天才・庵野秀明の伝説的エピソードから読み解くクリエーターの理想像
こんにちは、にじまるです。
アニメ『エヴァンゲリオン』や映画『シン・ゴジラ』などのクリエーターとして有名な庵野秀明はしばしば天才と評され、天才ゆえの伝説的なエピソードも多い人物として有名です。
今回は、数々の名作を生み出した天才・庵野秀明の伝説的エピソードから読み解くクリエーターの理想像を紹介します。
庵野秀明について
1960年に山口県宇部市で生まれ、高校卒業後に大阪芸術大学に入学。
大学在学中に参加した自主映画制作グループDAICON FILM(ダイコンフルム)が制作した大阪SF大会のオープニングアニメが話題となり、スタジオぬえのメンバーに誘われて『超時空要塞マクロス』の制作にアニメーターとして参加する。
その後上京し、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』などにアニメーターとして参加した後、DAICON FILMのメンバーと共にGAINAX(ガイナックス)を設立し、映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作に参加する。
『トップをねらえ!』『ふしぎの海のナディア』の監督を経て、1995年に原作・脚本・監督を担当した『新世紀エヴァンゲリオン』がテレビ放映され社会的ブームとなる。
2007年にはTV版『新世紀エヴァンゲリオン』をリビルドした『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が公開。その後、新劇場版シリーズ2作が公開され、2021年に新劇場版シリーズ最終作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』が公開された。
その後も、『シン・ゴジラ』(2016年)、『シン・仮面ライダー』(2023年)を監督するなど、精力的に活動している。
庵野秀明の伝説的エピソード5選
庵野秀明はその天才的な才能ゆえに伝説的エピソードが多いことでも有名です。具体的な5つのエピソードを紹介します。
大学時代から天才の片鱗を見せていた
大阪芸術大学に入学した庵野秀明は、ほとんど授業に出席せず自主制作のアニメーション制作や映像制作に没頭します。
大学の同期で、漫画『アオイホノオ』などの著者である島本和彦は、庵野が課題で制作したアニメーションを見て「こいつには勝てない」と思い、アニメーターになることを諦めて漫画家に転向したと語っています。
それほど庵野秀明の才能は大学時代から突出していました。
二十歳で『風の谷のナウシカ』の制作に参加

自主制作に没頭するあまり大学を退学することになった庵野秀明は、上京後に若干二十歳で『風の谷のナウシカ』の制作にアニメーターとして参加することになり、巨神兵のシーンを担当します。
宮崎駿は庵野秀明に初めて会った時の印象を「宇宙人が来た」と語っており、メカやエフェクトの作画技術が天才的で、ビーチサンダルで採用試験に来るなど、この頃すでに天才の片鱗を見せていました。
1年間風呂に入らなくても平気
アニメーション制作に没頭するあまり、1年間まったく風呂に入らなかったというエピソードや、服もほとんど着替えず同じ服をずっと着ており、汚れた服は洗濯せずに捨てていた、というエピソードからも庵野秀明の非凡さがうかがえます。
これらのエピソードの詳細は、妻である安野モヨコの著書『監督不行届』で読むことができます。
極度の偏食のため肉と魚が食べられない
庵野秀明は肉と魚が食べられず、かなりの偏食として知られており、若い頃はサッポロポテト バーベキュー味が主食だったと語っています。
また、庵野秀明の偏食癖はエヴァンゲリオンの綾波レイの設定にも反映されています。
妥協を許さない制作スタイル

庵野秀明の作品に対する妥協を許さない制作スタイルは、映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』の制作に密着したNHKのドキュメント番組『さようなら全てのエヴァンゲリオン ~庵野秀明の1214日~』で垣間見ることができます。
スタッフが制作したシーンに庵野秀明がことごとくダメ出したり、ワンシーンのために大規模なミニチュアを制作するなど、目指すべき絵作りに一切の妥協がありません。
また、映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作の際には、ロケットの打ち上げを見るためにアメリカのNASAに取材に行くなど、アニメーション制作にリアリティを求める姿勢は昔から徹底していたようです。
【まとめ】
庵野秀明の伝説的エピソードから読み解けるのは、クリエーターは独自のスタイルや新しいアイデアや視点を持ち、既存の枠を超えて革新的な作品を生み出すことにすべてを捧げているということです。
そのためには日常を犠牲にしたり、創作に対する強い情熱を持ち、困難な状況でも継続して挑戦し続けなければなりません。
しかしその妥協を許さない姿勢こそが、最終的に観る者の心を打つ素晴らしい作品を生み出すのだと思います。
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