「精神疾患じゃなかったら」と嘆く人たちへ。私が奇想天外なメンヘラたちを愛する理由
私は、いわゆるメンヘラである。類は友を呼ぶのか、私の知り合いにもメンヘラが多く、十人十色、実に様々なタイプのメンヘラが生息している。
彼らの中には、時折こんなことを言う人がいる。 「もし自分が精神疾患じゃなかったら、もっといい人生を送れていたのに」
その気持ちは分からなくもない。だが、それは言ったところでどうしようもないことだ。私は「言ったってどうしようもないこと」や「考えたってどうしようもないこと」に自分の脳のリソースを使うのは、時間の無駄だと思っている。仕方がないというより、明らかな浪費である。 だから私は、自分が得になることや、考えて楽しくなることなら、たとえそれが嘘や幻想であっても脳のリソースを割く。
そもそも、「メンヘラじゃなかったら良かったのに」という理論は根底から破綻している。 メンヘラになる背景には、生まれ育った環境や親、周囲の人間関係など、自分では到底選べない要素が複雑に絡み合っている。そうした環境で育ち、大きくなって精神を病んだことを嘆いても、それは回避不可能な道だったのだ。メンヘラであること自体が、もうその人の「人間性」の一部として完成してしまっている。
「違う自分」を望む悲しさ
私はすごく家が貧乏だったし、親もろくでもなかった。飢え死にこそしなかったものの、そこそこハードで大変な生い立ちだったと思う。でも、それはそれでしょうがない。私は今の自分が好きだから、反面教師にしたり反骨心を燃やしたりして、色んな嫌なことをくぐり抜けて今日まで育ってきた自分自身を、ちゃんと認めている。昔どんなに不幸だったとしても、その過去を塗り替えることなどできないのだ。
だから、私はこう思う。「もし精神疾患じゃなかったら」と嘆く人は、それが「もし自分が自分でなければ良かったのに」と言うことと同義であることに気づいていないのではないか。 それとも、ただ嘆きたいだけなのか、愚痴を言っているだけなのか。その嘆きの正体は、多分「自分のことが好きじゃない」ということなのだと思う。だから、違う道を辿ってきたかったとか、生まれつきの環境を変えたかったとか、絶対に不可能なことを口にしてしまう。
同じ愚痴を、延々とぐるぐる言い続けている人もいる。それは憂さ晴らしや単なる愚痴ではなく、その発想から逃れられず、頭の中でずっとネガティブな思考が回転し続けている状態だ。はっきり言って、それは病状の表れであり、ひとつの考えに対する執着だ。あるいは、明るい発想への切り替えができないという性格的な問題もあるのだろう。
常識からかけ離れた、奇想天外な生態
なぜか私は、世間で「健全」と言われる人たちよりも、そういったメンヘラの人たちと向き合う傾向にある。というのも、人間なんて「ちょっとおかしいところがあるぐらいが普通だ」と思ってしまうからだ。
とても立派なことを言っていて、頭も良くてハキハキしていて、温かい人。そういう素晴らしい人も世の中にはたくさんいるけれど、私にとっては、何か欠点があったり、強烈な癖があったりする人の方が面白い。自分では到底考えつかないようなあり得ない発想や、思考がぐるぐる回っている頭の回転の悪さ。そういうものに私はすっかり慣れてしまい、むしろ「面白い」とすら思ってしまう。
この世の中自体が、そんなにピカピカと輝かしいものではない。それなのに、そこに住んでいる人間だけがみんな輝かしくて、立派で、強い信念を持っているとしたら、かえって不自然で気味が悪い。
中には他人を攻撃してくる人もいるが、ずっと付き合っていると「こういう風に回避すればいい」という対策が見えてくる。こういう傾向の話を振ればまともに話せる、といったゲームのような「攻略法」があって、それを見つけるのがなんだか楽しかったりするのだ。
頭の回転がすこぶる悪くてボソボソ喋ったり、動きが鈍かったりする人も、観察していると結構面白い。ずっと黙っていたのにいきなり口を開いたかと思えば、全然関係のない奇想天外でおかしいことを言い出したりする。 彼らの日常生活は、世間の常識とはかけ離れている。一人暮らしなのに鍋もフライパンも包丁も持っていない。「じゃあ毎日何を食べてるの?」と聞けば、「豆腐と納豆」などと答える。極端な節約なのかダイエットなのかと思いきや、お昼には平気で脂っこいものを食べていたりする。 その謎めいた不思議さ、一筋縄ではいかない面白さこそが、私の周りにメンヘラが集まる理由なのだと思う。
人に期待しないという「究極の攻略法」
メンヘラは、自分を受け入れてくれる人には結構心を開く。もちろん全く開かない人もたくさんいるが、開かないなら開かないで、その頑なさの中に面白いところがあって、私はそれをただ観察する。
こうやって対象を俯瞰していられるのは、私自身の心に余裕があるからだ。 私を理不尽に攻撃したり、強く当たってきたりする人がいても、私はあまり傷つかない。それがメンヘラ特有の何らかの症状であり、そこに「悪意がない」ということが分かっているので、そのまま受け止めることができる。 それは心の余裕というか、年の功というか、ある種の悟りのような境地に入ることができたような気がしている。最近では、「すごく腹が立って大嫌い」と思うような相手があまりいなくなった。
人に腹が立ち、嫌いになるというのは、裏を返せば「その人に何かを求めている」からだ。 実際、他人に対して何かを求めてはいけないのだと思う。相手の理不尽さすらも「現象」として楽しむ。こちらの心にどっしりとした余裕があれば、向こうもなんとなくそれを見抜き、攻撃してこなくなることも多い。
この世の何もかも、どんな相手とでも上手くやっていけるとは毛頭思わない。しかし、こちらが構えずに力を抜いていれば、向こうも勝手に臨戦態勢を崩すことがある。 これは人生を生きやすくする上で結構使える考え方なので、人間関係に疲れている人は、どうぞ使ってみてほしい。
