自販機前の盟友と、新しい景色の話
自販機前の休憩とそのご縁がもたらした話を書きます。
お気に入りの場所
私の勤務先での密かな楽しみであった「コーヒーブレイク」に変化がありました。
気がつけば、1階の自販機前は、すっかり上司とベテラン社員の「特等席」になっていたのです。
書類を持って通りかかると、二人が楽しそうに笑い合っている姿がよく目に入りました。
(あーあ、私の場所だったのに)
ほんの少しだけ寂しい気持ちもありました。でも、遠巻きに聞こえてくる二人の弾むような声を聞いていると、不思議と胸の奥が温かくなるのを感じるのです。
自販機前の盟友
ある日、自販機の陰からこんな会話が聞こえてきました。
「現場にITを活用して、DXを推進していきたいんだ」
缶コーヒーを片手に、ベテランの彼が真剣なトーンで語りかけています。
「長年培ってきた熟練のノウハウを、滞りなく次の世代に継承したい。経験を積めば仕事の精度は高まるが、どうしても年齢とともに体力や瞬時の判断能力は落ちていくからな……。だからこそ、現場のベテランの能力をITで補って、若い奴らももっと前線で活躍できるような仕組みを作りたいんだよ」
それは、現場を隅々まで知り尽くし、仲間を愛する彼だからこその、切実で熱い想いでした。
「いいですね! それが実現すれば、属人化も防げますし、生産効率も飛躍的に上がります!」
上司の声には、以前のような「タスクに追われる機械的な響き」は微塵もありませんでした。かつての引きつった笑顔は消え去り、目を輝かせる本来の彼の姿。持ち前の頭の回転の速さと人を巻き込むエネルギーが、正しい方向へと勢いよく回り始めたのがわかりました。
「でも、それなりの規模になるぞ。……予算、取れるかな?」 ベテランの彼が少し挑戦的に笑いかけると、上司は頼もしく言い切りました。
「取ってみせますよ! 私に任せてください」
その日を境に、二人は部署や年齢の垣根を越えた「盟友」となりました。
会社の未来
現場の課題と未来の構想を描くベテラン社員と、それを組織のプロジェクトとして組み立て、上層部を動かしていく上司。 もちろん、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。決して一筋縄ではいかない数々の社内調整や、予期せぬ困難の連続。それでも二人は、互いの強みを活かし、時には周囲を巻き込みながら、一つひとつ壁を乗り越えていきました。
あの息が詰まるようだったオフィスは、いつしか「自分たちで会社を良くしていける」という、確かな活気と熱を帯びるようになっていました。
え、私も?
計画が本格的に動き出し、熱気を帯び始めていたある日のこと。
私のデスクに、ベテラン社員がやってきました。
そして、ドサッ! と重たい音を立てて、分厚いファイルの山を置いたのです。
「これ、やってみんか?」
中をパラパラと見て、私は思わず息を呑みました。 そこにあったのは、DX推進に伴う全工程の資料と進捗表、膨大な教育資料の草案、そして教育訓練対象者の名簿……。
「こ、こんなにですか!?」
目を丸くする私。さらに頭の中で激しいツッコミが駆け巡ります。
(あの、私、派遣社員なんですけど!?社外秘、しかもトップシークレットなんじゃ……。)
派遣社員が取り扱える業務範囲を明らかに超えています。
閲覧権限すら怪しい私に、そんな私の心の声などお見通しだと言わんばかりに、ベテラン社員はニヤリと悪戯っぽく笑いました。
「お前ならできるよ。……任せたぞー」
有無を言わさぬ一言を残し、彼はいつものように軽く手を挙げて去っていきました。 呆然として、目の前の巨大な資料の山を見つめる私。
すると、隣の席から上司が、あの人懐っこい穏やかな笑顔で声をかけてきたのです。
「大丈夫、僕がしっかりフォローするからね」
(二人とも、共犯者だ……意地悪!)
不思議と嫌な気持ちは全くありませんでした。私の働きを認め、信じて任せてくれるという、たまらなく温かい期待が込められているのが伝わってきたからです。
「……はい! やらせていただきます」
走り抜けた日々
それから数年間、プロジェクトは激動の渦中にありました。
コロナ禍で都道府県をまたいだ移動が制限され、技術者チームの到着が遅れたり、工業規格の改訂に振り回されたりと、私たちは何度も壁にぶつかりました。
私は派遣社員として限られた勤務時間の中ではありましたが、学童保育の先生方の支援を受けながら、何度もリモートでの討論に参加させていただきました。立場に関係なく、一つの目標に向かって走り抜けたあの濃密で大切な日々を思うと、今も胸が熱くなります。
派遣社員という枠を飛び越え、プロジェクトの核心を任せていただけたこの出来事は、私にとってかけがえのないキャリアとなり、大きな自信へと繋がっていきました。
数年後。
私たちの目の前には、最新のシステムを備えた新工場棟が立っています。それは、あの日、1階の小さな自販機前で交わされた約束が、見事に実を結んだ証でした。
