26歳女が無職になるまでの足跡①
公民の授業で、国民の三大義務を学習していた中学生の私には、まさか将来自分が無職になるとは、微塵も思っていなかった。
無職というのは、一般的な人間が歩む道から大きく逸れていると自覚している。職を失ってからというもの、時間が有り余っているので、自分の人生を振り返ることが死ぬほど増えた。
すると不思議なことに、誰かに自分の人生をひけらかしちゃおう!なんて気持ちが湧いてきたのである。なので、書きます。
言うまでもなく、誰に求められていないのにも関わらず、自分の生まれ育ちをネットの海に放とうとしている時点で、自己顕示欲の塊であることは理解していただきたい。
(とはいえ身バレは怖いので、ある程度情報はぼかしていくつもりである。)
今回は①ということで、幼少期のことから語りたいと思う。
私は片田舎に生まれた女である。生まれ育った市の人口は約3万人。高齢化率は40%を超えたとか、そんな情報を目にしたことがある(定かではない)。確実に田舎に分類される地元である。
しかし基本的に車社会なので、どこに行くにも親の運転する車で移動するし、コンビニも100均も、隣の市にはユニクロやらGUやらもあるわけで、別に生活に困ったことはないと思う。
さて、自分の記憶だけで幼少期(6歳、小学校入学まで)をたどっていこうと思う。
なんというか、パッとしない子どもだった。
子どもというのは、目に見えて分かりやすい要素が人気者になりやすい。足が速いとか、顔がかっこいいとかかわいいとか、面白いとか。私は、そのどれもを持ち合わせていなかった。
まず、運動は全然できなかった。そもそも外で遊ぶのがそこまで好きじゃなかった。かけっこは基本的にビリ。
顔も、ブスというわけではない(自分評価)だが、すごくかわいいというわけでも、整っているというわけでもない。
人前で目立つのも好きじゃないし、目立つときは悪目立ちだ。記憶にあるのが、普段保育園への連絡帳は先生が直接返してくれるのだが、その日は先生が連絡帳が名前を伏せて机に置かれていて、「みんなで自分の連絡帳を探しましょう」みたいな時間があった。
なんと、ビリになってしまった。意味が分からない。そんなことでビリになるような人間がいるのか。「あの子がビリだ」という目線を向けられた当時6歳の私は恥ずかしかったのだが、「探さなくても最後に残ったものが自分のものだから、別にいいし」みたいな雰囲気を出していたのをよく覚えている。
しかし、そんな私にも少し得意なことがあった。勉強だった。
別に大したことはない。自分の名前の漢字が既に書けるとか、まじでその程度だ。ネットで話題になるようなギフテッドの子どもたちのように、傑出していたわけではなかった。でも、運動ができない自分にとって、勉強なら人並みにできるというのは、子どもながらに小さな自信になっていた。
そして、6歳にして早くも人生の一つ目(仮)のターニングポイントが訪れる。
小学校受験である。
勘違いしないでほしいが、例えば慶応幼稚舎みたいな、エスカレーターで慶応大学に進学する権利をかけた、シビアな受験ではない。
地元の公立小学校が荒れすぎていて、ダメ元で附属の小学校を受験してみただけなのだ。もともとはその公立小に進学予定だったし、就学前検診にも行ったのを覚えている。5年生くらいのお兄さんお姉さんと手を繋いで検診を回るのだが、同じ保育園の女の子が、お兄さんに「お前めっちゃ耳くそたまってたぞ」と言われていた。ドン引きした。
受験そのものは、全く役に立たない記憶だけある。
体操試験?の時に、受験者が1列10人×4列くらいに並んで準備運動をする。私は2列目か3列目の右端にいたのだが、1列目の左端にいたのが双子だった。生まれて初めて双子を見て、「双子だ」と思った。
面接試験の順番は図書室の本を読んで待っているのだが、ちょうど「ミッケ」が目に入った。やりたかったのだが、違う子どもが取ってしまって、友達同士で読んでいた。それに入れてなんて言えるはずもなく、結局「ミッケ」と同じ棚に入っていた「おじゃるまるのミッケ」もどきみたいなものを一人でやっていた。少し寂しかった。
さらに筆記試験に関しては、やったのかどうかも覚えていない。本当に、鉛筆も持った記憶すらないのだ。それなのに、試験を終えて戻った時に、教室で待機していた母親が読んでいた本のタイトルだけは覚えている。
そんな感じだったが、なぜか合格した。自分が小学校受験をしているという意識は持っていないから、「合格」したことがすごいことなのかは理解していなかったけど、親も喜んでいるし、少なくとも悪いことではないということは分かった。(今になって思うと、落ちる人の方が少ない。)
自分がみんなと違う小学校に行くというのは、卒園が間近になってきてようやくわかった。みんなの前で進学する小学校を発表する時間があったのだが、「○○小学校です」「××小学校です」と地元の公立小の名前が出る中、私だけ「△△大学附属小学校です」とか言っているのだ。ちょっと、「え、なんか私かっこよくない?」とすら思っていた。
ちなみに、友達と離れるのが嫌とか、そういう気持ちはこれっぽっちもなかった。本当に、何とも思っていなかった。まあ、離れるのが寂しいと思うくらいの友達がいなかったというまでなのだが。
そして、4月。晴れて小学校に入学した私。当時はまだ、女の子は赤いランドセルが主流だったのだが、その時の私は「水色ってイケてる」と思い、真水色(今どきの薄い水色のおしゃれなものじゃなく、肌ラボの白潤くらいの真水色)のランドセルを背負っていた。
入学式の前に、名前を呼ばれて返事をする練習を教室でする。「名前を呼ばれたら返事をして立って、次の人の名前が呼ばれたら座ってね」という、ごくごく簡単な指示である。
しかしだ。これを遂行できなかったのが私である。
返事をして立って、すぐ座ったのだ。そうしたら先生に「あ、○○さん、次の人のお名前が呼ばれたら座ってね」と、入学早々先生に訂正をされた。
めちゃくちゃ恥ずかしかった。できないわけがないと思っていた指示を、あっけなく間違えてしまった。
しかも入学式中は、鼻くそをほじって、椅子の下につけるというありえない行動をしていた。恐らく実家には入学式のムービーがあると思うのだが、自分が鼻くそをほじっている姿なんて見たくないので、ここまで目にしたことはない。
以上が、覚えている限りの小学校入学までの流れである。
この小学校受験というのが、私の人生に大きく影響しているのだが、それは今後書こうと思う。
