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第15回 地元神社に残る事代主の痕跡①~田伏・奴奈川神社

前回は、事代主の母とされる神々についてまとめてみましたが、奴奈川姫が分解されて別々の神に分けられた可能性について考察しました。
その上で、今回は出雲~北陸~越の国に、奴奈川姫と事代主をつなぐような伝承がないのかを調べてみました。すると、かなり興味深いものがみつかりました。しかも、糸魚川・上越エリア内の神社の社伝の中にです。
 
《奴奈川姫の子:建沼川男命》
1つは、またしても田伏・奴奈川神社の社伝です。
奴奈川姫の系譜を伝え残す糸魚川市・田伏の奴奈川神社の社伝にはこのようなことが伝わっています。
 
成務天皇の御宇、市入命(いちいりのみこと)が越後国の国造となって当地に来り、 奴奈川姫命の子・建沼河男命(たけぬなかわおのみこと)の裔・長比売命を娶り、 奴奈川姫命の社を建て、神田神戸を寄附した。
別の資料でも同様に:
市入命が越後国造となり、奴奈川姫命の子・建沼河男命の裔・長比売命(ながひめのみこと) を娶り、 奴奈川姫命の社を建てたと伝える。
 という趣旨の事が書かれているのです。
 
ここに、奴奈川姫命の子・建沼河男命 と明確に書かれていますが、
越後国の国造となる市入命は大和政権から任命されて越後の国造となり、建沼河男命の末裔(子孫)つまり、奴奈川姫の血統である「長比売命」を娶り、その婚姻にってその土地で国造としての正統性を得た。という構図になります。
 
   奴奈川姫命
     │
     │
   建沼河男命
     │
     │(その後裔)
   長比売命――婚姻――市入命〈越後国の国造〉
          │
          │
   奴奈川姫命の社を建立し、神田・神戸を寄進
 
 国造(くにのみやつこ)とは、古代日本でヤマト王権から地方支配を任された有力豪族のことです。 古墳時代〜7世紀頃にかけて地方行政・軍事・裁判・祭祀を担った首長層で、のちに律令制が整うと祭祀中心の名誉職へと変化しました。また国造は、2代目以降はその血統での世襲制であると認識されています。
 
ヤマト政権は力で地方をねじ伏せたわけではなく、「その土地の最高神の血を引く巫女(あるいは女王)」と婚姻関係を結ぶことで、初めてその土地を治める呪術的・政治的な正統性を獲得しました。
 つまり、この社伝は当時の越後(越の国)において、奴奈川姫の血筋こそが絶対的な「王権(霊威)」の源泉であったことを示しています。
 
 補足として、田伏・奴奈川神社の社伝にある 「神田神戸を寄附した」…
これは
・神田=神社の田んぼ(経済基盤)
・神戸=神社に奉仕する家々(人的基盤) を指し、
その神社を国家的に保護し、祭祀を永続させるという意味です。
 
この内容が事代主が奴奈川姫の実子である可能性にどうつながるのかを
AIにわかりやすく解説してもらいました。

《共通する「国造の祖」という位置づけ》
1. 記紀の基本パターン:父系と母系で展開する「事代主の血統」
『古事記』『日本書紀』において、地方の支配者(国造)の祖先として最も頻繁に登場するのが事代主の子孫です(出雲国造、諏訪国造、地方豪族の系譜など)。事代主が国造の祖となる形式には、次の2つのパターンが存在します。
【父系の祖】 事代主の子孫の男性が、国造(トップ)として直接地方に入る。
【母系の祖】 中央から派遣された国造の男性が、現地の事代主の子孫の女性と結婚する。

いずれのパターンも、大和王権が地方を平和裏に治めるための「正統性」を担保する仕組みとして機能していました。

2. 越後国造のパターン:奴奈川姫の血統が担う「母系の源流」

一方、越後の田伏・奴奈川神社の社伝に目を向けると、越後国造はまさに上記の「母系のパターン」で統治の正統性を得ていたことが分かります。 社伝によれば、奴奈川姫の子である建沼河男命(たけぬなかわおのみこと)の系譜(長比売命)に、中央から派遣された初代国造(市入命)が婚姻することで越後国造家が成立します。つまり、越後においては奴奈川姫の血筋こそが、地方支配者を生み出す“母系の源流”の役割を果たしていました。

3. 結論:中央と地方で並立する「同じ格式」の構造

このように、記紀(中央)と奴奈川神社の社伝(地方)を比較すると、両者は「国造の正統性を支える神」という点で完全に一致しています。

・記紀(中央)
 
大国主 ➜ 事代主 ➜ 国造の祖(王権の正統性・各地方の国造)

・越後(地方)
 大国主 ✕ 奴奈川姫 ➜ 建沼河男命 ➜ 越後国造の祖(長比売命)

どちらも「大国主の直系であり、地方支配(国造)の正統性を与える神」という、全く同じ役割(パズルのピース)として機能しています。 地方の国造家が「奴奈川姫(建沼河男命)の血統」を不可欠としたという歴史的リアルそのものが、この血筋が中央神話における「事代主の血統」とまったく同等の、最高峰の格式を持っていたことの証明と言えます。

同じ系統の役割という共通点
また事代主と奴奈川姫の子(建沼川男命)は、“同じ系統の役割”を持っているのです。

事代主の役割
国造(地方豪族)の祖となる、海・境界の神
祭祀・託宣の神、大国主の政治を補佐する

建沼川男命の役割(奴奈川神社社伝)
国造の祖となる、海の巫女王・奴奈川姫の子
越後の祭祀の中心、大国主と協議して国造りを行う

 この共通点もかなりの重なりが多く、驚かされます。
 
《建沼河男命(タケヌナカワオ)という名前に隠された意味》
また、建沼河男命(タケヌナカワオ)という名前も注目点です。
「タケ(猛々しい・権威ある)+ヌナカワ(奴奈川)+オ(男・御子)」 つまり、彼は「奴奈川の地を代表する最高位の男御子」として生み出されています。
 
出雲と越の国の同盟(大国主と奴奈川姫の婚姻)の記憶を背景に、その間に生まれた「偉大な男御子(=建沼河男命)」。「海の境界を守り、祭祀を司り、国造の祖となる、大国主の第一子」――
もし記紀の編纂者が彼を中央の神話体系に組み込もうとしたとしたのなら、それは記紀における「事代主」だったのではないか、という仮説も成り立ちます。
 
ここでさらに踏み込むなら、この2つの「名前の性質」の違いです。
「建沼河男命」が、地名に根ざした地域固有の名前であるのに対し、「事代主(コトシロヌシ)」は「神託(事)を伝える主」という、いわば呪術的な【役職・機能の名】です。
つまり、越後の現地では「我が土地の女王の息子(建沼河男命)」として語り継がれていた神が、国造の系譜を通じて中央の神話に組み込まれる際、彼の持つ強力な祭祀能力から「事代主」という象徴的な名前に“翻訳”された――そう考えることもできるのではないでしょうか。
 
 田伏の奴奈川神社、やはり恐るべしですね。

そして、次は上越市の居多神社です。
事代主と奴奈川姫の親子関係について調べ始めたとき、なかなか可能性を見出せるような伝承が見つからず、やっぱりちょっと突拍子もない説なのかなと、これ以上の追及は難しいと思い始め、最後に念のため、無いと思うけど一応調べてみようと地元の神社「居多神社」(こた神社)に痕跡がないか調べました。
 
すると居多神社の古い由緒書きに、事代主が書かれているというのです。

が、今回はここまで。

ではまた次回の講釈で。

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