おじ(概念) 「無自覚な引っかき回し」というパターン
これは、ある種の事件だと思う。社会運動の界隈で起きた、「おじ」の振る舞いによる事件だ。
こういう形で、ここまで分かりやすい教材のようなおじが現れたことは、むしろチャンスなのではないかと思う。今回の出来事を言語化し、今後に備えるためのマニュアルの一つとして活用できるのではないか。
この記事は、デモに行き始めたばかりの人や、初めてスタンディングをしてみた人など、社会運動に参加し始めたばかりの人に向けて書いている。
これから先、社会運動に関わっていると、いろいろな揉め事に出くわすと思う。そのパターンの一つとして、今回の「おじによる無自覚な引っかき回し」を頭に入れておいてほしい。
「おじ(概念)」とは何か
先に断っておきたい。
ここで言う「おじ」とは、決して高齢の男性を指しているわけではない。これは概念としてのおじであり、場に持ち込まれる家父長制的な仕草や、特権を多く持つ人に見られやすい振る舞いを指している。
性別や年齢にかかわらず、この「おじ」は誰の中にも存在している。だから、これは他人事ではない。誰もが、自分の中にある仕草として気をつけられる話だ。
とはいえ、今回、実際に場をかき乱したのが男性のおじさんだったこともあり、文章の語り口がそちらに寄るところはあると思う。それでも、ここで指しているのは、あくまで「おじ(概念)」だということを、最初に押さえておいてほしい。
そもそも、社会運動とは何をする場か
社会運動の場では、社会を変えるための活動が行われている。
現政権に抗議し、差別やヘイトに抗議する。権力構造の中で下に置かれている市民や活動家が、上にいる権力者や政治家に向かって、さまざまな形で必死に声を届ける。その表現を重ねながら味方を増やし、声を上げる人の輪を広げていく。
社会運動の場で、本来、力を注ぐべきなのは、そういうことだと思う。
私たちは、それぞれのやり方で、それぞれの場所から、上にいる権力者に向かって声を上げることに、時間と体力とパワーを向けたい。社会運動の場とは、本来そういう場所だ。
構造としては、とてもシンプルだ。
しかし、権力者との関係では同じ側に立っている市民や活動家の間にも、その活動の場における勾配は確かに存在している。私たちが生きている社会自体が男性優位であり、家父長制的な日常の中で暮らしているからこそ、市民や活動家の間にも、そうした仕草を持ち込む人が現れる。
今回、何が起きたか
今回の一番の問題は、権力者との関係では同じ側にいる市民でありながら、ほかの市民グループが行っている抗議活動や、その表現に対して、上から目線で苦言を呈した人が現れたことだ。
私たちは本来、同じ側に立ち、上に向かって声を上げることに時間と体力を注ぐはずの人たちだ。
それなのに、なぜか自ら踏み台のようなものを持ち込み、その上に一段上がって、ほかの人たちの活動に「あれは自己満足だ」などと上から苦言を呈するおじが、同時多発的に現れた。
それを発端として、市民同士の言い合いが起きた。
最近デモに行き始めた人や、初めてスタンディングをしてみた人にとって、こうした揉め事を目の当たりにするのは、かなり驚くことだと思う。
味方同士のはずなのに、なぜこんな風に揉めたり、言い返したりしているのか。こんなやり取りには意味がないのではないか。そう感じる人もいると思う。実際に、多くの時間と体力が消耗されている。
しかし、社会運動全体を見たとき、こうした出来事もまた、運動の内部で起きる問題の一つではある。ただ揉めているだけだ、馬鹿らしい、と切り捨ててしまうのは、少しもったいない。
だから、今回の出来事について話したいと思う。
なぜ、運動をジャッジできないのか
まだ社会運動に参加していない多くの人たちは、しばしば「大衆」と一括りにされる。
「普通の大衆とは、だいたいこういうものだろう」と捉えられがちだけれど、実際の大衆は一枚岩ではない。そこにいるのは、多種多様な人たちだ。
多種多様な人たちに味方になってもらい、社会運動に参加してもらうためには、運動を行う側にも、さまざまなバリエーションが必要になる。
落ち着いていて、のどかで静かなトーンの活動もあれば、音楽がかかり、ノリがよく、大きな声で叫ぶようなパワフルな活動もある。
なぜ、バリエーション豊かな活動が各地で起きていることが重要なのかについても、すでに別の記事で書いているので、詳しくはそちらを読んでほしい。
いろいろな場所で、いろいろな表現による活動が行われている。これは、とても良い状態だ。
だとすれば、運動を単純に「正しく望ましい運動」と「不適切な運動」に分けることは、本来できないはずだ。もっと言えば、そこに正解・不正解があるという前提自体が、私は間違っていると思う。
もし正解・不正解があるとしたら、それを決めるのは誰なのか。どのような基準や概念を持ってきて、正解と不正解を決めるのか、という話になる。
そもそも社会運動というもの自体が、既存の「正しさ」そのものに疑問を投げかける営みだと思う。だからこそ、その場に旧来の道徳における「正しさ」を持ち込み、それを追い求め始めたら、筋が違う。
もちろん、その場で誰かが実際に怪我をするような物理的な暴力は、禁止すべきだと思う。けれども、物理的な暴力を伴わない強い表現や、攻撃的に見える表現まで、「正解/不正解」というジャッジだけで測ることはできない。
ここは区別しておきたい。
この事件の、本当のポイント
このおじたちは、なぜか踏み台を持ち出し、それに乗り、誰にも頼まれていないのに、「これは良い運動」「これは不適切な運動」と、社会運動をジャッジし始めた。
おそらくおじ本人は、「自分の発言が適切だったか」「どちらが正しいか」という論争こそが、この事件の重要なポイントだと思っている。
でも、そうではない。
そもそも、「適切/不適切」というジャッジをすべきではないのだ。
それぞれが個として、多種多様に活動することが大事なのであって、人様の活動に割って入り、苦言を呈すること自体がお門違いなのだ。
だから、おじが後からこねくり回して提示してくる、「これはなぜ正しいのか」「これはなぜ正しくないのか」という説明そのものは、こちらにとって、もはや重要ではない。
念のため書いておくと、私がここでやっているのは、運動の中身をジャッジすることではない。静かな運動が正しいとか、パワフルな運動が正しいとか、そういう話をしているのではない。
私が焦点を当てているのは、運動の中身ではなく、おじの「仕草」と、それが生み出す「コスト」の話だ。
ここは、はっきり分けておきたい。
では、おじ仕草とは何なのか
人が行っている運動には、その人なりの表現と判断がある。
それに対して、良い・悪いを心の中で思うのは自由だ。しかし、わざわざ人の活動に割って入り、「やめるべきだ」「あんなものは良くない」と抑圧する必要はない。
会社や趣味の場など、さまざまな人が集まるコミュニティにおいて、概念としてのおじには、「自分が場の中心になることは当たり前だ」という感覚が、うっすらと根底にある。
その場の前提条件や背景を先に学び、状況を把握してから話すのではなく、突然やってきて、好き勝手に話す。それを平気でできる感覚もあるはずだ。
本来なら、そうした振る舞いは咎められるはずだ。
しかし、概念としてのおじ、つまり特権を多く持っている人の場合、そうした傍若無人な態度自体が許されやすい。
そして、そのおじが場を引っかき回して混乱を起こしたとき、こじれたものを必死につなぎ合わせる仕事や、「今はこういう状況ではありません」「それは間違っています」と説明する手間、ぐちゃぐちゃになった場を後始末する仕事を、おじ本人は引き受けずに済むことが多い。
前提知識がなく、その場の状況もきちんと把握していないため、すでに何度も話し合われてきたことを、再び振り出しに戻す。当事者に対して、初歩の初歩から説明をやり直させる。
そうした振る舞いが許され、おじが場を引っかき回した結果として生じたコストを、別の誰かが引き受ける。
本人は、自分は良いことを言ったと思っている。必要な論点を投げかけ、必要な議論を深めた。そう考え、自信を持っている。
しかし、実際には場は混乱している。そして、自分の振る舞いによって誰かが負担を負っていることに、本人は無自覚である。
この無自覚さこそが、今回のおじ騒動の問題点なのだと思う。
なぜ、これほど消耗するのか
目の前で、よく分からない理論を振りかざして好き勝手を言う人がいると、優しい人や真面目な人ほど、真剣にそのおじに向き合ってしまう。
「そもそもこういう前提があって、こういう経緯で今こうなっていて、だからあなたがここでその発言をすると、こういう意味になりますよ」そうやって丁寧に説明する。無自覚なおじに気づかせるために、みんな言葉を尽くして頑張る。
でも実際には、こうしたタイプのおじは、自分の世界観というドームの中で、自分が悪者にならないように、自己正当化に使える理屈をあらゆる場所からかき集めて、自分を守る。
だから、説明を重ねただけで簡単に変わるとは限らない。
これから先も、こういうことはたくさんある。そのたびにオジのところへ行き、丁寧に説明していると、時間と体力をものすごく削られてしまう。
すっぽんぽんおじ、「服を着る」ということ
私は、このおじたちに、覚えやすい名前をつけている。「すっぽんぽんおじ」「ありのままおじ」「イノセントおじ」
このおじたちは、自分では「良識」の服を着ているつもりでいる。
「自分はまともだ」
「自分は社会運動のことを分かっている」
そういう服を着ているつもりなのだ。けれども、他者から見ると、あまりにも振る舞いが裸すぎる。すっぽんぽんなのだ。丸裸のまま、すってんころりんと転び散らかしていて、その矛盾も、おかしさも、全部丸見えになっている。
周囲にはそれが見えているからこそ、みんな必死に言葉を尽くして説明したり、「あなたは間違っていますよ」と、まっすぐ批判したりしてくれている。
そもそも、社会運動の場で、どのような立場から、どのような発言をすると、それがどう機能するのか。それをつかむには、社会運動の基本的な全体像や、その構造を、多少は知る必要がある。
本を読んだり、勉強したり、人に尋ねたり、周りの様子を観察しながら、その場での振る舞い方を学ぶ。「こういう状況なら、自分はこう動かなければならないんだな」ということを、能動的に身につけていく。
これが、私の言う「服を着る」ということだ。
本来なら、そうやって服を着てから外に出て、社会運動の場でほかの人と交流してほしい。ただ、それだけの話なのだ。
「ありのまま」でいられること自体が、特権だ
ところが、このおじたちは、「ありのまま」でいるという特権を持っている。そのため、勉強してこなくても済んでしまう。
周囲から「違いますよ」と言われたときには、勉強し、反省し、学び直すチャンスがある。けれども、ずっとありのままの自分のまま、無知なまま、裸のままでい続ける。
少なくとも、自分の振る舞いを見直す人なら、そこまで言われれば、「そもそも自分は、社会運動の捉え方を間違えているのかもしれない」と不安になるはずだ。
いい本はないかと聞いたり、こっそり自分で勉強したりして、「こういう場で、こういう立場の人がこう振る舞うと、社会運動の場ではこういうことになるのか」と学ぼうとする。
でも、おじという立場にいると、自分から能動的に知ろうとしなくても、人に教えを乞わなくても、無知なままでいることができる。無知なまま好き勝手に振る舞い、まったくお門違いの発言をしても、それが許される。
そして、自分のせいで混乱した場を、ほかの人が交通整理してくれる。ぐちゃぐちゃになった状態を、誰かが後始末してくれる。
それもまた、特権だ。
そのため、おじは批判されても、「自分のどこが間違っていたのだろう」と反省することすらしない。無邪気に、ありのままの無知な姿で、暴れ続ける。
私が「ありのままのすっぽんぽんおじたちが、永遠にすってんころりんして暴れている」と表現しているのは、そういうことだ。
マニュアルとして、頭に入れておく
ここで、最初の話に戻りたい。
私たちが最も時間と体力を注ぐべきなのは、同じ側にいながら、よく分からない踏み台の上に乗って、上から目線でいちゃもんをつけてくるおじに対応することではない。
権力勾配の上にいる権力者に対して、アクションを続けることだ。
だからこそ、今回のことをマニュアルとして覚えておいてほしい。
またこういうおじが、よく分からないことを言い出したときに、「ああ、また無自覚なすっぽんぽんおじが、暴れているな」と、一つの型として認識できると、ずいぶん楽になる。丁寧に向き合って消耗する前に、「私がやることはここじゃなくて、あっちなんだよな」と、自分の持ち場に戻ってこられる。
進研ゼミで前に解いた問題が、テストに出たときのように。「あ、これ、前に勉強したやつだ」と思えれば、似たようなおじがまた場を引っかき回しても、以前ほど疲弊せずに済む。
こういうおじは、社会運動の中でちょこちょこ現れる。これに削られ、疲れ切ってしまう前に、一つのパターンとして知っておく。これが、私の言う「マニュアル」だ。
今回は、それを手に入れるチャンスになったのだと思う。
それから最後に、一つ書いておきたい。
社会運動を始めたばかりの人は、十分な知識がないまま、現場に参加することもある。しかし、知識がないこと自体が、おじ仕草なのではない。
分からないからこそ、周囲の話を聞く。やり取りを見て勉強する。現場に出た経験から学び、自分で自分を育てていく。知識の有無ではなく、分からないことを認め、学び直そうとする姿勢があるかどうかが、分かれ目なのだと思う。
最初に書いたように、おじは誰の中にもいる。
自分もいつの間にか踏み台に乗っていないか。自分が引っかき回した場を、誰かに後始末させていないか。それを繰り返し確かめる必要がある。その繰り返しの中で、少しずつ育っていく。
すっぽんぽんのまま居座るのではなく、服を着続けようとすること。必要なのは、その姿勢なのだと思う。
苦言おじに削られすぎて、しょうもない権力勾配トレーニングを作ってしまった…
— Bits&Pisces (@_bitsandpisces_) July 13, 2026
しょうもないからタグは付けない😵💫
暖簾に腕押しだと疲弊するので、この動画でも貼りつけて皆さまほどほどに休んでください
動画は改変しなければ、自由に使っていただいて大丈夫です👌 pic.twitter.com/FE54XAa1JF
様々な抗議のアクションが拡がる今日この頃…
— Bits&Pisces (@_bitsandpisces_) July 13, 2026
TLに流れてくる「あそこのやり方はよくない」という苦言にデモ初心者はオロオロ😰もしかしてやっちゃダメなことがある?
待って🖐️落ち着いて!
そもそも正しいやり方・不適切なやり方をジャッジ出来る誰かってなんか変じゃない? #権力勾配トレーニング pic.twitter.com/jrfZxgJs7b
#権力勾配トレーニング の動画は、同じ想いの人はご自由に使って頂いて大丈夫です👌([動画をポスト]の機能で自分の投稿として載せてもOK)
— Bits&Pisces (@_bitsandpisces_) July 9, 2026
差別やヘイトに抗う拡散は歓迎です🔥
動画自体の改変はナシで©Bits&Piscesの表記もそのまま残す、という所だけよろしくお願いします! pic.twitter.com/NcbRRWCtMd
これからもたくさん揉めるだろうし、その度にオロオロするだろうけど…
— Bits&Pisces (@_bitsandpisces_) July 14, 2026
なんとか立て直して、それぞれの場所で声をあげ続けようね🔥 pic.twitter.com/PwQLnbPb2Z
