自分が書いた日記に難癖をつける。2
こんばんは。読者さん。
今日はなんとなく涼しい日だった。そして今日もかかさずギターの練習をしていた所だ。
ってなわけで本題へ。
自分が書いた日記に難癖をつける。2だ。1はたしかこの前書いたので今回は2を書こうと思う。(日記にストックがあるのでネタには困らない。)
まあ題名は被ってはしまうが、内容は別の日記を抜粋していく。そして難癖をつける。ではいこう。
8/16午前8:43に書いたよ。
朝でも夜でもジムノペティ。
私は朝でも夜でもジムノペティを聴くことに対して嫌悪感を抱かない。そのクラシック音楽を聞けば聞き入るほど、自分の想像した脳の迷宮に入り込めるからだ。私はよく速いテンポの曲も聴くが、ジムノペティのようにスローペースのクラシックもよく聴くのだ。配信と配信をしていないときではまるっきり違う生活をしている。それだけはみなさんの心に留めておきたい。ジムノペティを聞き入り浸る私にとって、クラシックジャンルを聞いている時こそ、私は自由を感じる。人との関わり合い、世界の情勢、自分がすべきこと、全てがいま、クラシックを聞いている時こそ忘れられるのだ。それが私の救い、
今日思ったことでした。
ってなわけ昔の私の日記だ。(なんか今回酔いしれすぎてないか?)
言いたい事としてあげれば、、、
クラシック音楽に希望を持ちすぎ!!!
全文を読むとそんな感じがする。またもや何か、物事に対して重荷を背よわせている。
クラシック=救い。として書かれているのが伝わる。
では読み解いていこう、、、
(また朝方に書いている。寝れなかったのだろう。)
朝でも夜でもジムノペティ。
「私は朝でも夜でもジムノペティを聴くことに対して嫌悪感を抱かない。そのクラシック音楽を聞けば聞き入るほど、自分の想像した脳の迷宮に入り込めるからだ。」
↓
「私」 うん。ただの妄想癖がある、気持ち悪い人間ってこと?
まず最初に見てこう思った。ただの気持ちが悪い人間だと。クラシック音楽を聞けば何かとゆったりリラックスできるのはわかる。そして考えを巡らせる事が捗るだろう。しかし、妄想癖持ちの気持ち悪い人間だとものすごく感じる。この文章を見て、私の五感が気持ち悪さを感じている。(いつも気持ち悪い事を考えながらくねくねしているからね。気持ち悪いね。)妄想癖があり、怠惰である大学生という異名を昔の自分に渡したいほどだ。
「エリックサティのジムノペティには嫌悪感を抱かない。」
多分この文章は私はドパガキではあるが、ドパガキではない一面もあると伝えたかったのだろう。
(余白が多すぎてこんな日記送られてもわからんぞ、、)ドパガキはリズムの遅い音楽は聞けないからね。そこを否定したかったのだろう。
まあクラシック音楽が好きってことは微力ながら伝わるな。
「私はよく速いテンポの曲も聴くが、ジムノペティのようにスローペースのクラシックもよく聴くのだ。配信と配信をしていないときではまるっきり違う生活をしている。それだけはみなさんの心に留めておきたい。ジムノペティを聞き入り浸る私にとって、クラシックジャンルを聞いている時こそ、私は自由を感じる。」
ここの文章は私の私生活の出来事をクラシック音楽に落とし込んでいる。どのようにクラシック音楽が私の存在を豊かにしてくれているのか?を表しているんだろう。
そして配信や外部の人に向けて書いたのだろう。
配信してる時やインターネットで発言している時とはまるっきり違う生活をしていて、ゆったりとした時を必要としている思いを私はこの文章から感じる。
「私」けど、クラシック音楽を聴いてる時に自由を感じるって文章、スケールがデカくないか?
うんちょいとでかいな。自由という表現を使い、クラシック音楽を聞けば自由になれるみたいな言い回しをしている。(過大評価しすぎだろ、、、)クラシック音楽を聴いてる時が自由。それ以外は不自由なのか?とも感じ取れてしまう。ワードセンスがいきなり地の底まで落ちている。ここはクラシックを聴いて酔いしれる。クラシックを聴いてる時が一番ゆったりできる。とかにした方がいいな。(自由を感じる幅狭すぎだろ、、、もっと感じる時はあるだろう。)
とりあえず自由って言葉は広すぎるわ。
「人との関わり合い、世界の情勢、自分がすべきこと、全てがいま、クラシックを聞いている時こそ忘れられるのだ。それが私の救い、」
「私」ちょっと待て。クラシック音楽を神格化しちゃってるよ。
クラシック音楽を神格化しすぎて、これは宗教について書かれているのか?と思わんばかりにクラシック音楽を崇めている。(なんか色々と危ない思想になってきたな、、、。)
このまま薔薇色の学校生活を捨て去り、クラシック音楽宗教を作り上げ、祀っていく活動をして行く勢いだ。この文章から感じる。薔薇色の学校生活に終止符を打ち、クラシック音楽宗教団体を作ろうとしているのは本当にまずいのだ。私の青春がクラシック音楽によって潰れようとしている。(まあ薔薇色の学校生活はないんですがね。)
とりあえず、この文章はまずい。
まあ一つ一つ読み解くと、クラシック音楽に期待と希望を持ちすぎている事だ。人との関わり合い、世界の情勢、自分がすべきこと、全てをクラシック音楽に背よわせている。そんな魔法みたくクラシック音楽で全部解決出来るわけがないだろう。どんな妄想なんだよ。私の精神はクラシック音楽に縋るほど落ちていたのか?と思ってしまう。
そして神格化のような表現になってしまっている「私の救い。」と言う言葉、これ本当に救われているのか?気持ちだけだろう。多分朝のわけわからん時間まで起きてしまって、世界の全てが愛おしく見えているのだろう。深夜テンションが朝まで響いた結果クラシック音楽を神格化している謎思考を巡らせていたのだろう。(はよ寝ろよ)
総括
深夜テンションでクラシック音楽を妄想の中で神格化させているヤバい日記
っと私は思う。文章的には良かったが考えが偏っている。危ない思想に一歩前進している気がする。
ここでジムノペティについて解説する。←先に書け
(ジムノペティとか言う音楽知らんよって人向け)
ジムノペティはエリックサティによる作曲によって作られたクラシック音楽だ名前の由来は古代ギリシャのスパルタで行われていた裸の若者たちが踊る祭典「ジムノペディア(Gymnopaedia)」に由来している。
(ちょっと怖いな)
多分みんなは一回は聞いた事はあると思う。
一応リンクを貼っておく。暇だったら是非聞いてね。
ジムノペティはいい曲だ。ゆったり落ち着く事ができるだろう。私のおすすめの曲でもある。是非私のようにクラシック音楽を神格化(?)しないほど聴いて嗜んでくれ。
こんなに長く書いてしまった、、、(2700文字程度)
とりあえず朝日が昇りそうなので私は寝る。
(まだ私の昼夜逆転は続く、、、)
ではでは、おつおつ〜(古来のオタクからのいい夢見てね)
