第3話 毎晩のお祈り。 15歳の私が初めて出会った宗教の世界
ユタ州での生活が始まって数日。
私は毎日のように新しい発見と驚きの連続でした。
そんな中、特に印象に残っている出来事があります。
それは夕食の時間でした。
ある夜、夕食の準備が整い、家族全員がテーブルに座りました。
私はいつものように「いただきます」と言おうとしたその時です。
突然、ホストファミリー全員が手を組み、静かに目を閉じました。
私は何が始まったのか分かりません。
慌てて周りを見渡します。
すると、その日のお祈りの担当だったお父さんが真剣な表情で話し始めました。
家族が一日無事に過ごせたこと。
こうして食事をいただけること。
その感謝を神様に伝えていたのです。
私は戸惑いました。
日本では経験したことのない光景だったからです。
もちろん英語のお祈りの内容はほとんど分かりませんでした。
それでも、どこか日本の「いただきます」や「ごちそうさまでした」に通じるものがあるように感じました。
食べ物や周りの人への感謝を表すという意味では、とても似ている気がしたのです。
なぜ毎日お祈りをするのかは分かりませんでした。
でも考えてみれば、私たちも子どもの頃から自然と手を合わせ、「いただきます」と言うことを教わっています。
そう思うと、不思議と嫌な気持ちはありませんでした。
むしろ、
「なぜだろう?」
「どんな意味があるのだろう?」
という興味の方が大きかったのです。
ホストファミリーは私に自分たちの考えを押し付けることはありませんでした。
ただ自然に、自分たちが大切にしている習慣を続けていました。
お祈りが終わると、それぞれが好きな料理をお皿に取り分けます。
そして食事が始まると、ご両親は子どもたち一人ひとりに声をかけました。
「今日はどんな一日だった?」
そこから家族の会話が始まります。
親が子どもにしっかり関心を持ち、一人ひとりの話に耳を傾ける姿を見て、私はとても驚きました。
そして、どこか羨ましい気持ちにもなりました。
少なくとも私の家では、食事の時間に家族みんなでその日の出来事を話す習慣はありませんでした。
だからこそ、この温かな食卓の風景はとても新鮮だったのです。
今振り返ると、私はこの家庭で英語だけではない大切なことを学んでいました。
世界にはさまざまな価値観があり、信じるものも違うこと。
日本では当たり前だったことが、海外では当たり前ではないこと。
そして海外で当たり前のことが、日本では珍しいこともあること。
留学生活で私が最初に学んだ、英語以上に大切なことは、
「違いを怖がらないこと」
だったのかもしれません。
15歳の私はまだ知りませんでした。
このホストファミリーとの生活が、思いもよらない形で終わりを迎えることになることを。
そして、それが私の人生をさらに大きく動かしていくことを。
