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( )に触れる 03 | 探究の扉

気づけば、当たり前のように使っている括弧。
「( )を見つめる 03」は「知覚」という概念を補助線に、その記号に少しばかり近づいてみます。

括弧は、心なしか不思議な存在です。
その中に手を入れてみると温度がある。
そのような思いに駆られるのです。

それは、まるで夢の記憶を手繰るときのような、
ほんのりと湿った冷たさを含んだ温かさ。
ふとした記憶が息づいている時の触れれば消えそうな質感。
語られなかった感情が言葉にならないままでいてくれる、
そのための、ひんやりとしたぬくもりに感じます。

そんな括弧の温度に触れていると、ふと思い出す考え方があります。
哲学者モーリス・メルロ=ポンティが語った「知覚(la perception)」の捉え方です。

メルロ=ポンティは「知覚」について、こう述べたと受け止めています。
それは、世界に触れたそのままの身体の感覚であり、
言語化や意味づけが起こる以前の一歩手前の接触そのものだと。

たとえば、光がまぶしいと口にする前に、
まぶたを僅かに閉じたくなるあの瞬間。
悲しいと感じる前に、胸がざわつく気配。
それらがここで言う「知覚」であり、
人々は日々、意味より先に世界に触れていると考えられます。
意味の一歩手前に佇む無音の産声のような密やかさを、
身体がそっと受け止める感覚とも言えるでしょうか。

括弧の中に息づいているものも、これらに通じるものかもしれません。

明確な言葉が並ぶ本文に回収されるよりも先に、
すでに心身の中で感じられているもの。
それを、無理に言葉を本文に寄り添わせず、
人々は括弧の中にそっと保存していきます。

意味の手前にいるから、まだひんやりと冷たく、
心身から取り出せたから、どこか温かみが宿る。
でも、それは無闇に語ってしまったとしたならば、
きっと失われてしまった温度だったのかもしれません。

括弧とは、ただの記号ではなく、
語られるのを待つ言葉をあやすゆりかごなのかもしれません。
そして、ひんやりもぬくもりも外に逃がさぬよう、
括弧の室内環境を整える温度調整器なのかもしれません。

皆さんはまだ眠る言葉を括弧に託したことはあるでしょうか。
いつかそのようなお話も、お伺いできたら嬉しく思います。



【原著紹介】※敬称略
Maurice Merleau-Ponty, Phénoménologie de la perception, gallimard, 1945.

[邦訳]
モーリス・メルロ=ポンティ著
『知覚の現象学 1』、竹内芳郎・小木貞孝訳、1967年
『知覚の現象学 2』、竹内芳郎・木田元・宮本忠雄訳、1974年
1・2ともに、みすず書房


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