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今の僕は、仕事をしているんだろうか。


きっと、子どもたちは思っている。

「とおとの仕事って、何?」

毎日、パソコンに向かっている。

何かを書いている。

物件を見ている。

誰かと連絡を取っている。

ChatGPTと話している。

でも、会社に行くわけでもない。

店に立つわけでもない。

毎日、決まった仕事があるわけでもない。

子どもたちから見れば、

「いつもパソコンを触っている人」

なのかもしれない。

僕自身も最近、ときどき思う。

今の僕は、仕事をしているんだろうか。



今の僕の仕事を無理やり言葉にするなら、

「ライター」

になるのかもしれない。

noteを通じて、

自分が感じたこと。

自分の価値観。

不動産のこと。

オランダのこと。

子どもたちのこと。

これまでやってきた仕事のこと。

そんなものを毎日のように書いている。

でも、

これでほとんどお金を生み出しているわけではない。

誰かから依頼を受けて書いているわけでもない。

だから、

「ライターです」

と言ってしまうことにも、少し違和感がある。

そもそも、

お金を生んでいないものを「仕事」と呼んでいいんだろうか。

最近、そんなことを考える。


昔の仕事には、いつも「相手」がいた

これまでの仕事を振り返ると、

もっと分かりやすかった。

行政書士をやっていたときには、

依頼してくれる人がいた。

障害福祉をやっていたときには、

利用者さんがいた。

旅館や民泊には、

今も宿泊してくれる人がいる。

不動産には、

今も住んでくれている人がいる。

事業そのものは、今も続いている。

ただ、

僕自身が現場で動いているわけではない。

不動産には管理会社がいて、

旅館や民泊にも、

日本で運営してくれている人たちがいる。

僕がやることといえば、

たまに連絡を取り、

打ち合わせをして、

何か判断が必要なときに決めるくらいだ。

ありがたいことに、

僕が毎日働かなくても、

事業は動いている。

昔から目指してきた形でもある。

でも実際にそうなってみると、

不思議なことに、

「自分は仕事をしている」という実感まで薄くなった。


昔は、

自分が何かをする。

その結果として、

誰かが助かる。

喜んでくれる。

売上が立つ。

何かが前に進む。

そういう流れが、

とても分かりやすかった。

自分が何の価値を生んだのかが、見えやすかった。

だから、

「今日は仕事をした」

という感覚も得やすかった。

でも今は違う。

文章を書いている。

毎日のように考えている。

不動産を見ている。

新しい事業について考えることもある。

でも、

それが今日、

誰かの役に立ったのか。

いくらの価値を生んだのか。

何かが前に進んだのか。

目に見えるものが、

ほとんどない。

これが、

思っていた以上に難しい。


成果が見えない時期は、結構つらい


別に毎日、

何かを生み出さなければいけないわけではない。

それは頭では分かっている。

今は家族とオランダで暮らしている。

子どもたちとの時間もある。

昔より自由に時間を使えるようになった。

本来なら、

もっとのんびりしてもいい。

でも、

どうしてもできない。

大学を卒業してからずっと、

「時間があれば働く」

という生活をしてきたからだと思う。

何かを作る。

何かを売る。

何かを改善する。

次の事業を考える。

投資先を探す。

ずっとそんなことをしてきた。

だから今でも、

子どもたちが学校や保育園に行くと、

無意識のうちに思ってしまう。

「よし、仕事の時間だ。」


パソコンを開く。

noteを書く。

物件を見る。

調べものをする。

何かできることはないか探す。

少しでも空いた時間があると、

「もう一本、記事を書けるんじゃないか」

と思ってしまう。

たぶん、

仕事が多いから忙しくしているわけではない。

むしろ逆だ。

「仕事をしている」という実感がないから、仕事を探してしまう。

そんな感じなのかもしれない。


働いている感が欲しい

これは昔からの癖なんだと思う。

目に見える成果が欲しい。

今日はこれをやった。

これだけ売上が上がった。

この仕事が終わった。

この物件を買った。

この事業を始めた。

そういう、

分かりやすい達成感が好きなんだと思う。

でも今は、

記事を書いても、

すぐに何かが変わるわけではない。

売上になるわけでもない。

事業になるわけでもない。

ただ、

インターネット上に文章が一本増える。

それだけ。

だから書いても書いても、

どこか満たされない。

すると、

また次の記事を書こうとしてしまう。

成果がないから頑張る。

頑張っても成果が見えない。

だから、さらに頑張る。

なかなか厄介だ。


オランダで、僕は何の価値を生んでいるんだろう

もう一つ、

最近よく考えることがある。

僕は今、

オランダに住んでいる。

この国で、

この町で生活している。

家を買った。

子どもたちは学校や保育園に通っている。

買い物をする。

税金も払う。

もちろん、

それも社会との関わりではある。

でも、

時々思う。

僕は今、この場所に何を返しているんだろう。

オランダで働いているわけではない。

オランダの会社に価値を提供しているわけでもない。

雇用を生み出しているわけでもない。

地域の人に、

何かサービスを提供しているわけでもない。

日本に向かって文章を書きながら、

オランダで暮らしている。

それでいいのか。

そんな違和感が、

ずっと少し残っている。


昨日、夢の中で仕事を始めていた


昨日、

ちょっと面白い夢を見た。

オランダで飲食店を本格的にやる夢だった。

ただ店をやっている夢ではない。

僕は夢の中で、

ちゃんと事業計画を作っていた。

どんな店にするか。

誰に来てもらうか。

売上はいくらになるか。

どう運営するか。

かなり真剣に考えていた。

目が覚めて、

少し笑ってしまった。

夢の中まで、

事業計画を作っている。

どれだけ仕事が好きなんだ。

というより、

たぶん僕は、

常に何かの価値を生み出していたいんだと思う。

もうこれは、

性格というより、

身体に染みついているのかもしれない。

脳が勝手に、

「次は何をやる?」

と考えている。


でも、「価値」はすぐにお金になるものだけなのか

一方で、

最近は別のことも考える。

そもそも、

価値というものは、

すぐに売上にならなければ価値ではないのだろうか。

僕が書いた行政書士の記事を読んで、

「試験を頑張ろう」

と思ってくれる人がいるかもしれない。

不動産の記事を読んで、

物件を見る基準が少し変わる人がいるかもしれない。

オランダの記事を読んで、

海外で暮らすことを考える人がいるかもしれない。

子どもについて書いた文章を読んで、

少しだけ自分の家族について考える人がいるかもしれない。

それは、

売上としては見えない。

数字にもならない。

でも、

価値がゼロというわけでもない。

たぶん僕は今、

価値を回収する時期ではなく、価値を積み上げている時期

なのかもしれない。

今書いている文章が、

1年後、

3年後、

5年後に、

何かにつながる可能性もある。


ただ、

そうやって自分を納得させても、

やっぱりどこか落ち着かない。

僕はたぶん、

お金が欲しいわけではない。

今すぐ大きな事業をしたいわけでもない。

欲しいのは、

もっと単純な感覚なのかもしれない。

「今日、自分は誰かに何かを渡した」

という感覚。



だから、

いつかオランダでも、

何かできたらいいと思っている。

日本語を教えるのかもしれない。

日本文化を伝えるのかもしれない。

料理なのかもしれない。

この家を使って、

人が集まる場所を作るのかもしれない。

日本とオランダをつなぐ、

何かを始めるのかもしれない。

まだ分からない。

今すぐ答えを出す必要もないと思う。


でも、

一つだけ分かってきた。

僕が探しているのは、

単に「稼げる仕事」ではない。

この町に住みながら、「自分もここで何かを渡している」と思える仕事なんだと思う。

今の僕は、

仕事をしているんだろうか。

まだ、

自信を持って「はい」とは答えられない。

でも、

こうして文章を書きながら、

自分がこれから何を渡せるのかを考えている。

もしかすると、

この答えが出ない時間も、

これからの仕事をつくるために必要な時間なのかもしれない。

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