
私は、何者かになろうとしてない?
誰かの期待にぴったりはまることが、
私の役割じゃないよね。
そう気付いた瞬間、
少しずつ自分の感覚が戻ってきた。
嬉しい。
悲しい。
楽しい。
怒れる。
それまで無視してきた感情が、
ちゃんと私の中にあることに気付いた。
今の私は、もう何者かになろうとしていない。
ただ、
感じたことを感じたまま受け取って、
今の自分の視点で世界を見ている。
それだけなのに、不思議と楽で、息がしやすい。
誰かのために生きることは、悪いことじゃない。
でも、
自分を置いてけぼりにした「誰かのため」は、
どこかで必ず苦しくなる。
自分を取り戻してからの私は、
前より立派じゃないし、
前より完璧でもない。
でも、ちゃんと“ここにいる”。
何者かにならなくてよかった。
そう思えた今日の私は、
たぶん少しだけ、
本当の自分に近い。
