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第12回 越の国が王朝であった可能性を考察

前回は、様々な古史古伝には「越の国」や「奴奈川姫」がどう書かれているのかを記述内容を比較しながらまとめてみましたが、同じような立ち位置、役割を持っていることが分かりました。
 
今回はここから考察できることをまとめてみたいと思います。

《同じような配置で登場する越の国》
紹介してきた古史古伝は、それぞれが正統性を主張したい中央政権やその場所が違います。違う思惑で作られた文献にもかかわらず、「越の国」または越と考えられる地の役割や置かれ方に多くの共通点が見えます。

成立意図の異なる文献で、越の国と思われる地域が、似たような位置づけで登場するというのは、「事実として、そういう立ち位置で越の国が存在した」または「越の国について一定の共通認識があった」と考えることができると感じます。
 
またこれらの古史古伝は、古事記・日本書紀が主張する神武王朝よりも前に、別の王朝があったことを書き残しているものが多く、それらの中で中心ではないが、中央政権の正統性を支える役割として重要な位置で、越と思われる地が 「すでに存在してきたエリア」 として書かれていました。

これらのことから、私は文献にはっきりとは書かれないが、越の国が歴史的に相当古くから「王朝」あるいはそれに近い統治体制が成立していた可能性があるのではと考えてみました。ここでいう「王朝」という姿は、記紀であらわされる王朝の姿とは違うと考えます。

《越の国に見え隠れする縄文》
非常に印象的なのは、越の国は重要地として存在しながら、前面には出ない、中心にはならないという姿です。そして一般的に歴史的に知られる「越の国」は広大な地域です。にもかかわらず、力で治めたような、制圧するような統治という匂いがしてこない感じがするのです。
 
この「力で治めた感がしない」という点については、翡翠の存在とも大きくつながってきますが、やはり「縄文」への接続を考えずにはいられません。

考古学的にも存在が認められている、一万年以上続いたともいわれる縄文時代。これは「縄文文明」といってもいいくらいの高度な文化を誇っていたことが年々明らかになってきています。しかも、争いの形跡がほとんどみられず1万年以上比較的安定した社会が続いたと考えらていますが、これは歴史的には驚異的な事実です。

歴史的な古さでも圧倒的であり、ブログの最初に紹介した翡翠の流通や重要性を考えると、大きな統治圏が存在したと考えても不自然ではないでしょう。

また翡翠を司ったとされる「奴奈川姫」についても、縄文が母系社会、女性中心の社会であったことを考えると違和感のない存在だと考えられます。
実際に、新潟県内では縄文の遺跡が驚くほど多数見つかっており、出土している土器や埴輪なども、非常に質の高いものが多いのです。

そして縄文時代において、現在の新潟県のエリアの人口がとても多かったことも分かっています。こうした考古学的な事実と、古史古伝にあらわされる越の国の状況的な符合からもその可能性を考えることはできるのではないかと思っています。
 
《正統・竹内文書伝承者の見解》
ちなみに、口伝で独自の歴史を伝えてきた正統・竹内文書の伝承者、竹内睦泰氏はなんと、古代日本には宮下文書に書かれているように「富士王朝」があり、それとは別に「越ヒスイ王朝」があったのではないかと語っています。

そしてこの「越ヒスイ王朝」は富山の尖山を中心にした東アジアの首都であったと口伝では伝わっていたようです。東アジアの首都とは想像をはるかに超えていました。そしてそれを形成していた越の国の人々は「原日本人」であると語っています。つまり、日本の原住民ということです。
また糸魚川の姫川の翡翠を磨きぬいた「鏡」を使い、光通信を行っていたという事も口伝で伝わってきたと語っています。越王朝の可能性を考えていた私にとっては、うれしい驚きの情報です。

また、宮下文書の主張する富士王朝の存在を、竹内文書の伝承者が認めているところも非常に重要で興味深い点です。

 《各古史古伝の成立意図についてまとめ》
ここで、紹介してきた古史古伝それぞれが成立した意図、正統性を主張したい中央政権などをAIにまとめてもらいました。
 
① ウエツフミ(上記文)
中央政権の場所
・主に 九州(特に豊の国=大分周辺)
 特にに 宇佐神宮を中心とする地域が重要視される
中心となる神々
・ウガヤフキアエズ(鵜葺草葺不合命)
・その系譜(神武以前の「上代王朝」)
・天孫族よりも前の「地上の王統」を重視
特徴
・日本の中心はもともと九州にあったとする
・神武東遷は「政権移動」として扱われる
・宇佐八幡(=応神)を古い王統の継承者的に扱う傾向


② 九鬼文書(くかみ・くき文書)
中央政権の場所
明確な首都というより伊勢・熊野・丹波などを含む広域ネットワーク型の神政
・一部では 熊野(紀伊)や伊勢を重要視
中心となる神々
アメノミナカヌシ(天御中主)
・クニトコタチ(国常立)
・「原初神(造化三神・天津神)」が中心
特徴
天孫降臨以前の「宇宙的・神代的統治」
・神々による統治(神政)が中心
・秘教的・道教的・陰陽道的要素が強い


③ ホツマツタエ
中央政権の場所
大和(奈良)ではなく「近江(滋賀)」が中心
 特に、日高見(高島郡周辺と解釈されることが多い)、琵琶湖西岸地域
・「真の都は近江」とする説
中心となる神々
アマテルカミ(天照大神)
 ただし記紀とは違い、性格や役割がより人間的・統治者的
・神々は「人格を持つ人王」に近い存在で描かれる
特徴
日本は高度な政治制度を持つ「古代文明国家」
・大和中心史観への対抗
・文字(ヲシテ文字)と制度体系を強調


④ 宮下文書
中央政権の場所
富士山周辺(特に富士山麓)
・富士山を中心とした「神都」
・古代世界の中心が日本、さらに富士であるとする
中心となる神々
天照大神 ただし、富士=世界中心の神域として位置づけ
・神々と天皇の系統を富士に集中させる
特徴
富士山を世界文明の中心とする
・古代日本が世界の起源という思想が強い
・超古代文明説と結びつきやすい

全体的な共通点
・記紀(古事記・日本書紀)とは異なる「本当の中心」を主張
・天皇家や神話を独自解釈して再構築
・「正統な中央」が別に存在したとする

ここで改めて 竹内文書についても同じようにまとめてみます。
中央政権の場所
竹内文書では、 「越(高志)を地上統治の“始点”とし、 そこから王権が展開し、 最終的に大和が中央政権として定着していく」 という流れで描かれている。特に重要視されるのは、大和(天皇家の本拠)、磯城(しき)・橿原周辺
中心となる神々・存在
天之御中主神(アメノミナカヌシ)
・天照大神(天皇家の祖)
・天津神系の超古代の天皇たち(数十代〜数百代に及ぶとされる)
特徴
日本が「超古代から世界を支配した中心国家」とする思想
・天皇家の起源を極端に遡らせる(数万年前規模の年代観)
・世界各地(エジプト・イスラエルなど)との関係を主張
・神話と世界史を統合する超拡張型の「神国史観」

 これを見ると、これだけ違いがある中で、越の国が同じように登場するという事の特異さが改めてわかるのではないかと思います。また、記紀(古事記・日本書紀)とは異なる「本当の中心」を主張しながらも、最終的に大和政権の正統性につながる古史古伝があるという事も、興味深い点です。
 
この「大和政権につながる」というキーワードがこれから、
古史古伝に書かれた歴史と、地元の様々な伝承、記紀の記述が繋がり
上越エリアの歴史の驚きの考察に展開していきます。
 
というわけで、今回はここまで。
また次回の講釈で。
 


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