#219 今こそ!GLAYの全オリジナルアルバムのレビューとガチ解説をやりたい〜Part1 灰とダイヤモンドからHEAVY GAUGEまで〜
2024年5月25日にデビュー30周年を迎えたGLAY。
そのアニバーサリーイヤーの活動も4月にベストアルバム「DRIVE 1993~2026 -GLAY complete BEST」が発売され、5月末から6月頭にかけて東京ドームと京セラドーム大阪で行われるドームツアーで終了する。
思い返せば、今年で28歳になる私の音楽史はほぼGLAYで占められているし、人生自体がGLAYと共にあったとさえ言える。そう言い切っても大袈裟ではない。
幼少期、何かと車移動の多かった家族の車中で流れていたのはいつも親がファンだったGLAYであり、自分が初めて聴いた(と記憶している)音楽は3歳の時に聴いた「DRIVE-GLAY complete BEST」だった。よくよく考えたら幼稚園児のくせして子供向けアニメの曲とかではなく「Uh バイブル彼女の過激」なんて口ずさんでいた訳だから、実に嫌な幼稚園児である。何はともあれ、28歳にしてGLAYファン歴25年なのだ。これから歳を重ねるにつれ「人生の中でGLAYファンとして生きた時間」の割合はより増えていく。
GLAYに触れて25周年。まだ20代とて気が付けばアラサー。「うわ、TAKUROって今の自分の歳でpure soul書いたのかよ…」と思う年齢すら超えようとしている。
という訳で今回は(という訳でってなんだ)、ベストアルバムが出たからオリジナルアルバムについて触れていきたいという事で、インディーズ時代を含めてGLAYが過去に出したオリジナルアルバム18作のアルバムレビューというか、勝手な解説みたいなものを書いてみたいと思う。
Note上で3回に分けて更新していくので、是非お付き合い願いたい。
(ちなみに、私自身もちゃっかり客を作ったりアルバムを出したりしてみておりますので、もののついでに是非に)
インディーズアルバム
灰とダイヤモンド
1994年5月25日発売
GLAYが唯一発売したインディーズアルバムかつ、唯一YOSHIKI主宰のエクスタシーレコードから発売した作品。厳密な1stアルバムは次のSPEED POPとなっているのでGLAYのオリジナルアルバムの枚数に本作はカウントされない事が多いが、1stシングルとなった『RAIN』と同日発売でもある事から実質的なデビューアルバムとして認識されている。クレジット上はGLAYのセルフプロデュース作品となっているが、ノンクレジットというだけで『RAIN』と同様にYOSHIKIの全面プロデュースで製作された。
後に『ひどくありふれたホワイトノイズをくれ』と『if〜灰とダイヤモンド〜』の2曲以外は全てメジャーデビュー後にリアレンジしたものが発表されており再録版の印象の方が強い事もあって、それらを聴いた後から聴くと若干デモテープ的な印象も受ける。ただしそれはYOSHIKIの意向としてメジャー作品として出す『RAIN』のシングルとは異なりインディーズ作品となる本作は意図的に荒削り感を残したサウンドにした影響が大きく、再録版と続けて聴くのも面白いだろう。以前のテレビ番組でHISASHIが『天使のわけまえ』(2004年)のデモをTAKUROが持ってきた際に初期のアレンジを酷評しながらも「でもメロディーはしっかりしてるからいけると思った」と述懐し、同席していた茂木淳一氏が「スポーツ少年で言うところの『この子は骨格がしっかりしてるから』みたいな」と言い例えるやりとりがあったが、まさしく無骨ながら骨格はしっかりしているという意味ではこのアルバムに当てはまる言葉だと思う。『TWO BELL SILENCE』のメロディーラインとそこにハメる言葉選びや『千ノナイフガ胸ヲ刺ス』のHISASHIのギターフレーズのセンスなんかは特に顕著。TAKUROが「ダークでコアな曲を作ったぞ!」と『彼女の“Modern…”』を持ってきたら「どこがだよ、どポップだろ」と総ツッコミを喰らったというエピソードが示すように、音楽性というかある種の抗えない性はこの頃から確立されていたように感じる。
ちなみにGLAYはYOSHIKIが発掘してデビューさせたバンドと称される事が多く、YOSHIKIがデビューさせた事は間違いないが、発掘に関しては最初にGLAYを見つけたのはエクスタシーレコードの新人発掘担当のスタッフであり、YOSHIKIに送ったデモテープの返事が来ない事に業を煮やした結果、X JAPANのメンバーかつYOSHIKIに対しての発言力もあるhideに先に聴かせてhideからYOSHIKIにプッシュしてもらった…という経緯がある。
2024年にリリースされた『Beautiful like you』に対してHISASHIが「あれはもうX JAPANのバラードでしょ。TAKUROが好きなので(笑)」と指摘しているようにGLAY及びTAKUROがX JAPANやYOSHIKIの音楽性に憧れを抱いていた事は言うまでもないが、そもそもX JAPAN自体がYOSHIKIとhideの間で音楽性が結構違う中でGLAYは微妙にYOSHIKIとは音楽性が異なり、逆にhideとは近い音楽性を有している印象を受ける。もし仮に発掘担当のスタッフが持ってきたデモテープに対し、立場はそのままでYOSHIKIとhideの音楽性だけが逆だったとしたらGLAYは果たして世に出ただろうか?とは灰とダイヤモンドと次作のSPEED POPを改めて聴き直して少し思った。
1stアルバム
SPEED POP
1995年3月1日発売
前述の通り前作の灰とダイヤモンドが実質的なデビューアルバムとして認識されているが、前作はインディーズとしての発売による為、厳密なデビューアルバムは本作であり、GLAYに於ける「○枚目のオリジナルアルバム」という表記は灰とダイヤモンドではなくSPEEP POPから数えた枚数となっている。就任以前の楽曲も収録されているので完全プロデュース作品という訳ではないが、3rdシングル『彼女の“Modern…”』から参加している佐久間正英氏が本作より本格的にプロデューサーとして関与している。
まず冒頭の疾走感はすごい。佐久間氏が手掛けたインストから始まり『HAPPY SWING』『彼女の“Modern…”』と繋がる流れは爽快で気持ちいい。両曲ともに未だにライブで重宝される楽曲な訳で。続けて並んでいる『REGRET』と『INNOCENCE』はデビューに至るまでの決意と経なければならなかった訣別が垣間見え、この2曲がちょうどアルバムの真ん中にいることも含めて大いなる聴きどころだと思う。意図的なのかどうかはわからないが、なんとなく前半部分がビート系っぽい雰囲気で『Freeze My Love』などが収録された後半部分がビジュアル系っぽい雰囲気になっているようにも感じており、そこはなんとなくA面、B面的な色彩なのかなとも思ったり。
本作の最大のポイント、そしてGLAYにとって重要なポイントはプロデューサーとして佐久間氏が携わるようになった事だろう。本作に至るまでにGLAYのプロデューサーを務めたYOSHIKI及び土屋昌巳氏はプレーヤーとしての視点、色合いを強く出すタイプのプロデューサーだったように思う。もちろんそのスタイルが氏の魅力である事は大前提だし、そもそも当時のYOSHIKIに至ってはX JAPANというメガバンドを動かしながら他人のプロデュースを始めたばかりだった訳で、そういう雰囲気になるのは当然と言えば当然である。一方、佐久間氏はプロデューサー色が全く出ないようにする事を美徳にすらするようなタイプで、プロデューススタイルも「アーティストの頭の中にはあるけど表現しきれない事を形にする事」「本来やりたい事と実際にやっている事のギャップを埋める」という作風を持っていた。当時のGLAYはポップなのかロックなのか、ビジュアル系なのかビート系なのか、傍目に見れば中途半端に映って取り扱いにくかったが、逆に言えばそこでどこかに振り切る方向にシフトできないくらいには独自性を持ち始めていた時期でもあった(逆に言えばその状態のGLAYをメジャーのフィールドに引っ張り上げたエクスタシー陣営もすごいんだけど)。そこで作家性よりも調整型かつ、GLAYの音楽性の大部分に影響を与えたBOØWYやUP-BEATのプロデューサーでもあった佐久間氏との出会いは運命にしてシンデレラフィットとしか言いようがなかったのだろう。前作と比べるとGLAYの方向性や音楽性がクリアになった印象はやっぱり強く、まさしく「頭の中にはあったけど表現しきれなかった事が形になった」という事なんだと思う(逆に佐久間氏就任以前の楽曲である『RAIN』や『真夏の扉』が、ライブが成立するだけの曲数を揃えたタイミングからほぼ封印状態になった事もその辺りの意識はあったように思う)。本作以降、GLAY×佐久間氏のタッグは佐久間氏が亡くなる直前の2013年まで続く事になる。
TAKUROは当時のインタビューで「『LOVE SLAVE』と『ずっと2人で…』が同じアルバムに入っていても変にならないのがGLAY」と語っていたが、29年後に『whodunit / シェア』の両A面シングルを出した際にも方向性が真逆の2曲を一枚に収めた事を強調するような発言があったように、その辺りはGLAYがGLAYたる不変的な部分と言えるのだろう。とはいえいくらなんでも『ずっと2人で…』を『彼女の“Modern…”』と『LOVE SLAVE』の間に挟んでいるのはさすがにどうかしている。
2ndアルバム
BEAT out!
1996年2月7日発売
無地の背景にタイトルだけ刻まれたシンプルなジャケットがメジャー2枚目のアルバム。前作のツアーよりサポートドラマーに入ったTOSHIこと永井利光氏が本作からレコーディング時のドラムアレンジを含めて参加しており、プロデュースに佐久間氏、ドラムに永井氏というGLAYチームの基本形は本作から佐久間氏が逝去するまで固定される事になる(永井氏は現在もGLAYのサポートを継続中)。また、TERU作詞作曲の『週末のBaby Talk』が収録された事でTAKURO以外のメンバーが手掛けた楽曲が初めてアルバムに収録された(カップリングも含めるとHISASHI作詞作曲の『Cynical』とTERUがTAKUROと共作した『ACID HEAD』がこれ以前にリリースされている)。
2chなんかでよくあるテーマよろしく「GLAYのアルバムで打線組んでみたwwww」みたいなお題があるとすれば1番センターが実に似合いそうな疾走感がある。疾走感という言葉は前作の項でも用いたが、前作はより衝動的なニュアンスがあったのに対し、本作はその名の通りビートロックとしての趣きが強く、『More than Love』なんかはその典型だろう。特にツインギターの気持ちよさは歴代作品の中でも屈指で本作にライブの定番曲が多い事も頷ける。『More than Love』に始まり『Together』『月に祈る』といったドラマティックな曲を経て主役のような『グロリアス』が終盤に登場し、ラストは『軌跡の果て』という大曲からエンドロールのように『Miki Piano』が流れる構成は実に映画的。特に『軌跡の果て』は必聴。20代前半でこの歌詞を書いたTAKUROとは………。
次作のBELOVEDについて振り返った近年のインタビューに於いてTAKUROは「BELOVEDの時には曲の貯金(ストック)がなかった」「イメージとしての憧れのロック像みないなものと訣別できたのがBELOVED」と語っていたが、逆に言えばBOØWYやBUCK-TICK、UP-BEATの系譜のような「憧れのロック像」なるものを本作で出し切った、出し尽くしたような印象も受ける。BOØWYのプロデューサーを務めた佐久間氏とBOØWYのボーカルだった氷室京介のソロ活動でサポートを務めた永井氏の参加で憧れが明確な形として表現できるようになったところもあるのだろう。実際にTAKUROは発売当時のインタビューで「『灰とダイヤモンド』『SPEED POP』が来て『BEAT out!』って流れは、自分の中でひとつの時期が終わるような…。また新しい展開に突入するみたいな気持ちが、すごくありますね」と語っているように、GLAYがブレイクしたアルバムにしてGLAY草創期の終わりを告げる一枚だったようにも思う。『グロリアス』はアルバム完成直前になって急遽制作されたという経緯があるのでそれが意図的だとは言わないが、そんなアルバムのクライマックスが故郷や過去に思いを馳せた『グロリアス』『軌跡の果て』で締められるのは後になって振り返るとあまりにもドラマチックだと言う他ない。
ブレイクのきっかけになったと評されている『Yes,Summerdays』と『グロリアス』が収録されている事もあり、GLAYは本作で初めてオリコンチャートの1位を獲得。メンバーは千歳空港での昼食時にその知らせを聞き、既に味噌ラーメンを注文していたTERUは一報を受けてチャーシュー麺に変更したらしい。
3rdアルバム
BELOVED
1996年11月18日発売
前作でブレイクを果たした後、初のドラマ主題歌となった『BELOVED』が大ヒット。更にはキャリアを辿る単行本や写真集の発売、そして悲願の初武道館公演といった出世街道を猛ダッシュで走り抜けた1996年の最後に発売されたアルバムだが、今考えたら1年にフルアルバムが2回出る辺りが時代の狂気を感じる。GLAYのアルバムはストリングスなどで様々なミュージシャンが参加する事が多いが、このアルバムはGLAY4人とTOSHI、佐久間氏、そしてキーボードのD.I.E.と当時のツアーメンバーだけで作りきっている事は一つの特徴と言えるだろう。また、JIROが作曲した楽曲が初めてリリースされたアルバムでもある(『SHUTTER SPEEDSのテーマ』と『カナリヤ』。いずれも作詞はTAKURO)。
BEAT out!でブレイクしつつあったGLAYの地位を爆発的に高めた一枚であり、BELOVEDのPVでTERUが両手をぶわーって広げるポーズがGLAYのシグネチャーに昇華したように、その作風を含めてまさしくGLAYを象徴する作品と言える。前述したようにTAKUROは前作BEAT out!の時点で「BELOVEDの時には曲の貯金(ストック)がなかった」とした上で「イメージとしての憧れのロック像みないなものと訣別できたのがBELOVED」「『灰とダイヤモンド』『SPEED POP』が来て『BEAT out!』って流れは、自分の中でひとつの時期が終わるような…。また新しい展開に突入するみたいな気持ちが、すごくありますね」と評していたが、BEAT out!で出し切った憧れのロック像を経て、ビートロック系でもなければエクスタシー系でもないGLAY独自の作風を確立し始めたのがこのBELOVEDと言える。『BELOVED』『春を愛する人』『カーテンコール』『都忘れ』に代表される詩の美しさと、それに映える美しいメロディー。そこに加えて『GROOVY TOUR』の煌びやかさから始まるワクワク感と『HIT THE WORLD CHART!』のちょっとした退廃感のような振り幅は、GLAYの強みとも言うべき"幅と解釈の広さ"が洗練された初期衝動も纏わせながら存分に発揮されていて、大曲が続いた後に軽快な『RHAPSODY』でアルバムが終わる流れも美しい。これは14年後にリリースされる『GLAY』にも通ずる部分だろう。もし友人に「GLAY聴いてみようと思うんだけど、どのアルバムから聴けばいい?」と言われれば本作を推薦する。
当時の時代に生きていないので肌感覚ではわからないが、色んな話を聞くなり読むなりすると…やっぱりGLAYはいわゆる"ポップスに進んだロックバンド"みたいな見られ方をしていたと思う。このCDバブルの時代はいわゆる売れ線的な音楽とマニアック的な音楽の間に大きな溝があり、商業的な成功と音楽性としての評価がある種のトレードオフになっているような風潮があったように見えて、それは現在に至っても雑誌や識者がよくやるような「歴代名盤ランキング」なるものに入りにくい、評価されにくい風潮に繋がっているような気がしてならない(これはGLAYのみならずサザンオールスターズやB'z、或いはミスチルやラルクにも少なからずその影響が及んでいるように見える)。改めてBELOVEDを聴くと、傑作と呼ぶべき楽曲を揃え、GLAYというバンドの音楽性をこれでもかと提示し、その上でセールスでも好成績を残した本作にはもう少し界隈の評価のされ方があるんじゃないかというような気持ちもあって、そこに若干忸怩たる思いを抱えている部分は正直ある。
4thアルバム
pure soul
1998年7月29日発売
『口唇』で初のシングルチャート1位、そして『HOWEVER』のメガヒットから、ベストアルバムブームを引き起こすきっかけとさえ言われるほどの大ヒットとなったREVIEW -BEST OF GLAY-を発売した1997年を経て、同時発売の『誘惑』『SOUL LOVE』の大ヒットを提げたホールツアーのチケット発売日には当時開催中だった長野オリンピックのプレスセンター業務に支障が生じるほどの回線トラブルを引き起こすなどの社会現象となっていた中で発売されたアルバム。発売から1年以内に本作を提げたスタジアムツアーとドームツアー(東京ドーム5days含む)、そして20万人ライブをやり切ってしまうなど、まさに絶頂期の中で発売された。GLAYのオリジナルアルバムでは最大の売り上げを記録している。
前年にデビュー3年目という早い段階でベストアルバムを発売した動機には、もちろん事務所のセールス的な意向も当然あっただろうが、GLAYとしても持ち合わせていた曲のストックがBELOVEDの時点で尽きており、1997年はアルバム用の曲を作るというよりもとにかく曲のストックを貯める時期に充てたいという意向があったとの事で、実際に本作発売に向けた選曲会議には70曲以上も候補に挙がったという。全体的にポップな作風は前作と似た雰囲気があるが、前作及び他のGLAY作品と比べてもバラエティー色の強いアルバムになったのはジャンルを問わず作曲に勤しんだ結果とも言えそう。ビートロック感の強い『ビリビリクラッシュメン』や『誘惑』に大バラードの『pure soul』『3年後』、キャッチー極まれりな『SOUL LOVE』があったかと思えばパンキッシュな『COME ON!!』があったり、最後はシンガロング系の『I'm in Love』で締める辺り、そのラインナップの多様さはアルバムの統一性というよりも今やりたい曲、今自信のある曲を素直に詰め込みました感を感じられて、その潔さには気持ち良さすらある。何よりも表題曲『pure soul』は2025年のベストアルバム発売に際した人気投票で1位を獲得したが、この曲が持つ圧倒的な存在感はまさしくpure soulという大木の下に佳作が集まっていると表現できるほど。
BELOVEDが音楽性としてのGLAYを象徴するならば、pure soulは「ポップな曲もロックもやりたい」「だって両方やりたいんだもん」といったGLAYの精神性を象徴するアルバムなのかもしれない。そう考えれば、アルバムタイトルが"pure soul"である事は実に腑に落ちるほどにピュアと呼ぶべき作品で、表題曲の『pure soul』こそいわゆる27歳症候群を超える時代の葛藤を内包した楽曲だが、全体的にはGLAYのアルバムの中でも最もハートフルな趣が強いアルバムと言えるだろう。GLAY黄金期に発売されたアルバムと言えば、ベストアルバムのREVIEWを除けば前作のBELOVEDと本作、そして次作のHEAVY GAUGEという事になるが、BELOVEDが音楽性、pure soulが精神性、そしてHEAVY GAUGEが重めのコンセプチュアルな作品となっているアルバムの流れはすごく興味深い。
5thアルバム
HEAVY GAUGE
1999年10月20日発売
日本音楽史に残る規模のツアーとなったpure soulツアー、そして世界の音楽史に残る規模となったGLAY EXPO'99 SURVIVALという俗に言う20万人ライブを経て、まさしく満を持すようなタイミングで発売されたアルバム。この時代に学生だった人の実家にはpure soulか本作のどちらかは多分あるはず。ちなみにTAKURO一人で全曲の作詞作曲を手掛けた作品は実は本作が唯一である(TAKUROが全曲の作詞作曲を手掛けたという意味では2021年のFREEDOM ONLYも該当するが、そちらはHISASHIとの共作曲が含まれている)。なお前作のツアーよりサポートキーボーディストを務める小森茂生氏が本作から制作にも参加しているが、BOØWYに憧れ続けたバンドのサポートメンバーがドラムは氷室京介のサポートを務めた永井氏、キーボードは布袋寅泰及びCOMPLEXのサポートを務めた小森氏かつ、エンジニアまでBOØWYを手がけていたマイケル・ツィマリングというのはあまりにもジャパニーズドリームが過ぎる。
『サバイバル』『ここではない、どこかへ』『BB WITH YOU』『Winter,again』といった大ヒットシングルを4曲も収録しているのでGLAYを聴き始めた人の入口にもなりやすいアルバムだが、曲単体では様々なタイプの曲がありながらもアルバムとしてはポジティブな世界観にまとめられる事が多いGLAYの中でネガティブな世界観で押し通した稀有な作品でもある。今となっては「それGLAYやないかい騒動」としてネタ的に語られているが、本作はGLAY自身が1999年の活動終了を以って解散する意向を持っている状況の中で制作されたアルバムとしての側面を持っている訳で、そういう考えになるに至った当時の現状への鬱屈した心境が隠す事なく表に出ており、サウンド自体も既発曲を除けば重いトーンで統一されている事も大きな特徴。アルバムの1曲目がミディアムかつダークな『HEAVY GAUGE』から始まる辺りは、これまでの1曲目が『GROOVY TOUR』や『YOU MAY DREAM』のようなポップでアップテンポなナンバーだった事と比べると対照的な違いと言える。
上述したように、このアルバムの制作はGLAYが解散を意識した中で作られた、それもメンバー間の関係悪化ではなく、むしろそこは良好なままなのにGLAYを取り巻く環境に疲弊し切った結果の解散プランだった…という背景を含めて聴くと、本作の歌詞は実に苦悩や葛藤が滲み出ている。『Will Be King』や『Savile Row~サヴィルロウ3番地~』なんかはもはや魂の相剋とも呼ぶべき楽曲。この2曲の間に入る『生きがい』はモデルが明確(LUNA SEAのSUGIZO)で少し事情は異なるが、終盤3曲を続けて聴くと結構体力を持っていかれる感覚さえあるくらいだ。今となってはライブの盛り上がり曲として定着している『FATSOUNDS』に至っては、20万人ライブやGLAYジャンボ、2枚同時発売やビデオシングル発売といった話題を振りまいた後に《新記録 戦略好きだな哀れなバンドマン》《Where do rock band wanna go?》という歌詞を放り込んだと考えるとなかなかにエグい。そう考えれば前年のpure soulのツアー中に発表された『BE WITH YOU』は言葉を拾えば純粋かつ壮大なラブソングながらもどこか当時の自分達に言い聞かせるような意味で本作にしっくりくる一方で、逆にTAKUROが『Winter,again』の収録に難色を示した気持ちもなんとなく理解できるような気がする。なお、いわゆる20万人ライブを途中に挟む形で制作された本作は当初はもっとヘビーな作風にする方向だったが、20万人ライブを経て若干柔らかくしたとの事。
大ヒットシングルを含みほぼ全ての曲にタイアップがついている事から純粋なポップアルバムとして聴く事も可能なだけに、これは推察だが…当時本作が初めて聴くGLAYのアルバムでそこからファンになったような人からすれば、初めて聴いたHEAVY GAUGEと他の曲や色んな背景を知って聴くHEAVY GAUGEは相当色合いが違って聴こえるように思う。「音楽でGLAY本来の全表面を見せたかった」とは当時のHISASHIのコメントだが、鬼龍院翔が「親に紹介できるV系」と評したよう陰と陽なら明らかに陽のポジションをとっていたGLAYが20万人ライブの3ヶ月後にこのアルバムを出した事はGLAYの幅を見せると共に、GLAYが単なる"一時代に旋風を起こしただけのバンド"に留まらず今でも毎年アリーナツアーをやれるバンドとして活動する上で大きなターニングポイントだったように思う。
ちなみに筆者は歌詞の一部を卒業文集に引用したくらいに『ここではない、どこかへ』が好きなのだが、本人達がライブでの演奏にあまり乗り気じゃなさげなのが少し切ない。
