歩かない“街道ウォーク”⑨ 春日部市郷土資料館(粕壁宿)
こんにちは、ばーどです。
旧中山道ウォークは2025年10月に美濃国の大井宿に入って、一時中断中。春の再開までの間は、通過した宿場や史跡、近隣の資料館を巡る「歩かない“街道ウォーク”」シリーズを載せています。
今回は、日光/奥州街道の粕壁宿にある資料館です。
1.春日部市郷土資料館
訪問したのは、2026年2月14日(土)。
実際の旧街道ウォークでここを歩いたのは、2024年2月17日だったので、それ以来2年ぶりです。

今や春日部といえば、クレヨンしんちゃんの街。駅の看板にも顔を出して、電車の発着メロディーも主題歌が使われてます。



あんかけベースに、市の花である藤をイメージしたしそふりかけをかけるのが特徴。あっさりしておいしかったです。




お決まりの流れで、まずは古代から時代をさかのぼる形で、展示が続きます。

豪族の春日部氏からとった説や、川に面した地形から起こった説など、地名の起源は諸説あるようです。
江戸時代の宿場町は“粕壁宿”。現在は市名は“春日部市”だが、その下の字名では今も“粕壁”が使われています。

その後、鎌倉期の坂東武士の説明に続いて、ようやく宿場町の展示です。




資料館の奥に、粕壁宿の模型が展示されています。これまで見てきた資料館の模型にはない、船着場がここにはあり、街道と舟運の繋がりを実際に見ることができます。









模型を囲む透明板に、街道沿いの史跡の説明が加えられ、わかりやすく工夫されています。

2.粕壁宿
30分ほど資料館を見学し、その後実際の街道を歩くことにします。





粕壁宿の本陣は四回移転しており、小沢家はそのうち1609~1649年の間に本陣を勤めていました。
その斜め向かいには、1754年までの関根本陣跡があり、こちらは標柱が設けられています。




付近はかつて仲町と呼ばれ、続く上町とともに商家と蔵が並んでいたエリアです。すぐ裏手を流れる河川(大落古利根川)をによる舟運が盛んだったことがわかります。













写真の左岸が船着場があった辺りです。

粕壁宿の旧街道沿いは整備され、当時を偲ぶものはわずかに蔵が残るのみでしたが、資料館の模型や標柱を参考にしながら、宿場町の雰囲気を味わいました。
3.越ケ谷宿
東京方面に戻る途中、東武線の越谷駅で下車。粕壁宿の隣の越ケ谷宿を少し見学してみます。



越ケ谷宿は、江戸から3番目の宿場。日本橋を朝出立して、その日の宿は越ケ谷か粕壁にとる旅人が多かったそうです。元荒川を境に、南側の越ケ谷と北側の大沢という二つの集落を合わせて“越ケ谷宿”と称していました。






越ケ谷宿で気になっていた場所のひとつ、“はかり屋”。
2年前は朝早く営業していなかったので、そのまま通過した場所に、初訪問です。

明治38年に建てられた屋敷で、当時は肥料を扱い、のちに秤(はかり)を売るようになりました。2018年より古民家複合施設「はかり屋」として再生され、翌年に国登録有形文化財に指定されました。





街道に面した日本茶のお店、「お茶を贈る人」に入ってみました。





静かでゆったり、時間がとまったかのような中で、お茶を味わいながら飲むという非日常感。スタッフの方も丁寧に接していただき、日本茶や和紅茶についての奥深いお話を聞けて、素敵な時間を過ごしました。



越ケ谷宿は、明治に入って2度の大火があったため、宿場町の雰囲気を残す町並みはほとんどありません。往時を偲ぶような説明板があれば、街道ウォーカーとしてはありがたかったのですが、見あたりません。

この後、近くの北越谷駅から東武鉄道に乗り、東京方面に戻りました。
少しづつ春が近くなり、いよいよ実際の街道ウォークの再開を計画中です。
同時に先日スニーカーも新調し、今回の粕壁・越ケ谷の訪問で試し履きしています。あと何回か試し、少しづつ歩く距離を伸ばしながら、足に馴染まていきたいところ。
前回の中断地点が旧中山道の大井宿(岐阜県)で、信州ほど険しい峠はないものの、十三峠や関ケ原などの難所も続きますので、徐々に気持ちと体力を上げていきたい、と考えています。
